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第四話 鈴の退魔師

1 ただいま訓練中(下)

「えー、市民の皆さん、妖魔は退治されました。現場検証が済むまで今しばらくお待ちください」
 すかさず別の職員と警官が駆け寄ってきて、妖魔役の職員の周囲で寸法を測り出す。妖魔はふつう、退魔師に退治されると消えてしまうため、こんな現場検証は行われないのだが、あくまで訓練上の手続きである。
「ほら、圭一郎」
 戻って来た征二郎が、元のかたちに戻った宝珠を突き出した。一仕事終えた表情だ。
「おまえなあ。もうちょっと人の目も考えろよ」
「なにが?」
「……いい。なんでもない」
 周囲の目を考えて気配りするなど、この弟にできる芸当ではない。そう気づかされ、圭一郎はため息をついた。
「なんだかわかんないけど、圭一郎、気ぃ回し過ぎると速く老けるぜ」
「大きなお世話だ」
 圭一郎は宝珠を受け取り、しまい込む。
 その時。
「こ、こんにちは……」
「!」
 突然ぼそぼそとした声がかけられる。話しかけられるまで声の主にまったく気づいていなかった二人は、思わず飛びのいた。
 声をかけてきたのは、小柄な警官だった。うつむきかげんで表情がとぼしく、あまり存在感を感じさせない。近づいてきていたのに二人とも気づかなかったのは、恐らくそのせいだろう。
「あ、入江さんか」
 見てみれば、なじみの顔である。入江潤三という名の、妖魔対策課に勤務する巡査だ。
「ど、ども、お久しぶりです」
 圭一郎があわてて挨拶すると、入江はわずかに頭を下げる。挨拶を返したつもりらしいが、かすか過ぎてわかりにくい。
「今日は……ど、どうも、ありがとう……ございました」
「あ、いえ」
 圭一郎は戸惑い気味に返事をする。
 ひどく内気な入江は、十歳以上も年下の二人に対してもひどく遠慮がちに話す。それでも話しかけられるようになった分だけ、二人が当主になった頃に比べればまだましになってきたと言えよう。それだけに、返事には人一倍気を使ってしまうのだ。
「もう帰っちゃっていいんですか?」
 圭一郎の返事をさえぎり、征二郎が尋ねる。こちらは気遣いなどまるきり考えていない。
「……はい」
「よし、じゃ帰ろうぜ」
「ちょっと待てよ。入江さんについでに聞いておきたいことがあるんだ」
 入江を驚かさないように気を使いながら、圭一郎は尋ねる。
「うちの学校の近くで最近、妖魔の気配がするんですけど、何か情報ありませんか?」
「黎明館の?」
「はい。あ、でも高校じゃなくて大学の方かも。気になってるんですけど、行く前にいつも消えてしまうんで」
「……」
 入江がじっと考え込んだ。ややあって、ぽつりとつぶやくように言う。
「やっぱりあれは妖魔なのかな」
「あの件?」
「……最近、黎明館大学の正門付近から、道に迷ったという通報が連続しまして」
「道?」
 意外な返答だった。
 黎明館大学は高校とは敷地を接しているが、正門はそれぞれ別にある。住宅地の中に正門のある高校とはとは異なり、大学の正門は駅前からまっすぐに伸びるバス通り沿いにあり、普通はまず迷うことはない。
 しかも。
「なんか妖魔と関係あんの?」
 当然と言えば当然の問いを、征二郎が口にする。
「ムジナタイプかも知れない、と」
「ムジナ?」
 二人は首をかしげる。妖魔のタイプのようだが、二人がまだ見たことのないものだ。
「ムジナタイプは人の感情のたかぶりをトリガーにして出現します」
「トリガー?」
「出現のきっかけのことだってば」
 聞き返した征二郎に、圭一郎が素早く小声で答える。
 入江は説明を続けた。
「怒っている人をからかってさらに怒らせたり、急いでいる人を迷わせたり、怖がっている人を脅かしたりする迷惑型なんです」
「さっすが、入江さん」
 征二郎が手を叩く。
 内向的な入江だが、妖魔に関しては人一倍詳しい。ふだんは途切れがちな話しぶりも、妖魔の話題になると途端によどみなくなる。妖魔対策課になくてはならない人材だ。
「そのせいで迷った人が通報してきたってことですか?」
「ひょっとすると、ですが」
「うーん」
 圭一郎は考え込む。妖魔の気配はたしかに感じるのだ。だが、感じた気配を追いかけても、出現地点に着いた頃には消えてしまっていることが多い。妖魔を探し当てるのは、ひどく手間のかかることなのだ。
 どうすれば、入江の情報と圭一郎の感じた気配をつなぐ手掛かりが得られるのだろう。
「あ」
 入江が思いついたように声を上げる。
「圭一郎君が気配を感じた時間と、通報があった時間を照合してみましょうか」
「そうか。じゃあメモ取ってたから……」
 圭一郎は手帳に書いてあった時刻を別のメモに書き写す。
「おまえ、マメだなー」
 呑気に征二郎が言った。
「当然だろ?」
 黎明館大学周辺に他に退魔師はいないから、いずれは自分たちで退治することになるだろう。そのために感じた気配の記録を取るようにしているのだ。
 もしも時刻が一致すれば、データベースの情報から出現場所を予測して退治しに向かうつもりだ。
「じゃあこれ、お願いします」
 圭一郎が写した時刻を入江に渡してから、二人は駅前広場をあとにした。

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