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6 犯人の名は

「まったく、この私が逆ギレに負けるとはね」
 木島研究室に入るなり、そんな声が二人を迎えた。
(逆ギレ?)
 圭一郎は首をかしげる。
 先刻の電話で自分が子どものような態度を取ったことは自覚していたが、それを逆ギレと言われるとは思ってもみなかった。
 研究室の中にはソファと本棚、それに机がある。壁を囲んでそびえ立つように並べられた本棚には、主に洋書がぎっしりと詰め込まれている。
 声の主――木島麻里絵が机の横の窓際に立ち、こちらを見ていた。
「いらっしゃい。妖魔はちゃんと片付けたようね」
「……犠牲者が出てるんで」
 妖魔退治を散らかった部屋のように言われることに抵抗を感じて、圭一郎はそう返す。入口の血痕と内部で見つかったいくつかの痕跡から、犠牲となったのは巡回中の警備員だということが判明していた。
「あらそう。でも気にすることないわ。あなたたちのせいじゃないもの」
「……」
 圭一郎はおし黙った。やはり木島とは、気が合いそうにない。なにか価値観が根本から違う気がする。
「で、なに教えてくれるわけ?」
 場の空気を読んでいない征二郎がかわりに尋ねてくれたので、圭一郎はほっとした。
「あなたたちはなにが知りたいの?」
 木島は二人にソファを勧め、自分も腰を下ろした。
「あそこで妖魔を合成していたのは、だれなんですか?」
 圭一郎はまずそう尋ねてみた。いろいろ聞きたいことはあるが、なによりもまず聞いておかねばならないのは、妖魔をどこかで操る手の主だ。
「前田浄蓮。退魔師だった男よ」
 予想していた名前だ。
「妖魔を合成なんてできるんですか?」
「詳しくは私も知らないわ。ただ、なにか術の道具を持っているみたい」
「それで妖魔を合成したり……操ったりしてたんですか?」
「そういうことね」
「さっきの妖魔も、その人物が操っていた、と?」
「それはたぶん違うわ」
「なぜ?」
「電話があったの。『失敗した』とね」
「失敗? じゃああれは事故かなにかってことですか?」
「そう言いたいんでしょう。前田はあそこに結界を作って合成実験をやっていた。なにかの理由で妖魔を操り切れなくなってあそこを放棄したようね」
 圭一郎は事件の概要を理解できたような気がした。操り切れなくなって結界の中に放置された妖魔。警備員が扉を開けたことで、結界が破られてしまったのだろう。
「でもそもそも、なんのために?」
「……さあ、私には」
「木島さん」
 木島の今にもはぐらかしそうな口調を、圭一郎は強くさえぎる。
「あなたはスポンサーだったと言っていました。彼の目的を知っていたから協力していたんじゃないんですか?」
「……そうよ」
 木島は渋々認めるといったふうにうなずく。
「そう思ってたわ」
「思ってた、とは?」
「私は妖魔退治をビジネスとして立ち上げたかった。そのために妖魔を退魔師でなくても退治できる方法を確立したかったの。資金と場所を提供してその開発を任せていたのだけれど」
「いつの間にか違うことをやっていた?」
「ええ」
 木島の説明には、少しも怪しいところがないように見える。
 が。
(なんか気になる……用意されていた答えのような)
 圭一郎はどこか引っ掛かるものを感じていた。はっきりとはわからないが、木島がなにもかも素直に教えてくれているようには、どうしても思えない。
「僕たちを襲わせたのも前田だったんですね?」
「そうよ」
「それじゃあ、あの時どうして木島さんは、流を使って僕たちに妖魔退治をさせないようにしたんですか?」
「あれは……」
 珍しいことに、木島の目がわずかにさまよう。動揺を押し隠しているように見えた。
「あれは、本当に知らなかったのよ。妖魔の行動を観察したいから、あなたたちがすぐ退治に駆けつけて来るとまずい、と言われて。あなたが怪我をしたと聞いたから、あわてて電話をかけたのよ。ほら」
 木島は携帯電話を取り出して圭一郎に渡す。録音された通話らしき声が聞こえてきた。
「いったい、どういうつもり? 足止めするだけだと言っていたじゃないの」
「そうでしたかね」
 怒ったような木島に答える男が、前田なのだろう。
「私は聞いてないわよ。襲って怪我をさせるなんて。彼らになにかあったらどうする気だったの?」
「なにもなかったとは残念だ」
「あなた、いったいなにを……」
「実験の一環ですよ。いつも通り、こちらに任せておいてもらいたいんですがね」
「そういうわけにはいかないでしょ! 彼らはプロジェクトの協力者にする予定だったじゃない。危害を加えたら水の泡よ。わかってないの?」
「わかっていますよ、もちろん。……彼らの協力が必要なのは、あなただ。私じゃない。邪魔なんですよ、彼らは。私にとってはね」
 録音はそこで終わっていた。
「これって……」
 圭一郎は電話を手に立ち尽くす。
 ――邪魔なんですよ。
 自分たちのあずかり知らぬところで、自分たちに向けられていた悪意。
「どうしたんだよ、俺にも聞かせろよな」
 征二郎に袖を引っ張られ、携帯電話を渡した。
「あーっ、あいつの声だ」
 再生された会話を聞くなり、征二郎が言う。
「おまえが会った?」
「うん。あれ?」
 征二郎は電話を持ったまま、首をかしげた。
「プロジェクトの協力者ってなんだ?」
「妖魔退治の会社を作って、そこであなたたちに仕事を頼みたかったのよ」
「木島さん」
 征二郎から受け取った携帯電話を木島に返しながら、圭一郎は慎重に口を開く。
「彼はどうして僕たちが邪魔なんですか?」
「妖魔を退治されてしまうから、だと思うわ。最近の彼は強い妖魔を呼び出して操ろうとしていたから。実験室として使っていたあの廃校舎に結界を張って、あなたたちに見つからないようにしていたけれど、外に出せばあなたたちがすぐに気づいてしまう」
「だから僕を先に狙った、と?」
「恐らくね」
「強い妖魔を操って、彼は一体なにを……」
「さっきも言ったわ。私にはわからないの」
 木島は繰り返す。
(自分は無関係だ、って言いたいのかな)
 圭一郎は木島の言葉をすべて信じてはいなかった。電話を録音していたことひとつにしても、あまりに用意がよすぎるように思われる。
「とにかく、彼は事件を起こしてしまった。もう彼に協力はできないわ」
(そういうこと、か)
 なんとなく合点がいった気がする。
 木島は前田とのつながりを断ち切るつもりなのだ。
 前田の操る妖魔が人を殺傷するとしても、今の法では彼を罰することはできない。だが、いずれ法が現状に追いついてくれば、彼の行為は法的に犯罪となりうる。そうなる前に、木島は自分が彼とは無関係ということにしておきたいのだろう。
 ならば、前田に関する限りにおいては、木島の情報は信用してよいだろう。
「彼はこれからどうすると思いますか?」
「……たぶん、どこかで合成や操作を続けるでしょうね。なにか見つけたみたいだし」
「なにか?」
「一週間ぐらい前ね。『面白いものを見つけた』と言っていた。あの頃から、より危険な妖魔を操る方に向かい出した気がするわ」
 一週間前といえば、県大会の決勝があった頃だ。
(もしかして……)
 圭一郎の頭に、ふと護宏の姿が浮かんだ。

「……それはどうも」
 電話の向こうで、そっけない声が聞こえた。
(ま、そんなもんか)
 前田は護宏が妖魔を操ることができると思っている。この先護宏に協力を求めて前田が接触してくるかも知れないから気をつけたほうがいい。
 そう忠告するために電話したのだが、反応はいつもの通りだ。圭一郎は小さくため息をつく。
(まあ、大げさに喜ばれたりしても引くけどね)
 その時。
「少し、沙耶に代わっていいか」
 珍しいことに、護宏の方から問いかけてきた。
「出水さん、いるの?」
「ああ。話があるそうだ」
 護宏は簡潔な答えを返す。
 圭一郎は時計を見た。午後六時半をまわったところである。護宏は部活だったはずだから、沙耶はいつものように校門で待っていたのだろう。
「もしもし、出水です」
 電話の声はいくぶん控えめな少女のものに代わった。
「圭一郎です。どうしたの?」
「那神寺に電話してみたんです。それで、古い記録が残っていないか聞いたんですけど」
「……早いね」
 圭一郎は少し驚いて言った。昨日の今日である。沙耶がこんなにも早く行動してくれるとは思っていなかったのだ。
「電話しただけですから。でも……」
 沙耶はすまなそうな調子の声になる。
「去年の改築中に紛失してしまったんだそうです。創建以来の秘宝と一緒に」
「秘宝?」
 思わず聞き返す。
「願いがかなう観音像だそうです。だれかが持ち出したらしいんですが、見つかっていないとかで」
 持ち出されたということは、さほど大きいものではなかったのだろうか。
「記録にはどんなことが書いてあったのかな」
「住職さんもよくご存じないそうですけれど、『くらやみ祭り』の由来は別の記録にも少しあるそうで、探してもらえることになりました」
「そう。なんだか悪いね」
 圭一郎は心の底からそう言った。沙耶が知りたがっていること――護宏の記憶の謎――とは無関係に見えることなのに、こうして迅速に調べてくれる。
「いいえ、妖魔を退治してくださったり記録を見せていただいたり、お世話になりっぱなしですから」
 柔らかな口調は、それが社交辞令などではなく沙耶の本心から出たものだということを匂わせた。
(でも出水さん、記録は滝のために見てるんだよな)
 電話を切った後で、ふとそんな考えが頭に浮かぶ。
(どうして彼女はそこまで知りたがってるんだろう)
 幼なじみが自分の知らないことを知っているのが気になる、と、彼女は以前言っていた。だが、ほんとうにそれだけなのだろうか。
 なにかそれ以上の重大な理由があるような気がした。だが、それがなにかはわからない。
 圭一郎は携帯電話を手にしたまま、答えの出ない問いをじっと考え込んでいた。

(第十二話 終)

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