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5 勝負のゆくえ (後)

 河川敷公園に着くなり、二人は異様な光景に気づいた。
 日曜日の昼間だというのに、人影がほとんど見えない。警官が何人か、緊張した表情で歩き回っている。
 近くにいた警官に尋ねてみようと近寄ると、警官の方が二人に気づいて先に口を開いた。
「君たち、危ないから離れていなさい」
「何かあったんですか?」
「いや、それはだな……」
「もしかして妖魔ですか? かまいたちタイプの」
 言いよどむ警官に、圭一郎が思いついて尋ねた。警官は驚いた顔になる。
「タイプまでなぜ……君たち、退魔師なのか?」
「あ、いえ」
 圭一郎はあいまいに笑ってみせる。宝珠がなければ、妖魔を退治することはできないのだ。
「そうだよな、こんなところに都合よく退魔師が来てくれるわけないか」
 警官は力なくつぶやく。どうやら、出動したものの妖魔に対する有効な方法がないために困っているらしい。
 が、その時。
「そんなことはありませんよ」
 二人の背後から、やたらと気障な声がした。
(この声は……)
 振り向かなくても誰の声かわかっていたが、一応振り返ってみる。
「おまわりさん、僕が来たからにはもう安心です。僕がその妖魔を華麗に退治してさしあげましょう」
「……流」
 圭一郎はため息まじりに従兄に向かう。
「恥ずかしいから、そういうのは倒してから言おうよ」
「ばかだなあ、倒す前だからこそ宣言になるんじゃないか。ま、君たちも僕の活躍を見てなよ」
「倒せるかどうか……」
 思わず反論しかけた征二郎を、圭一郎はあわててつついて止める。挑発に弱いという点では、この弟は学習能力がさっぱりないようだ。
「おーい、専門家が来たぞ」
 その間に警官が仲間を呼んで来ていた。あっという間に流は数人の警官に囲まれる。
「会ったことないですよね。最近こちらに越してきた方ですか?」
「え、宝珠さんのところの? ああ、息子さんなんだ」
 宝珠の名が出たとたんに、警官たちの間に安心感のようなものが広がっていった。妖魔を退治してきた優が時間をかけて獲得してきた信頼なのだろう。
 征二郎が圭一郎にささやく。
「やれんのか、あいつ?」
「もしかしたら、ね」
 圭一郎は答える。流が首尾よく妖魔を退治してくれれば、自分たちは当主にならずに済むのだ。彼の態度がいけ好かないものであるにしても、その点だけは忘れてはならない。
 その時。
「!」
 圭一郎ははっと顔を上げ、二十メートルほど離れた地面の一点を見つめる。
「どうした?」
 征二郎も圭一郎の視線の方向に目を向けた。見通しのよい広場で、なにも変わったところのないように見える。
 だが次の瞬間、地面がざわざわと波立った。続いて、黒いかたまりのような影が土煙を上げて飛び出す。影はそのまま高速で宙を駆け、近くにいた警官に襲いかかった。
「うわあっ」
 警官が肩を押さえてよろめいた。影は速度を落とさずに再び地面に潜り込み、姿を消す。影が飛び出してから姿を消すまで、わずか二、三秒しかなかった。
「大丈夫か?」
 警官たちが駆け寄って来る。肩を押さえた警官は、痛みに表情をゆがめていた。命に別状はないようだが、押さえた手が血に濡れているのが見える。
「……!」
 圭一郎は息をのんだ。妖魔が人を襲うことも、そのために負傷者や、時には死者が出ることさえあるのも知っていたつもりだった。だが、目の前で妖魔に人が襲われ、けがをしたのを見たことはなかった。
 妖魔と対峙することは、危険を伴う。それは当たり前の事実であったが、圭一郎が実感したのはこの時が初めてだった。
「妖魔か?」
「わからない……急になにかが襲ってきて」
 警官達のやり取りに、征二郎が首をひねる。
「見てなかったのか? あの妖魔……」
「上に出てたのはあっという間だったからね」
「そうか、俺だって圭一郎が言わなきゃわかんなかった……」
 征二郎はそこで、はっとした表情になる。
「出る前から、おまえ、わかってたんだよな」
「うん」
 圭一郎はうなずく。
「地面の中をすごいスピードで動いてるんだ。地面近くに上がってくれば、どこから出るかはわかるよ」
「……流は? 気づいてなかったのかよ?」
「どうだろう」
 あの時は、妖魔の気配のする地中に気を取られ、流の動きなど見ていなかった。
 流は警官となにやら話し合っている。宝珠を片手に持って話す身振りや表情から、次に出た時にはしとめるから見ていてくれ、というようなことを言っているようだ。
 ややあって、警官の一人がこちらに歩いて来る。
「彼が退治を完了するまで、一時避難する。君たちも来なさい」
(大丈夫かな)
 圭一郎と征二郎は顔を見合わせたが、そのまま警官の後についていき、一緒に流の様子を見守ることにする。
 流は手に宝珠を持ち、あたりの気配をうかがっているようだった。勝負がかかっているとはいえ、傷害型の妖魔にたった一人で立ち向かおうとしているのはまあ見上げたものだと、圭一郎は思う。これで見事に妖魔を退治できるのなら、勝負を降りて流に当主を任せてもいいかも知れない。
 が。
「……違う、そっちじゃない」
 圭一郎は低くつぶやいた。再び地面近くに上がってきている妖魔の気配から、次の出現場所が読みとれる。ちょうど、流の真後ろだった。流は気づいていないのか、警戒態勢をあさっての方向に向けてとり続けている。
(どうするんだよ……もうすぐ来るぞ)
 じれったいほどに、流は妖魔の気配の方向に気づかない。
(ああ、もう!)
 たまりかねて圭一郎は叫ぶ。
「流、後ろ!」
 いぶかしげに振り返った流の眼前に、黒い影が飛び出した。流は宝珠をかざし、剣に変える呪を唱え始める。
「掛けまくも畏き……わあっ!」
 間に合わなかった。
 宝珠を剣に変える間もなく、影は流の手をかすめ、再び地面に潜って見えなくなる。
「流!」
 二人は思わず飛び出した。警官の何人かがあとに続く。
「い、いたた……」
 流の手の甲にはざっくりと裂傷ができている。深い傷ではないようだが、血が止まらない。
「なんだよ、こんなのってないよ……」
 警官の応急処置を受けながら流は戸惑ったようにつぶやいている。宝珠を取り落としてしまったのにも気づいていないようだ。自分が妖魔を倒せず、かえってけがをしてしまったことが信じられないといった様子である。
「なにやってんだよ流、だめじゃん」
 征二郎の声を聞きながら、圭一郎は足元に転がった宝珠を拾い上げる。
(流には無理だ)
 圭一郎にはわかる。
 妖魔が地上に姿を現してから呪を唱えていたのでは、間に合うはずがない。だが、流は圭一郎と違って、呪を唱えなければ宝珠を剣に変えられないし、剣がその形を保っていられる時間はそう長くない。
 しかも地上に現れるまで、流が妖魔に気づいた様子はなかった。
 流を積極的に応援したいわけでも、活躍を妨害したいわけでもない。ただ、客観的に見て流がこの妖魔を倒すのは不可能だ。それを圭一郎ははっきりと悟っていた。
 だがそれならば、数分おきに負傷者が出ているこの事態を、誰が解決できるというのだろうか。
「!」
 妖魔の気配。
 圭一郎はその方向を見やった。数十メートル先にある、公園に併設された野球のグラウンド。
 妖魔が姿を現せば、また負傷者が出る。
 圭一郎は宝珠をぐっと握りしめた。目をまっすぐにグラウンドに向けたまま、宝珠を握った手を傍らの征二郎に向けてつき出す。
「征二郎! これ持ってホームベースに走れ!」
 彼がそう叫んだ瞬間、手から光が放たれ、剣と化す。
 剣が手から離れる感覚がある。征二郎が剣をつかみ、そのままグラウンドの方向に走り出していた。速度を上げながら、鞘を払う。圭一郎には抜くことのできなかった剣が、征二郎の手の中でするりと抜けた。征二郎は鞘を捨てて抜き身の剣を構え、まっすぐに走っていく。
 征二郎の肩ごしに、刃が輝きを放っているのがわかる。強い力が感じられた。妖魔を断ち切り、塵と変える力。
 妖魔の姿は、まだ現れていない。
「来るぞ!」
 圭一郎は叫ぶ。その瞬間、ホームベースのあたりからあの黒い影が飛び出した。その形は四つ足の獣に見える。
 影は剣を構えた征二郎目がけて宙を飛ぶ。
 次の瞬間、征二郎と影が交錯した。
(やったか?)
 圭一郎はじっと様子を見守る。
 斬られた影は霧のかたまりのようにしばらく空中にとどまっていたが、やがて薄れて消えていく。
 剣を構えたまま影を見つめていた征二郎が、問いかけるように圭一郎に顔を向けた。
 妖魔の気配はもうどこにも感じられない。圭一郎がうなずくと征二郎はガッツポーズを取って見せ、様子を見守っていた警官たちが一斉に拍手した。

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