あとには征二郎と凜が残された。
「相変わらず、圭一郎は心配性ねえ」
書庫の壁にもたれて、凜がくすくすと笑う。
「まあ、あいつがいろいろ気まわしてくれるから、俺は楽でいいかな」
「それ、圭一郎の前で言っちゃだめよ」
凜に言われるまでもない。気をまわし過ぎた圭一郎の取り越し苦労と、ついつい口をついて出る厭味には慣れ切っているし、大して気にならない。
「書庫で何見るんですか?」
「うちの先祖の記録。妖魔の対策にならないかと思って」
「対策?」
「最近、増えてるでしょ。なにか打つ手が見つからないかと思ったの」
「ふぅん」
リンリンさんだってかなり心配性な方だよな、と征二郎は思う。面と向かって口に出せば怒られるだろうが。
それにしても。
「昔の字が読めるなんて、すごいっすね」
昔伯父に見せてもらった先祖の日記がただの曲線にしか見えなかったのを思い出しながら、征二郎はそう言ってみる。
「ものによる、かな」
「あれ? そうなんだ」
退魔師として彼らより経験を積んで研究熱心に見える凜でも、読めないものがあるのだということが、征二郎には興味深く思えた。
「なによ失礼ね、読めないものぐらいあるわよ。あ、そうだ」
凜はふとなにかを思いついたようだ。
「今度、後輩連れてきていいかな、ここに」
「後輩……学校の?」
「そう。古文書の読める子だから……」
「かわいい子?」
凜の言葉をさえぎって、征二郎は尋ねる。凜の通う慈愛女子高校は、派手ではないが清楚な女の子が多いことで評判だった。
「もう、なに言ってるのよ」
凜があきれたように笑う。
「そんな子じゃないし、だいたい沙耶には」
そこで凜は、なぜかふっと口をつぐんだ。
「……征二郎」
それまでとはいくぶん異なる、どこか真剣な調子の声。
「あんた、二年の理系クラスだったわよね」
「は? まあ、一応は」
唐突な問いに、征二郎は戸惑う。
「あんたのクラスに……その」
明らかに凜はなにか言いにくいことを話そうとしていた。いくぶんうつむき加減に言いよどむ。
「なんですか?」
「……」
凜は長い間考え込んだ。口にすべきかどうか迷っている、そんな様子だった。
「先輩?」
「……ごめん、なんでもない」
やがて顔を上げた凜は、つとめていつものように振る舞おうとしているように見える。
「今度にしましょう。急ぐことでもないし、なにかあったら圭一郎が動くだろうしね」
「はあ」
征二郎にはなんのことかさっぱりわからなかった。自分のクラスに関係がありそうだということはわかったが、取り立てて心当たりもない。
ちょうど圭一郎が書庫の鍵を持って戻ってきたので、征二郎はとりあえず凜の言葉を忘れておくことにした。いずれわかるならその時に考えればいいや、と、征二郎は思う。先回りしてあれこれ悩むのは、少なくとも彼の性分ではないのだ。