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10 過剰と欠落

1 荘厳な世界のただ中で (下)

「護宏、おまえすげーな。なんか迫力あってさ」
 弓道場を出て校門へ向けて歩き出すが早いか、征二郎が興奮気味に言った。
「そうか?」
 制服に着替えた護宏が聞き返す。
「ああ。俺弓とかわかんねーけど、思わず見入ってた。な、圭一郎もそうだろ?」
「……」
「圭一郎?」
「あ、うん」
「なんだよー、見てなかったのか?」
「そういうわけじゃないけど」
 自分でも歯切れの悪い答えだとわかっているが、考える方に頭がいっていて、返事にまで気が回らない。
(高校の部活でやっているぐらいで、あんな射ってできるものなんだろうか)
 早瀬によれば、護宏は高校に入ってから弓道を始め、現在二段だという。優秀ではあるが、段位だけ見れば高校生でも珍しくはない水準だそうだ。
 だが。
「滝くんが引くと、ただの練習でも儀式か神事みたいに見えるんだよね」
 早瀬はそう言っていた。他ではそんな射を見たことがない、とも。
(なにか、あの気配や記憶やらと関係あるのかな)
 考えてわかるものではないし、今日これから尋ねたいことでもある。今考えることではないのだろうが、それでも頭から離れない。
 校舎を通り過ぎようとした時。
「職員室に寄る。ここで待っていてくれ」
 護宏はそう言って、手早く上履きに履き替え、職員室に向かった。
 ややあって戻って来た彼の手には、ワープロで印字されたとおぼしき紙の束があった。鞄にしまいつつ、護宏は歩き出す。二人も歩き出したが、圭一郎はどうしても尋ねずにはいられなかった。
「なに、今の紙」
 背後から尋ねる圭一郎に、護宏は振り向かずに答える。
「安原先生に渡された」
「安原先生?」
 職員室の入口で、安原教諭からなにかを受け取る護宏を見かけた記憶がある。
「前にもなんかもらってなかった?」
「あ、なんか聞いたことある。三十枚とか言って」
 征二郎にも似た記憶があったらしい。
「僕は四十五枚って聞いた。なんなんだ?」
「授業中に質問したら、その部分の独自の解釈についての論文を渡されるようになった。今日は五十枚らしい」
「だんだん増えてきてるんじゃ?」
「そうだな」
「いったいどんな質問をしたらそんなことに?」
「……」
 答えるつもりはなさそうだ。
 護宏の後ろ姿を見ながら、圭一郎はため息をつきかける。思うように反応が返って来ない彼との距離の取り方を、圭一郎ははかりかねていた。
「それってさあ、うちのクラスに妖魔が出た時のだろ?」
 征二郎がだしぬけに言った。
 護宏の頭がわずかに動く。表情は見えないが、征二郎の言葉に反応を見せたことはわかった。
「そう……なの?」
 圭一郎は護宏の後ろ姿と征二郎の顔を交互に見比べる。 
 安原教諭の授業中に、人を眠らせる妖魔が出現したことがあった。征二郎までも眠っていた教室で護宏は、ただ一人妖魔の出現に気づいていながら平然と手を挙げて質問をしていたという。
 思えばたしかに不自然だ。あのただでさえ眠気を催す安原教諭の授業で、質問したいことなどあるものだろうか。
「あれさあ、俺を起こそうとしてくれてたんだろ?」
 征二郎が言う。
「えっ?」
 驚く圭一郎の前で、護宏がゆっくりと振り向いた。
「わかっていたのか」
「だよなー、あの後授業抜けて、出現しやすくしてくれてたしな」
「……そんなこともあったな」
「やっぱりそうかー、あの時は助かったぜ!」
 護宏はふっと、明らかにそれとわかる笑みを浮かべた。
「じゃあ、これ読むか?」
「冗談! あ、もしかして質問したのは失敗したとか思ってねえ?」
「まあな」
(……そ、そうだったんだ)
 圭一郎は意外に思っていた。この寡黙で他人になど関心を抱いていないような同級生が、無言で自分たちのサポートをしていたとは。しかも、征二郎にはそれがわかっていたのだ。
 圭一郎がどう反応したものか迷っている間に、護宏は前を向いて歩みを進める。行く手に見える校門の傍らで、出水沙耶が手を振っていた。
「……言ってくれたらよかったのに」
 護宏の背に向けて、言いそびれた言葉を圭一郎はつぶやいたが、完全に流れに乗り損ねたことは認めざるを得なかった。

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