[index][prev][next]

第四話 鈴の退魔師

3 大学への長い道程(下)

 不意に。
 後方からクラクションを鳴らされ、凜は振り向く。見ると、空色のハッチバックの運転席で誰かが手を振っていた。
「凜ちゃん、どうしたんだい?」
 開いた助手席の窓越しに、覚えのある声がした。
「流、ごめんね、今急ぐから」
 急いでいる時に、あまり相手にしたくはない。だがそう言って歩き出そうとした凜を、流はさらに呼び止めた。
「待ってよ、どこだか知らないけど、送ってあげようか?」
「!」
 渡りに船。
 凜にとっては願ってもない申し出だった。
 あまり頼りにすると、流の勘違いをさらに強固なものにしてしまいかねない。だが彼も通っている大学までなら、大した問題にはならないだろう。
「送ってくれるの?」
 そう尋ねると、流はすぐに助手席のロックを解除した。凜は急いで乗り込む。
「さあ、どこにしようか。みのりが丘展望台なんてどう? 夜景がきれいなんだってさ」
「今、昼だから」
 反射的につっこんでおいて、凜は手早く用件を切り出す。
「推薦の面接が一時からなの。黎明館の正門まで行ってくれる?」
「そ、そんなに近いの……」
 流は拍子抜けしたようにつぶやく。いったいどれほど遠くまで歩こうとしていたと思ったのか、つっこみを入れたい気持ちを凜は押さえた。
「よぅし、じゃあ裏道抜けていこう。十分もかからないよ」
 気を取り直したのか、流はウィンカーを出し、細い脇道に乗り入れる。慣れたハンドルさばきに、凜は少し安心した。
「どうもありがとう。助かったわ」
「じゃあさ、合格したら展望台に行かない?」
「河川敷公園じゃだめ?」
 流の誘いをさすがに断れる立場ではなかったが、それでも夜になるとカップルのたまり場と化す場は避けようと、凜は交渉を試みる。周囲にカップルが多いのは構わないが、そんな場所に行けば流はほぼ確実に、自分たちもカップルなのだと勘違いするだろう。
 なにかと親切なのはありがたいが、流とカップルになりたいわけでも、そう見られたいわけでもない。
「えー、まあ、凜ちゃんの頼みなら仕方ないなあ」
 流が意外と素直に応じたので、凜はほっとした。
 車は狭い道をいくつも抜けて行く。運転経験のない凜には、どこを走っているのか見当がつかなくなっていた。ただ流の自信ありそうなハンドルさばきを信じるしかない。
 時計は十二時四十二分。面接の時刻まであと十八分に迫っている。
「あとどれくらい?」
 思わず心配になって尋ねると、自信に満ちた答えが返ってきた。
「もうすぐだよ。そこの角を曲がってまっすぐ行けば……」
 片手で指をさして見せた流の声がふっと途切れる。凜はいぶかしげに流が指さす方向を見やった。
 一台のパトカーと、かたわらで誘導灯を振っている警官。
 警官の視線は明らかに流の車に向かっている。
「あ、いけね」
「どうしたの?」
「さっき、停止線で停まるの忘れちゃってさあ」
「!」
 これも不運の続きなのだろうか。
 なんでこんな時に違反なんかするのよ、と怒鳴りたい気にかられはしたが、裏道を急がせたのは自分自身だという負い目もあり、凜はぐっと怒りをのみ込む。
 車は警官に誘導され、道路脇の空地に停車した。
「はい、免許証出して」
 交通課の警官とはさすがに面識がない。もっともあったところで違反は違反であることに変わりはないのだが。
 流は素直に免許証を出し、警官が手元の紙片になにかを書き込んでいる。 
 なにやら、時間がかかりそうな気配がしていた。
「流、私歩いて行くね。ここまでありがとう」
 凜はそう言って車を飛び出す。
 あと十五分。大学はまだ見えない。
「突き当たりを左に行って道路渡ったら正門だから」
 窓越しに流が教えてくれる。手を振って謝意を表し、凜は駆け出した。
 突き当たりを曲がると、はたして正面に大学の正門が見える。  
 あと少し。 
(急がないと……!)
 横断歩道を渡れば正門はすぐだが、信号は赤だ。
 時刻は十二時五十二分。あと十分を切っている。
(大丈夫、走れば間に合うから……)
 そう自分に言い聞かせ、凜は信号が変わるのを待った。
 その時。
(!)
 凜ははっとして周囲を見回した。
 姿こそ見えないが、気配がする。
 妖魔の気配。
 それも、すぐ近い。

[index][prev][next]