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7 妖魔の多い休日

3 商店街はパニック(上)

 妖魔退治を終えた二人は、川近くのバス停で駅へ向かうバスを待つことにした。時刻表を見ながら、圭一郎はぼやく。
「すっかり予定が狂った……」
「予定って、なんだっけ」
「あのな」
 征二郎の暢気な言葉に、圭一郎はあきれて答える。
「おまえの参考書を買いに行くんだろうが、物理の」
「あー、そうだったそうだった。けど何買えばいいんだ?」
「僕にわかるわけないだろう。物理なんて取ってないんだから」
「ちぇっ、なんで理系じゃないんだよ」
「おまえに進路を合わせてどうするんだ。だいたい、クラスの誰かに聞けばいいじゃないか」
「もう聞いてまわったよ。で、わかったことがある」
「なに?」
「できる奴は、参考書を買わないんだよな。で、俺と同じぐらいの奴らは、何がいいのかわからない」
「……なるほど」
 妙に納得してしまった。征二郎は、たまにとても鋭い。
 圭一郎はこれまで参考書というものに頼ったことはない。必要なことは教科書に書いてあるし、要点までまとめてある。それ以上のことが知りたければ、自分でいくらでも調べられる。なぜわざわざ中途半端な情報源を買わねばならないのか、圭一郎にはよくわからなかった。
「じゃあ、買わなくていいんじゃない?」
「でもさ、持ってたらなんか安心じゃねえ?」
「お守りかなんかか?」
「似たようなものじゃん」
「あのなあ」
 そんなだから成績が上がらないんだ、と説教しようとした圭一郎は、征二郎の視線が脇にそれていることに気づく。見ると、バス停に向かって一人の少女が歩いてくるところだった。
 出水沙耶。今日は制服ではない。オフホワイトを基調としたコートとブーツ姿で、清楚な雰囲気とよく合っていた。
「出水さんだ、おーい」
 征二郎がいちはやく手を振っている。会って間もない相手に対しても、征二郎は少しも物おじしない。圭一郎も人当たりのよい態度をしてみせることはできるが、どうしても一瞬構えてしまう分、出だしがわずかに遅れることが多い。
 征二郎の声に、沙耶は顔を上げて会釈した。バスに乗りに来たのだろう、そのまま圭一郎たちの隣に並ぶ。
「お出かけですか?」
 先に口を開いたのは沙耶だった。
「駅前まで参考書買いに。出水さんは?」
「わたしですか?」
 沙耶は小首をかしげて微笑む。
「美鈴先輩に会うんです。渡したいものがあるから」
「あ、そうか、この間も話してたもんな」
 沙耶の口から凜の名前が出たことに圭一郎は驚いたが、征二郎がそれを当たり前のように受け流しているのに、さらに驚く。
「先輩、知ってるんだ」
 圭一郎は思わず口を挟む。
「この間うちの高校の正門前で話してた」
「僕は聞いてない」
「あれ、そうだった?」
 征二郎に悪気はないのはよくわかる。わかるだけに、いつも後から大事なことを知らされているのがじれったい。 
「学校の……古美術同好会の先輩なんです」
「古美術?」
「骨董品の値打ちを調べたり、国宝を見に行ったりするんですけど、美鈴さんは古文書を読んでいて、わたしと関心が近いから、よくお話しするんです。解読を手伝ったり……」
「あ、もしかして」
 征二郎が思い出したように声を上げた。
「うちの書庫に連れて来たい後輩って、出水さんのことかな?」
「なんだよ、それ?」
 圭一郎はさえぎる。この話も聞いていない。
「ほら、リンリンさんがうちの書庫に来た時。鍵を待ってる間に言ってたじゃん」
「鍵を取りに行ったのは僕だ。聞いてるわけないだろうが」
「あ、そうか」
 二人のやり取りを見ていた沙耶が、くすくすと笑う。
「宝珠さんたちって、おもしろいですね」
「……」
 圭一郎は決まり悪げに黙り込んだ。征二郎のほうは、まったく気にせずに沙耶と会話を続ける。
「苗字じゃ区別つかないから、名前で呼んでよ。俺が征二郎で、こっちは圭一郎だからさ」
「わかりました、征二郎さん」
 バスが三人の前に停まる。乗り込みながら、圭一郎は考え込んでいた。
 沙耶から話を聞き出すいい機会かも知れない。 圭一郎も征二郎も知らない、滝護宏の別の一面を。
「出水さん、ちょっと聞いていいかな」
 思い切って、征二郎の向こうに立っている沙耶に話しかけてみる。沙耶は春の日だまりのような微笑をこちらに向けた。
「なんでしょう?」
「今日は滝と一緒じゃないんだ」
 つい先刻護宏と会ったばかりだということを隠し、さりげない口調を装って尋ねると、沙耶は気になる返事をよこした。
「ええ、美鈴さんが怒るから」
「どうして?」
 当然といえば当然の問いを返すと、沙耶は手すりに軽くつかまってバスの振動に身を任せながら、少し考えるしぐさを見せた。
「よくわからないんです。ただ、美鈴さんはなにか感じられるらしくて。危ないから近寄るなってよく言われます」
「滝に?」
「はい。どうしてなんだろう……」
 沙耶の横顔を見ていれば、彼女が心底当惑している様子が見て取れる。
「もしかしてリンリンさん、おまえと同じこと感じてるわけ?」
「たぶんね」
 征二郎の問いに、圭一郎はうなずく。同じ退魔師である凜ならば、あの奇妙な気配も感じ取れるだろう。危機感を抱いたとしても不思議ではない。
「お二人もわかるんですか?」
「俺はなにもわかんないけど、こいつにはわかるみたい。さっきも……」
「お、おい!」
 先刻のことまでしゃべりかけた征二郎を、圭一郎はあわてて止める。
(なにも今わざわざ言わなくてもいいだろうが!)
「あ、なんでもない。ちょっと人と違う気配がするな、ってだけだよ」
 あわてて取りつくろってみせる。沙耶は少し不思議そうな表情をして考え込んでいたが、やがて思い切ったように口を開いた。
「圭一郎さんもやっぱり、護宏のこと……妖魔だと思いますか?」
「え?」
 沙耶の言葉に、圭一郎は少なからず驚いた。
「美鈴先輩……そう言ったの?」
 沙耶はうなずく。
 まさか、妖魔だなんて。
 その疑いはあると、圭一郎は思っている。だが、それを誰かに言う気にはなれない。そこまで確信があるわけではないからだ。そもそも、人にまぎれて暮らす妖魔など、これまで誰も見たことがないはずである。
 凜はなにか確証をつかんでいるというのだろうか。
「そうなんですか?」
「い、いや、まさか」
 なにをどう答えてよいものかわからず、圭一郎は返事に窮した。
「そんなふうには思ってないよ」
 今のところは、という言葉は呑み込む。沙耶はほっとしたような表情を見せた。
「よかった。わたしには気配ってわからないから、違うって強く言えなくて」
「……」
 圭一郎は言葉を返せなかった。違うともまだ言い切れないのだが、沙耶には言いづらい。
「違うのは違うんだ」
 言葉に詰まった圭一郎にかわって、征二郎が尋ねている。
「ずっと一緒でしたから。それに、妖魔にはよく遭ってしまうから、違うのはわかります」
 圭一郎は、先刻の護宏の言葉を思い出す。あの子どもに妖魔を説明する時、彼は「沙耶がよく遭う」と言っていた。
 ごくまれに、妖魔に頻繁に遭遇してしまう人がいる。偶然なのか、なんらかの原因があるのかはわからないが、退魔師でもないのに妖魔の起こす怪事件によく巻き込まれてしまうのだ。
 沙耶も、そんな一人なのだろうか。
「そういえばこの間も、捕食型が出たところにいたよな」
 征二郎が得心した顔でうなずく。
「……」
 圭一郎は黙り込んだ。
 奇妙な気分がしてならない。
 妖魔に狙われやすい沙耶。妖魔の気配を放つ謎の存在を守る護宏。二人が幼なじみなのは、単なる偶然なのだろうか。
「あ、次降ります」
 沙耶が停車ボタンを押した。駅の二つ手前のバス停で降りるつもりのようだ。
「それじゃあ、また」
「またねー」
 征二郎が手を振り、開いたドアから沙耶が降りていく。
 その時、考えにふけっていた圭一郎が、不意に顔を上げた。
「征二郎、降りるぞ!」
 言うなり圭一郎は、バスのステップを駆け降りた。駅前から伸びる商店街の入口が、すぐそばに見える。
 圭一郎は商店街に入って行こうとしている沙耶を呼び止めた。
「出水さん、止まって! 奥に妖魔がいる」
「えっ?」
 沙耶が驚いたように振り返る。その横をすり抜けて、圭一郎は商店街に駆け込んだ。
「今度はどこだよ?」
 後を追う征二郎が叫ぶ。
 圭一郎は宝珠を手に見渡す。二十メートルほど先で、人の流れに異常が起きているのが見えた。一軒の店とその周辺から、人々が逃げ出そうとしている。
「あの辺だ。行こう」
 逃げ出してくる人々と騒ぎに気づいて立ち止まる人々とで、休日の商店街は混乱している。混乱の中、二人は騒ぎの中心とおぼしき店を目指した。

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