「ちょっと待って」
圭一郎は慎重に頭をめぐらす。
護宏の言葉には、あまりにも多くの情報が含まれていた。
彼が生まれながらにして持っていたと言われる『数珠』。白くて文字が刻まれており、妖魔を遠ざけたり消したりする力があることがわかっている。
前田が持つ『摩尼珠』。透明な珠で、妖魔をとらえ、操り、合成することができるらしい。
外見もはたらきも異なる二つの珠が「同じである」とはどういうことなのだろう。
しかも『封印の数珠』とは。
「俺らの宝珠は違うんだ?」
征二郎の問いに、圭一郎ははっとした。たしかに宝珠も、珠という共通点を持っている。
「違う、と思う」
護宏の返答はあっさりしていた。
が、すかさず征二郎が口をはさむ。
「でもさ、ナギは宝珠のこと、なにか知ってるっぽかったぜ?」
「え?」
圭一郎と護宏が、同時に聞き返した。
「なんだよそれ。僕は聞いてないぞ」
「決勝戦の時に、俺剣持って下に行っただろ? ナギが宝珠を見て『それを受け継いできたのか』って言ってたんだ」
「で?」
「そうだって言ったら、なんか安心したみたいな顔してさ、護宏の数珠を俺に預けて消えたんだ」
「もう、そういうことは早く言えよ」
「だからそのすぐ後に前田のことがあって、そっちが大事だと思ったからさ」
「まあ、それはそうか」
圭一郎は気づく。
征二郎は最初から重要だとわかっている情報を見逃しているわけではない。彼が目にした一見ささいな情報が、あとから重要だと判明するというだけだ。
「ってことは……」
圭一郎は考え込む。
宝珠も数珠も摩尼珠も、なにかしら関連がありそうだ。たしかにどれも不可思議な現象を起こす小さな珠である。
護宏の「記憶」には数珠と摩尼珠しか引っ掛かってきていないが、護宏の周囲に現れるナギは宝珠の謎を知っているらしい。
「あのさ、今ナギを呼べないかな」
護宏に提案してみる。
「確かに、一番知っているのはナギかも知れないな」
護宏はうなずいた。
「だが、出てきたところに危害を加えるようなことはないか?」
「!」
痛いところをつかれた。
妖魔と区別のつかない気配を放つナギを「退治」しようとしていたのは、まぎれもなく自分だ。その自分に対して、護宏が警戒心を抱くのも無理はなかろう。表情に出ないからといって、見過ごすべきではなかった。
信用されない行為をしてきたのは、ほかでもない自分だったのだ。
そんな自分が、情報を得るためにナギの協力を求めてよいものだろうか。
それに自分とてナギたちを信用しているわけではない。なんといっても彼らの放つ気配と妖魔の気配との違いを、圭一郎はいまだ認識していないのだ。
どうしたらいいものか、圭一郎は迷う。
さんざん迷ってから、あらためて口を開いた。
「……あいつは、人を襲わないと言ってた。それが守られる限り、僕はあいつを傷つけない。それでいいかな」
「わかった」
護宏は圭一郎をじっと見て、それからうなずいた。
当面はこれでいい。わからないことだらけなのだから、手掛かりをひとつひとつ読み解いていくしかない。彼らに対してどう接することにするのかは、その後の問題だ。
(信用したわけじゃない。これは譲歩だ)
それに、と、圭一郎はつけ加える。
「たぶん僕がそうしろと言っても、征二郎はやらないよ」
征二郎が大きくうなずいたのを見て、圭一郎は苦笑する。
「ほんとうはおまえも、別に退治する気なんてないくせに」
くすくすと笑う声がした。
はっとして振り返ると、ナギが机にちょこんと腰をかけている。金色の目を細め、からかうような表情で圭一郎を見ていた。
「おまえっ……」
圭一郎は声を上げかけたが、教室内のほかの生徒たちの視線を気にして口を押さえる。なにしろナギは、常人の目には見えない存在なのだ。
「聞いていたんだな」
護宏はナギの座った机の前にゆっくりと回り込み、静かに語りかける。
「はい。でも、お話しできることは限られています」
護宏に対して、ナギはかしこまった言葉遣いになった。とても見かけどおりの子どもとは思えない。
(そういえば、昔からずっとあの姿だって言ってたな)
以前護宏が言っていたことを思い出す。子どもに見えてナギは恐らく、圭一郎たちよりも長く存在している。
「なぜ、話せないことがあるんだ?」
護宏が尋ねる。
「ごめんなさい。それは聞かないでください」
「そうか」
うなだれるナギの頭に、護宏はそっと手を置いた。
その時のナギの嬉しそうな、それでいてひどく悲しそうな表情を、圭一郎は忘れることができなかった。
彼はたしかに、妖魔などではないのかも知れない。
だがそれならば、彼はどういう存在なのだろう。
「どこまで話せる?」
「その『宝珠』と『封印の数珠』は、本質的には同じものですが、込められた願いが違っています。前田という男は『封印の数珠』の願いの効力が切れたものを使っているようです」
「効力が切れると、別の願いを込められる、ということか?」
「『封印の数珠』は、もとはひとつの如意宝珠でした。すべての数珠の効力が切れないと、新しい願いは込められません。願いの範囲で使うことはできますが」
圭一郎はナギの言葉を注意深く聞いていた。
「願いが切れた数珠は、他にもあるのか?」
「数珠は全部で百八に分かれました。ただ……願いが続いているのはそれだけです」
「これは効力が切れていない、と?」
護宏が文字の刻まれた珠を示すと、ナギはうなずいた。
「これがこのままである限り、前田の珠は限られた使い方しかできないということか?」
「……はい」
「わかった。ありがとう」
護宏が礼を言うと、ナギはかるく礼をし、すっとその場から消える。圭一郎には妖魔としか感じられない気配も、同時に消えうせた。
「……それが最後の封印ってわけか」
圭一郎は護宏の数珠に目を向けて言ってみた。
「なにを封印してるんだろな」
当然の疑問を征二郎が口にする。
「ナギたちじゃない?」
圭一郎はさして躊躇することも答えた。以前ナギは「封印が解け切っていないから」妖魔と混同されるのだと嘆いていた。彼の言葉が正しいのなら、封印が解ければナギの正体が明らかになるはずである。
「あ、じゃあ、封印が残りひとつになったから、あいつらちょっとだけ出て来られるようになったのか」
「そうかも知れないね」
圭一郎はうなずく。が、気になることがないわけでもなかった。
封印が解けた時に明らかになる、彼らの正体とはなんなのだろう。
そして、その数珠を持つ護宏を、彼らはなぜ見守っているのか。
(あ、そうだ)
ふと思いついたことがある。
「滝、その数珠を見せてくれない?」
圭一郎の求めに応じて、護宏は数珠を手渡す。既に何度も見ているものだが、圭一郎はあらためてじっくりと数珠を眺めた。
「これ、字だよね」
刻まれた文字らしきものは、だが、圭一郎には読めない。
それなのに、なぜか見覚えがある形のような気がする。
「阿字、だな。サンスクリット語の文字だ」
「あじ?」
「高一の時、古典の教科書に出ていた。飢饉で死んだ子供の額に書いて供養した、と」
「そういえばなんかあったな。方丈記だっけ」
言われてみれば、たしかにそんな文章を読んだ覚えがあった。見覚えがあったのはそのせいだろうか。
「たしか仏教で大事な字なんだよね。でも、どうしてそんな字が?」
「さあ……」
護宏にも心当たりはないようだ。圭一郎は頭をめぐらせるが、凡庸な結論しか出て来なかったので、とりあえずそれを口にしてみた。
「これも仏教まわりだよな」
「ん? なに?」
ちょうど聞き返してきた征二郎に説明しながら、圭一郎は考えをまとめようとする。
「うん、数珠って仏教で使うものだし、その文字も滝の『記憶』も、なんか仏教関連のものが多いな、と思って」
「あー、たしかにそうだな」
「あいつらが仏教系の力で封印されている、ってことなのかな」
それはありうるように思える。彼らの宝珠を剣に変じるための呪も、祝詞に密教で用いられる真言が組み合わさったものだ。仏教で伝えられていることの中に、そんな力を持ったものが存在していてもおかしくはない。
(だとすると、仏教の世界での悪いものとか? 仏教に悪魔っていたっけ? でもそれにしては、和風の服装だし……)
いろいろ考えてみるが、考えがまとまらない。
「圭一郎、なに一人でぶつぶつ言ってるんだよ」
「あ、いや」
征二郎に声をかけられて、思考が中断される。
「ちょっと調べて、考えてみる」
放課後にでも図書室で調べてみよう、そう圭一郎は思った。
「前田がなにを願うのか、気になるけど……滝の数珠がそのままだったらしばらくは大丈夫だろうし」
圭一郎はそう言って話を切り上げる。
その様子を、護宏はじっと見守っていた。
◆
放課後。
すっかり暗くなった川べりを、護宏と沙耶はゆっくりと歩く。真冬並みに冷え込んだ空気は澄み切って、月が銀色の光を投げかけていた。
「封印?」
沙耶が聞き返す。
「ああ。これが最後ということらしい」
「……そう、なんだ」
沙耶は少し言葉を切った。言い出せないことがあるような、もどかしげな様子に、護宏が尋ねる。
「どうかしたのか?」
「ううん」
沙耶は首を振る。
「なにか……言うことがあるような気がしたんだけど」
「なんだ?」
「だめ、わからない」
沙耶はしばらく、額に手を当てて思い出そうとしていたが、やがて顔を上げて護宏に向かって笑ってみせる。
「たぶん、大したことじゃないと思うから気にしないで。それより、封印って?」
「圭一郎は、ナギたちの封印じゃないかと言っていた。でも……たぶん違う」
「違うの?」
「そんな気がするが、あいつらには言えなかった」
「『記憶』?」
「ああ」
護宏は低くうなずく。
沙耶はためらいがちに尋ねた。
「教えて、護宏。なにを封印している気がするの?」
「これが封印しているのは……」
護宏は足を止め、空を見上げる。月はさえざえと輝きわたり、その銀の光は冷たい矢のように、まぶしく地上に突きささる。
それをまっすぐ見つめながら、彼はつぶやくように言った。
「おそらく……俺だ」