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3 つかめないシッポ(2)

「どうしたんだよ?」
「起ーきーろー!」
「ねえ、やっぱりなんか変だよ」
 ただならぬ様子だった。囲まれた机に突っ伏している男子生徒の背中が見えるが、呼びかけに反応する様子はない。圭一郎が近寄って声をかけた。
「どうした?」
「宝珠先輩……」
 先月まで生徒会長を務めていた圭一郎の顔は一年生にも知られていた。クラス委員らしき、きまじめそうな女子生徒が答える。
「さっきの授業中からずっと、目を覚まさないんです。彼、熟睡することはあるんだけど、ちょっと普通じゃない気がして」
「!」
 圭一郎と征二郎は顔を見合わせる。
「誰か、担任の先生を呼んできて。それから、授業中になにか変わったことはなかった?」
「変わったこと……ですか?」
 女子生徒は首をかしげ、助けを求めるように同級生に視線を向けた。
「さあ……」
「眠かったしなあ」
「みんな寝てたんだ」
 圭一郎の言葉に、女子生徒が恐縮した表情を見せた。
「すみません、今日の安原先生の授業だけはなんだか耐えられなくて……」
「今日の?」
 どこか引っかかる気がして圭一郎は聞き返す。
「いつもはそんなことないの?」
「はい。授業中眠ってしまったのなんて初めてです」
「あ、僕もです。いや、初めてじゃないけど、今日は異様に眠かった」
「あの、私も」
 そばで聞いていた一年生が数人、手を挙げて口々に語る。
「これは……」
 圭一郎が腕組みをして考え込もうとした時、担任の教師が駆けつけてきた。とりあえず眠ったままの生徒を保健室に運ぶというので、二人はひとまず教室を離れることにする。
「どうする?」
 階段を降りながら、征二郎が尋ねた。
「ひとまず出直すよ。今日はもう妖魔が出ることもなさそうだし」
「やっぱり、安原の授業に出てるのか?」
「そう考えていいと思う。今のところはね」
 圭一郎は慎重に答えた。
 少なくともこれまで、妖魔は安原の授業にしか出現していない。なぜなのかはまだわかっていないし、この先ほかの条件で出現しないという保証もないが、すぐに大きな変化を見せるようなことはないだろう。
 このあとどうするかを圭一郎は思案していた。妖魔の出現条件と影響について新しい情報を得られたのだ。これをもとに、再びデータベースを見てみる必要があるだろう。それに、目を覚まさない一年生の状態を観察する必要もある。のんびりしてはいられない。
「あの一年生はどうなるんだ?」
 征二郎の問いに、圭一郎は最近聞いたばかりの話を思い出して答える。
「一昨日だったか、伯父さんが言ってたろ? 妖魔のせいで涙が止まらなくなったってケース」
「妖魔を倒したら止まったってやつ?」
「うん。本当に妖魔のせいなら、倒すまで彼、起きないかも知れない」
「そうか……」
 征二郎の声がふと沈んだ調子になる。
「……あのさ」
 征二郎はふと足を止めた。圭一郎が振り返ると、征二郎はいくぶん言いにくそうに切り出す。
「さっきはごめんな」
 路上での口論のことだろう。普段、こうした口論の後で征二郎が先に謝ることはあまりない。珍しいな、と圭一郎が思っていると、征二郎はさらに続けた。
「俺がしっかりしてたら、被害者も出なかったかも知れないのに」
「……」
 おまえのせいじゃない、と、圭一郎は言おうとした。安原の授業で眠ってしまうのが妖魔の影響なのだとすれば、眠っていた征二郎を責めるわけにはいかない。それに、気配をただ感じるだけでほかに何もできない自分が、責任を逃れられるはずもない。
 だが、今は誰のせいかを問題にしている時ではない。すべきことはいろいろあるのだ。
「気にするなよ。これからだ」
 励ますように声をかけ、圭一郎は歩き出した。

 弓道場は校舎の北、各クラブの部室が入ったプレハブの建物を通り過ぎた先にある。薄暮の中、二人が近づいていくと、ちょうど中から出てきた人影に行き会った。
 征二郎のクラスメイト、滝護宏である。弓道部員は練習中、白い道着と黒い袴に着替えるが、今の護宏は普段の制服姿だった。
「あ、ちょうどよかった。おーい」
 声をかけた征二郎に気づき、護宏は足を止める。
「よう、部活終わったのか?」
「……」
 護宏は無言で征二郎を見た。
 沈黙が流れる。
「……えーと」
 征二郎は話の続けようのなさに困惑した。
 護宏は寡黙なことで有名である。しかもただ無口なだけではなく、無言のうちに発する底の見えない迫力が、彼に近寄りがたい雰囲気を与えていた。特に何をしているわけでもないのに、周囲を威圧し、すくませてしまう。本人がそれを自覚しているのかはわからないが、進んで他人と世間話に興じるつもりは一切ないようだ。
 見ればわかるだろう。何の用だ。
 無言のうちにそんな返事が読みとれる。征二郎は挨拶をあきらめ、用件を伝えることにした。
「安原先生から伝言。さっきの授業中の質問のことで、職員室になんか取りに来いってさ。三十枚」
「わかった。ありがとう」
 端正な顔に特に際立った表情を浮かべることもなく、護宏は答える。
(何が三十枚か、気にならないんだろうか)
 征二郎の疑問を知ってか知らずか、護宏はそのまま歩み去ろうと足を踏み出しかけた。
 が、その時。
「ちょっと待って」
 圭一郎が呼び止める。
「さっきの安原先生の授業中、寝てなかったんだね?」
「授業中はふつう、寝るものじゃないだろう」
「ふつうはそうだけど、さっきはそうじゃなかったんだ」
「……」
 護宏は続きを促すように、圭一郎に視線を向ける。
「あの授業中に、妖魔が出てた。でもみんな眠ってて、何が起きてたのかよくわからない。だから、なにか気づいたことがあったら教えて欲しいんだ」
 護宏はじっと圭一郎の言葉を聞いていた。どうしたわけか、妖魔という言葉にも驚く様子はない。
 そして、さらりと言ってのける。
「……誰も気づいていなかったわけか」
「え?」
 圭一郎はどきりとした。少なくとも護宏は何かに気づいたということだろう。
「天井に黒い影が張りついていた。授業の終わる五分ぐらい前だったな」
「!」
 圭一郎が妖魔の気配を感じた時間と一致する。それが妖魔であることは、ほぼ間違いないようだった。
「動いたりはしてた?」
「いや。ただ、少しずつ形がはっきりしていったように見えた」
「実体化しかけてたんだ……」
 征二郎のつぶやきを耳にしながら、圭一郎は問いを重ねた。
「ちなみに、妖魔の気配とかわかる方?」
「……いいや、全然」
 護宏の返答には、ごくわずかな間があった。一瞬言いよどんだようにも聞こえる。が、圭一郎は気づかなかったようににっこりと微笑んだ。
「どうもありがとう。助かったよ」
 護宏はそのまま校舎の方へ歩み去って行く。その後ろ姿を、圭一郎はじっと見つめていた。
「どうした?」
 征二郎が不思議そうに声をかける。
「いや、なんでもないよ。僕たちも帰ろう」
 圭一郎はそう言って歩き出した。

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