[index][prev][next]

11 接触

2 迫り来る灰色の壁(下)

 黎明館高校からさして遠くない病院の一室。
「道いっぱいに、壁みたいな妖魔がいてさ」
 ベッドの上に上体を起こした圭一郎が言った。
 頭に包帯を巻いてはいたが、聞いていたよりも元気そうだったので、征二郎はほっとした。携帯電話で知らせてくれた堀井によれば、圭一郎は高校の正門近くで妖魔の下敷きになっていた。下校時間だったために、堀井を含めて何人かの目撃者がおり、すぐに救急車が呼ばれたという。
 征二郎がかけつけた時は読書の最中だったらしく、手元には新しい本が伏せられていた。「マリエ先生のベンチャーのすすめ」とある。 
「戻ろうとしたとたんに、そいつが倒れかかってきたんだ」
「気配でわかんなかったのか?」
「わかるわけないだろ。僕にわかるのは、いるかいないか、動いてるかどうか、ってことぐらいだ」
「急に動かれると弱いんだな、おまえ」
 征二郎のなにげない指摘に、圭一郎は明らかにむっとした顔を見せた。つい先日も、圭一郎は不意をつかれて妖魔に眼鏡を奪われている。妖魔を感知する力を持っていながら被害にたて続けに遭ってしまったことを、相当気にしているらしい。
「……おまえが先に帰ったせいだからな」
「俺?」
 圭一郎ににらまれ、征二郎は目を丸くする。
「なんで? 俺帰ってないよ。流を探してただけじゃん」
「流なら、正門前で会ったけど?」
「えっ、正門って高校の方だったのか?」
 征二郎は携帯電話を取り出し、流からのメールの文面を見る。 「正門に来い」とあったが、どこの正門かは書かれていない。征二郎は流が通っている大学の正門だと思いこんでいたが、どうやら勘違いだったようだ。
「病院では電源切れよな」
 圭一郎が携帯を奪い取り、電源を切る。
「流がおまえに渡したいものがあるってメールしてきてさ。おまえの帰りが遅いからかわりに取りに行こうと思って。なんだったんだ?」
「これ」
 圭一郎は手元の本を少し持ち上げてみせる。
「木島さんから新刊預かったってさ」
 先日木島に会った時、似たようなタイトルの本を圭一郎が受け取っていたのを思い出す。圭一郎は律義にも一通り読んだらしいが、なにも言わないところを見ると、どうやらあまり関心を引く内容ではなかったようだ。
「流がゼミ取ってるから?」
「そうだけど……そんなことおまえ、よく覚えてたな」
「あ、あたりまえだろ」
 つい先刻、吉住との会話で出てきたことは内緒だ。
「それで、その後妖魔は?」
「今は気配はしてないな。聞いた話だと、僕を下敷きにして少したったら消えたらしい」
「なんかそれって……」
 征二郎はふと思いついたことを口にする。
「おまえに怪我させるために出てきたって感じだよな」
「!」
 圭一郎がはっと顔を上げた。その急な反応に、征二郎はかえって驚く。
「な、なんだよ」
「それもありうると思って」
「え?」
「いいか」
 圭一郎はいろいろと考えを巡らせているのだろう、ゆっくりと話し出す。
「形から考えて、出たのはたぶん出没・徘徊型のノブスマタイプだ。確認してみないとわからないけれど、僕の記憶が合っていれば、普通は道をさえぎるだけで、倒れてくることなんてないやつだと思う」
「普通じゃないってことか」
「うん。僕が下敷きになったのは偶然だったのかも知れないけれど……」
 圭一郎はそこで言葉を切り、なにかを探しているようにあたりを見回す。やがてサイドテーブルに手を伸ばして、置いてあったバッグから宝珠を取り出した。
「征二郎、これ退院まで預けとく」
「え?」
 宝珠を手渡された征二郎は戸惑いの声を上げた。
「まだ退治してないってことは、また出てくるかも知れないだろう?」
「でも俺、剣にできないぜ?」
「頼めばいい。家にいる時だったら父さんや優伯父さんがいるし、学校だったら流を呼べばいいだろ。素早いやつじゃないから、呪を唱えてても大丈夫だよ」
 宝珠を持ち歩くのは原則として当主にしか許されていないが、剣に変えるのは当主でなくてもできる。
「検査次第だけど、特に異常がなければ明日には退院できるはずだから、それまで頼む」
「退院してから退治してもいいんじゃないか?」
「念のためだからさ」
 圭一郎は負傷したものの、妖魔のタイプから考えて、今日明日中に危機的な状況になることはなさそうだ。ただ一応用心のためということらしい。
 いつもの圭一郎の癖だと、征二郎は思った。やたらと気をまわしすぎて、一人で悩んだり余計なことまで考えたりしてしまう。征二郎には理解しきれなかったが、議論するほどのことでもないので、素直に宝珠を受け取ることにした。

[index][prev][next]