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8 ヒドゥン・プロジェクト

2 決まらないシュート

「けっこう、人入ってるんだな」
 決勝戦が行われる県立体育館に入るなり、圭一郎が感心したように言った。通路には大勢の人が行き交っている。観客席もあらかた埋まっていた。高校の県大会の観客にしては多いように、圭一郎には思える。
 よく見ると、見知った顔も交じっている。母校の応援に駆けつけた同級生たちだ。征二郎が得意げに説明する。
「全国がかかってるからさ、生徒会から各部に招集がかかったみたいだぜ。みんな応援に来いって」
 黎明館の生徒が集まっているあたりに空席を見つけ、二人は腰を下ろす。試合はまだ始まっておらず、黎明館と対戦校の選手たちが練習している様子が見られた。共生学院、略して共学と呼ばれるが、男子校である。
「よう、おまえらも来たか」
 通りすがりに声をかけてきたのは、生徒会長の貴志渉だった。
「君がこれだけ集めたの?」
 圭一郎はそう尋ねてみる。「乱世の貴志」と異名を取る彼は、イベントや突発的な事件になると卓抜したリーダーシップを発揮する。先日のオブジェ騒動の時も彼の指示のもと、全校を埋めつくした妖魔を集めて片付けることができた。
「ああ。せっかくの決勝戦だし、わりと近場でやるしさ。ここで人集めないでどうするんだよ」
「たしかに。でも僕には伝わってなかったよ」
「そうなんだ。思いついたのが昨夜だったから、部活に入ってない奴にまで連絡しきれなかったんだよな」
「次は一週間ぐらい前には連絡した方がいいんじゃないか?」
 圭一郎がそう言うと、貴志は軽い笑い声を上げた。
「次って全国大会? 気が早いな」
「いつだって、あらゆる事態を想定しておくものだろう?」
「さすが、『治世の宝珠』らしいな」
 常に入念な準備を済ませて行動し、不測の事態を発生させない。圭一郎の生徒会の運営方針は、貴志とは対照的だった。生徒会に限らず、圭一郎は事前に可能な限りの事態を想定しようとする。それゆえに取り越し苦労は多いが、予測していなかった事態にあわてふためくよりはましだと、圭一郎は思っていた。
「まあ、次を考えるべきかどうかはこの試合にかかってるわけだ。まずは試合を見ようぜ」
 貴志はコートの中を指さす。選手たちが整列していた。もう試合が始まるのだろう。
「勝てそうなのか?」
 歩み去る貴志を見送ってから隣の征二郎に尋ねてみると、征二郎はコートから目を離さずに答える。
「結構いけるかも。相手も決勝まで来たのは初めてだし、練習試合じゃわりと勝ててるんだ。ただ、準決勝で久隅に圧勝したところだから、油断はできないけどさ」
「久隅に……圧勝?」
 圭一郎は思わず聞き返す。バスケットボールに詳しくない圭一郎でも、久隅高校が全国大会の常連校であることは知っていた。
「なんか、久隅のフォワードがこぞって絶不調だったみたいで、後半になったとたんシュートが全然入らなくなったんだってさ」
「それは、共学の力じゃないんじゃ?」
「そうかも。運かなあ」
「運、ねえ……」
 圭一郎は釈然としない面持ちでつぶやく。
 どうも腑に落ちない。運などという言葉で片付けてよいものなのだろうか。
 その間にコートでは選手たちが散らばり、審判の手でボールが高く上げられた。試合開始とともに、ボールの弾む音と選手たちのシューズの音、それに両校を応援する声で、体育館の中は俄然騒がしくなる。
(?)
 ふと、圭一郎は首をかしげ、一方のゴールのリングを見つめた。
(かすかだけど、妖魔の気配が……)
 ごく弱いものではあったが、妖魔の気配を圭一郎は感じ取っていた。実体化しておらず、誰の目にも見えていない。隣の征二郎も、応援に夢中だ。おそらく気づいているのは圭一郎だけなのだろう。
「そこだ、いけーっ」
 征二郎が叫ぶ。黎明館の選手がボールをキープし、シュートを放つ。ボードにボールが当たり、リングの中へ転がり込む。先取点が決まったかに思われた。
 が。
 ボールはリングを通ることなく、リングの上で跳ね返った。
「……っ!」
 突然、圭一郎が立ち上がりかける。
 リバウンドを手にした黎明館の選手が、ふたたびシュートを放つ。だがこれも決まらなかった。
「惜しかったなあ。って圭一郎、何やってんだよ」
 中腰のままゴールを凝視していた圭一郎を、征二郎が引っ張った。圭一郎は引かれるままに腰を下ろしたが、目はゴールを見つめたままである。
「征二郎」
「なんだよ」
 一点を見据えたまま、低い声で圭一郎は言った。
「リングに何か見えないか?」
「え?」
 征二郎は圭一郎の視線の先に目をやる。たった今、黎明館の選手のシュートが外れたところだ。
「別になにも……ああっ」
 観客席が一斉にどよめく。共生学院の選手がシュートを決めたところだった。取り損ねた先取点を相手校に取られてしまったことに、黎明館の応援席からは落胆のため息が出たが、すぐに応援の声に変わる。
「もう……見逃したじゃないかよ」
「やっぱり、あっちにはいないんだな」
 圭一郎はつぶやいた。征二郎にはわけがわからない。
「なんなんだよ、何かあるのか?」
「いいから、うちがシュートする時、リングをよく見ててくれ」
「ああ?」
 征二郎は首をかしげつつ、ボールを目で追う。黎明館が反撃に転じ、ふたたびシュートのチャンスがめぐってきた。ボールはきれいにリングの中心に向かって落下したように見えたが、リングのどこかに跳ね返ってしまい、結局得点にはならなかった。
「えー?」
 征二郎が不審そうな声を上げた。
「なんで今のが入らないんだよ」
「妖魔だ」
「え?」
「なんとかしないと、うちも久隅の二の舞になるかも知れない」
 圭一郎はつぶやく。
「どういうことだよ?」
「ちょっと来い」
 圭一郎は征二郎の手をつかみ、立ち上がった。
「え? 試合は? 応援は?」
「それどころじゃないんだよ」
 試合が気になる征二郎を、圭一郎は観客席の最上段、観客のほとんどいないあたりに連れて行く。
「リングの上に、小さい妖魔がいるんだ」
「なんだって? 別に何も見えなかったけど?」
「すごく細い、糸みたいな奴なんだ。リングの上にいて、シュートの時だけ実体化する。それも、黎明館の方だけに」
「待てよ、それじゃいくらシュート打っても入らないじゃ……」
 征二郎は自分の言葉にはっと気づいた表情になる。
「まさか、久隅が負けたのって……!」
「おい、どうするつもりだよ」
 走り出そうとする征二郎を、圭一郎がとどめる。
「退治しなきゃだめだろ?」
「どうやって?」
「それは……」
 征二郎は返答につまる。
「試合中、コートに乗り込んで剣を振り回す気? 誰も気づいてないのに?」
「だからって、このまま負けるのを見てるのか?」
「そうじゃないよ。なにか方法を考えなきゃってこと」
「なにかって?」
「……」
 圭一郎はすばやく頭をめぐらせる。コートに入って退治することができない以上、別の手を考えなければならない。
(リンリンさんがいてくれたらよかったのに)
 凜の鈴ならば、コートの外からでも妖魔を退治することができる。だが、この場にいない彼女に頼ることはできない。
(観客席からは届かない。じゃあハーフタイムとかに……けどどうやって入ればいい?)
 妖魔の姿が人々に見えていれば、退魔師がコートに向かい、退治することもできるだろう。だが、今妖魔に気づいているのは自分たちだけなのだ。見えない以上、ふつうの人々にとっては存在しないのと同じである。そんな人々を説得して進行中の試合を中断させることは、どうも難しそうだ。かりに入ることができたとしても、実体化しているのはごく限られた間だけである。
 いくら考えても、有効な策が見つからない。
 第一ピリオドの終了間近、点差は開く一方だった。
「なんとかしないと……」
 圭一郎はリングをにらむように見つめる。
 そのすぐ背後で、扉が細目に開いていた。
 通路から中をじっと見つめる目。宝珠兄弟の背に注がれるその視線は、友好的とは言い難い。
 年のころは四十代前半、短く刈った髪にうっすらと生えた不精髭、懸賞で当てたのか、缶コーヒーのイメージキャラクターがデザインされたスタジアムジャンパーを羽織っている。どこにでもいそうな中年男だったが、眼光だけが油断のならない光をたたえていた。
「ふん」
 男は満足げな笑みを浮かべた。ジャンパーのポケットで携帯電話が振動したとに気づき、取り出しざまにその場を離れる。
「はい……今のところ順調ですよ。そう心配せんでも。……ええ、そっちも大丈夫。気づいても手出しはできんと、昨日も言ったでしょうが。それじゃあ……」
 男は声をひそめて通話を続けながら、足早に通路を歩いて行った。

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