翌日の夜。
ランディが宿に戻ると、ガルトが待ちかまえていた。
「何かわかったか?」
「ばっちり」
ガルトは笑顔を見せる。前日は沈み込んだ様子だったが、すっかり元の快活な表情に戻っている。
「下手に急がなくてよかったよ。あの館、監視されてるみたいだ」
「そうか」
無表情にランディは答える。館に近づいた者が変死したという噂を考えれば、驚くことではない。
「リュテラシオン市街に何ヶ所か教団の拠点があって、大陸での活動拠点になってる。表に出ないようにはしてるから、そっちはまあ、気にしなくてもいいだろ」
「なぜ奴らがあの館を?」
「たぶん、あんたと同じ目的だと思う」
確証はないけれど、と前置きした上で、ガルトは続けた。
「昨日、暗殺者に屍鬼化の魔法が仕掛けられてた、って言ったろ?」
「それがどうかしたのか?」
「あのぐらいのレベルの魔法だと、何にでも仕掛けられるわけじゃない。媒体にするものにもそれなりの力がないと成功しないんだ」
「だから、媒体に使える宝石を狙っているというわけか」
目的がかち合うということは、迂闊に動けば刺激してしまうということだ。慎重に動かねばならないだろう。
ふと思いついて、ランディは尋ねてみる。
「奴らは館を開けられるのか?」
「無理だと思う」
ガルトは即答した。自分以外に館の死霊を浄化できる者がいないのを知っているかのように、ランディには聞こえる。
「大した自信だな」
「そうじゃなくて、入れるならとっくにやってるよ。監視なんてするまでもなくさ。今は誰かが開けるのを待ってるんじゃないかな」
「ならばなぜ館に近づく者を殺す?」
「うーん」
ガルトは少し考える。
「方針を変えたんじゃないかな。変死者が出たのって結構前だろ?」
確かに冒険者が相次いで変死し、ダーク・ヘヴンとの関連がささやかれたのは数年前のことだったという。それに、開かずの館を守り続けることには何の益もなかろう。
「もしそうなら、近づいただけで殺されるわけではないにしても、開けた途端に狙われそうだな」
「俺もそう思う」
ガルトも苦笑する。彼の言葉を信じるなら、開けることはいつでも可能なのだが、それは同時に一つの危険を招き寄せてしまうことにもなるわけだ。
「まあ、憶測だけどな。俺がつかんだのは、リュテラシオンの拠点の規模が大きくなってることと、館を交替で見張る島の暗殺者がいる、ってことだけだ」
理にかなった推測ではある。同時に、推測の通りであれば身動きのしようがない。
「教団ってのは、邪魔者はみんな殺すのか?」
「基本的には、任務の障害になればね。けど、この町で正体をばらしたくはないから、大がかりなことはしないように司祭が統制してるはずだよ」
「障害にならなければいいのか?」
「……手を組むつもりなら、やめといた方がいいぜ」
見透かされている。
ランディは内心苦笑しつつ、ガルトの次の言葉を待った。
「館を開けて利用価値がなくなったとたんに消されるのが落ちだ。それに奴らと組むなら、俺は協力できない」
今のところ、館に入るべく死霊を浄化できる見通しがあるのはガルトだけだ。どれだけ信用に足るのかわからないが、少なくとも見も知らぬ破壊神の信徒よりは頼りになる。
「ならば、奴らが立場上殺すわけにいかない連中を巻き込むのはどうだ?」
「どういうこと?」
「リュテラシオンの行政府を使う。ここに潜伏している以上、役所に手を出せば表沙汰にならざるを得んだろう?」
「そうだなあ」
ガルトは思案顔で首をかしげた。
「確かに行政府には手は出さないだろうけど……具体的にどうするわけ?」
「館の死霊退治を、行政府の主催で公開する。腕に覚えのある者が集まって、死霊の浄化に成功すれば賞品として館の財宝の一部をもらえるような催し物にするんだ」
「行政府は乗ってくるかな?」
「郊外に死霊の館があるのはイメージが悪いし、なにより人の近づけない場所の近くには人前に出られない奴らが集まりやすい。役人の発想で言えば、治安の上からもあの館を放置しておきたくはなかろう。それに、大陸北部で噂になっているぐらいだから、あの館に関心を持っている奴は多い。奴らのように誰かが開けたあとを狙っている連中も少なくないだろう。祭りの人集めにはちょうどいい」
「なるほど……」
ガルトはうなずく。
「もっともこれは、おまえが確実に死霊を浄化できなければ計画倒れなんだが」
「あー、それは大丈夫」
ガルトの自信の根拠は知らないが、たとえ失敗しても教団に目をつけられる危険を最低限に抑えたつもりである。他に死霊を浄化できる者が現れる可能性もないわけではないが、あの濃密な死霊の気配を思えば、そう心配することもないように思われた。
「たださ、ちょっといいかな?」
「なんだ?」
「俺が浄化するところを、奴らに見られたくないんだ」
「ふむ……」
ランディは考える。確かに、元暗殺者のガルトが教団の目のあるところで表舞台に立つのはまずかろう。
公開の場で、だが目撃されずに済む方法。
「わかった、何か方法を考えよう」
「行政府にはどうする?」
「明日俺が行く」
ランディは答え、左腕にはめられている腕飾りを示してみせる。
「恐らく、これが役に立つ」
ノルージ家当主の証。エテルナ公国の侵攻から小国ケイディアを守り、国王の信任を得て来た一門の名は、エテルナのみならず周辺地域にも知れ渡っている。エテルナに隣接するこのリュテラシオンでも、身元を保証する程度の効果はあるだろう。
十日後。
館の死霊退治コンテストが、越年の祭りの一環として開かれた。むろんランディの交渉によって実現した催し物であるが、館の存在に頭を痛めていた当局は予想以上に積極的な姿勢を見せ、魔術研究院から審査員を揃えるほどの本格的なものとなった。
審査員の前で参加者が順番に浄化に挑戦する。挑戦の前後で死霊の気配を審査し、死霊を弱めた度合によって得点が与えられる。死霊を完全に浄化できた場合は、館から回収された宝石の中から得点に応じて賞品が分配されることになっている。
祭りなだけに人出も多い。長年誰も手を出せなかったいわくつきの館に挑戦しようと、かなりの数の魔術師や霊媒師が参加を申し込んできた。教団の暗殺者も混じってるぜ、と、ガルトが小声で教えてくれる。身につけた呪具の意匠で判断できるらしい。
既に審査は始まっている。参加者用にしつらえられたテントの中にも結果を発表する声が聞こえてくるが、ほとんどの参加者は死霊を弱らせることもできないようだったが、ごくまれに少しだけ弱らせることのできる者もいて、そのたびに観客から拍手が起こっている。
「大丈夫か?」
ノルージ家の当主としての正装に身を固めたランディが尋ねる。ケイディアに伝わる鎮魂の剣舞を舞い、その陰で助手に扮したガルトが死霊を浄化することになっていた。
「ああ、心配するなよ」
すぐに答えが返ってくる。ケイディア風の長めの服をまとい、目深に帽子をかぶった姿は、一見するとガルトには見えない。
参加者番号が呼ばれ、ランディはガルトに魔剣を手渡して立ち上がった。
館の前には舞台が設けられ、その後方に審査員の机が並ぶ。そしてその周囲を観客が取り囲んでいた。リュテラシオンの住人だけでなく、遠方からやってきたとおぼしき格好の観客もいる。たかだか十日前に立ち上がった企画の割にここまで広まったのは、館の噂がそれだけ有名なためだろう。
観客の間の通路をランディは進む。後に剣を持ったガルトが続いた。帝国と接していない小国ケイディアの衣装が珍しいのか、物見高い人々の視線が一斉に集まる。
舞台に上がったランディは、観客に向けて優雅に一礼し、ガルトから剣を受け取った。
(せいぜい派手に目を引きつけてやる)
魔剣をすらりと抜き、鞘をガルトに渡す。ガルトはそのまま舞台隅に膝をつき、控えの姿勢をとる。
剣を高々と掲げ、ぴたりと止めた。
ノルージ家の剣舞は、王の前で披露することが許されている由緒正しいものだ。現在、この舞を舞うことができるのは、ランディただ一人である。
ランディは剣を構えた。
ゆっくりと一歩踏み出し、そして。
瞬間、動に転ずる。ほとばしり出る水の奔流のごとく流麗に、次々と構えの型をなぞっていく。
観客席からどよめきが起こる中、ランディの動きはいささかもよどみがない。
これが、魔剣を御し、ケイディアを守ってきた当主の証だ。ケイディア王の前でなくとも、その誇りは失われていない。
それだけではない。
(この舞が、あいつは好きだった)
思い浮かぶのは、裸足でたたずむ少女。男に生まれてノルージ家に入門したかったと言ってはばからない、気丈な娘。兄に気兼ねして当主の補佐に甘んじようとしていたランディを叱咤し、支えてくれた。
誰よりも大切な相手。
その彼女は生きながら魔剣の宝玉にされ、今も苦しみの声を上げ続けている。
彼女を宝玉に変えた実の兄を倒し、彼女を救う。ランディはそのためだけに生きている。どれほどの血を流そうと、どんな犠牲を払おうと、それだけは自分の手でやらねばならぬ。当主の正装も、由緒正しい剣舞でさえも、その手段の一つに過ぎない。
だが、彼女が好きだった剣舞は、嫌でも彼女を思い出させる。剣をきらめかせ、足を踏み出すごとに、彼女の面影が浮かぶ。
それは、あたかも彼女に捧げる舞のようであった。完璧な型の連続は、だが、どこか抑えがたい悲しみを感じさせるものとなり、見る者を魅了した。ざわめきはいつしか静まり、誰もが彼の舞を見つめていた。
舞の最後に、剣を高々と振りかざし、鎮魂の句を唱え始める。ガルトと前もって示し合わせておいた合図だ。
句を唱え終わり、剣を一気に振り下ろす。
その瞬間起こったことを、ランディは生涯忘れはしなかった。
身体の中を何かがぞくりと駆け抜けていったかのような気がして、ランディは凍りつく。
何が起きたのかはわからない。だが、何かが起きたことだけは確かだった。
世界がすっかり変わってしまったかのようにさえ感じられた。
彼だけではない。観客席も審査員席も、すべてが静まり返ったままである。
(これは……なんだ?)
あたりが一瞬だけ、何者かの意志に完全に支配されたかのように思われた。従わぬ者の存在を微塵も許さない厳然たる意志が、館の周囲を覆い尽くした。
いや、意志というにはあまりにもそれは揺るぎのないものだった。
理(ことわり)。
そんな言葉が浮かぶ。いささかの過ちも存在し得ない、峻厳な条理に支配された世界。
だが、そんなことが起こりうるのだろうか。
剣を振り下ろした姿勢のまま、ランディは立ちつくしている。
(おい、ランディ!)
せっつくように背後からかけられた小声に、ランディははっと我に返った。観客の方を向き、一礼して見せる。観客もそれで現実を取り戻したらしい。少しずつざわめきが戻り始めた。
舞台上でランディは、ちらりと館に目を向ける。そこにあるのは、ごく当たり前の古びた建物だった。先刻まで立ちこめていた死霊の気配が、まるで冗談だったとでもいうかのように消え失せている。あの一瞬は、死霊には長すぎたのだ。
誰がしたことなのか、彼は知っている。だが、そんなはずはなかった。これは、人間の及ぶ領域ではない。
彼はゆっくりと、そこに目を向ける。
舞台隅で、魔剣の鞘を捧げ持ったまま控えている男。観客を背にちらりとこちらを見上げ、片目をつぶって見せた様子には、普段と何一つ変わるところはなかった。
館はその後、行政府によって管理されることになった。館の主の死後初めて開かれた扉の奥に眠っていた宝石の数々は、当局の手によって処分あるいは保管され、リュテラシオンの財政を潤した。
ランディは狙い通りに宝玉を手に入れていた。最強の、とは言い難いが、これまでではもっとも満足のいく強さの宝玉である。ケイディアの魔剣士に一つ余計な伝説を加えてしまったのは致し方なかったが、それを差し引いても十分な収穫だった。
「よかったな、宝玉手に入って」
ケレスへ戻る船の中、ガルトがいつもの笑顔で話しかけてくる。衆目を避けるため、あのコンテスト以来二人は別々に行動し、三日後にランディが賞品を受け取ってから船で落ち合ったのだ。
「そうだな」
ランディはそれだけ言う。あの時のことを尋ねたい気がないわけではなかったが、おそらく答えは帰って来ないだろう。
「それで、これからどうするんだ?」
「しばらくは、ケレスを拠点に死霊を集めるつもりだ」
「そっか」
しばし会話が途切れる。ランディは船室の壁を彩る花飾りに目をやった。新年を祝う、レーギスの習慣である。
ややあって、ガルトが切り出した。
「もう少ししたらさ、俺、島に戻ろうと思う」
「……」
ランディは目を上げ、無言で続きをうながす。
「結構やり残してきたことがあってさ。リュテラシオンで船に乗るつても見つけたし、図書館の仕事が済んだら行くよ」
「そうか」
「それでさ、昔あの島に興味あるって言ってたろ?」
ランディは腕を組み、考える。破壊神が君臨し、暗殺者が屍鬼と化す魔の島で死霊を集めるのは、悪い考えではないように思えた。暗殺者に目をつけられる危険はあるが、ガルトがいるのなら切り抜けられるだろう。
それに何よりも、ガルトを監視しておきたい。
あれだけの力を指一本動かすことなく放ち、平然としていたガルト。秘術によって死霊を呼び込む宝玉に変えれば、想像を絶する強さになるのではないか。それをむざむざ見逃すのは、あまりにも惜しい。
ランディは手に入れたばかりの宝玉を指し示しつつ答えた。
「ああ、こいつに死霊を集めねばならんからな」
「わかった。じゃあケレスにいる間にいろいろ教えとくよ」
ランディの隠された意図を知らないガルトの笑顔は、いかにも屈託のないものに見えた。
「おまえ、結構お人好しなんじゃないか?」
思わずそう口にしてしまう。
が。
「……どうだろうね」
意に反して、ガルトはにやりと口の端に笑みを浮かべてみせた。先刻の笑顔から一転して、底知れぬ雰囲気になる。もともと表情によって雰囲気がかなりはっきりと変わる顔立ちではあるが、思わず気圧されてしまったのは、あの館の死霊を浄化した力を垣間見てしまったせいだろうか。
「世話好きなのは認める。けど、俺も自分のためにならないことまでする気はないから」
「ならばなぜ、館の浄化を手伝った? おまえになにか利益があったとでも?」
「あんたに貸しを作っときたくてさ」
「……」
ガルトのあっさりした答えに、ランディは一瞬ぽかんとし、思わず笑い出す。
「なるほど、俺は恩を売られたわけか」
「高く買ってくれよな?」
「さて。仇で返すかも知れん」
「それは、ないと思うな」
「……なぜ?」
「目的がはっきりしてて損得で判断するタイプって、行動がわかりやすいんだよ。あんたにとって俺は利用価値がある。だからむやみに損なうわけにはいかない。違う?」
ランディは黙り込む。確かにその通りだった。今回の一件で、ガルトには思った以上の利用価値があると確信したのだから。それ自体がガルトの目的だったとするのなら、ランディはそれにまんまと乗せられていたことになる。目的を首尾よく果たしたとはいえ、何だか面白くない。
「……なぁんてな、嘘だよ」
突然、ガルトはいたずらっぽく笑って見せた。
「?」
「死霊を放っておけなかったってだけだよ。前にも言わなかったっけ?」
まだ、人格が分かれていた時、死霊を浄化するかランディに手を貸すかで迷い、結局ランディに手を貸したことがある。おそらくはその時のことを言っているのだろう。
「……なら、やっぱりお人好しじゃないか」
そうまぜかえすのが、すっかりガルトのペースに乗せられてしまったランディの、せめてもの反撃だった。
それでも、どちらも必ずしも嘘ではないのだと、ランディは思う。まったくの計算ずくでも、まったくの善意でも動くことはできない。ガルト・ラディルンという人間がそこまで極端にはなりきれないことを、彼は見抜いている。だからこそ、信じがたい力の片鱗を見せたガルトにも、普段通りに接することができる。
利害の関係しないところにまで深入りするような情は持ち合わせていないし、互いに必要となれば利用し、あるいは排除することをためらわないだろう。そんなガルトとの、常に軽い緊張感を伴う関係は、だが、ランディにとって決して嫌なものではなかった。
(end)