[index][prev][next]

14 封印の数珠 後編

4 見えぬ未来を開く鍵

 圭一郎と征二郎、それに護宏は、川沿いのサイクリングロードを歩いて下っていた。あたりは既に薄暗く、つきはじめた街灯がやけにまぶしく感じられた。
「妖魔が世界を浄化する?」
 歩きながら護宏が語ったことの次第に、思わず圭一郎は聞き返した。
「あいつはそう言っていた」
「なんだよそれ。わけわかんねーよ」
 征二郎が言う。
「俺もだ。だからこの間は言わなかったんだが、奴は本気らしい」
「人間を減らしたら浄化なのか?」
「あ、でも分かる気もする」
 圭一郎はふと思いついてそう言ってみた。
「なにが分かるって?」
「吉住さんのデータにもあったけど、妖魔が多く出る地域って都市とか急に環境が変化したところとかなんだよね」
 新種説に分類されているが、環境汚染の影響による生物の突然変異が原因ではないかと考えている研究者もいるのだという。
「で?」
「だから、人間が増えて自然を破壊すると、減らすための存在が現れる。細菌が増殖したらそれを減らす抗体ができるようなもの、かな」
「それじゃあ、妖魔が出てくるのは人間のせいだってことなのか?」
「彼の考えではそういうことなんじゃないかな。たしかに人は自然を破壊して地球を汚染してるんだし」
 圭一郎はそう言ってはみたが、むろん、前田の考えていることが理解できているわけではない。前田の言動からは、どうしてももやもやとした違和感が感じられてしまうのだが、うまく表現できなかった。
「でもさー、オブジェとか、世界を浄化するようには見えないんだけど」
「たしかに。ただ迷惑なだけだったし、かえって環境に悪そうだったし」
「あとうちって何百年も前から退魔師やってるじゃん。そんなに前から自然破壊されてたっけ」
 珍しく征二郎がつっこみを連発する。
「それにさあ、へんなの。自分だって人間じゃん。減らされる側なのになんで妖魔を操ろうとしてるわけ?」
(そうだよな)
 違和感のひとつは、まさしく征二郎が言ったことだ。
「それは、俺も聞いてみた」
 そう聞いてみたということは、護宏もやはり同じように感じていたのだろうか。圭一郎は尋ねてみる。
「なんて言ってた?」
「仏に選ばれたからだ、と」
「は?」
「摩尼珠を自分が手に入れたのが、仏の意志の証明なんだそうだ」
 護宏の言葉に、圭一郎と征二郎は呆気に取られて顔を見合わせる。
 なにかひどく唐突な名詞が出てきた気がした。
「……ほとけ?」
 かなり間を置いて、圭一郎がいかにも不審げに聞き返す。
「俺にそんな顔をされても困る」
「他に誰にこんな顔をすればいいのさ」
 半ば八つ当たり気味に、圭一郎は言葉を返した。
「でも護宏の数珠だって仏教系なんだろ? こないだおまえ言ってたじゃん」
 征二郎の言葉に、圭一郎ははっとする。
 かつて「封印の数珠」だった摩尼珠。今も「封印の数珠」の働きを保っているという護宏の数珠。
 ナギの言葉を信じるならば、百八の数珠のうち一つを残して願いの効力は切れており、そのうちの一つもしくはそれ以上を前田が「摩尼珠」として持っていることになる。
「そうだけど、意志とかなんとかっていうのはちょっと」
「前田はそう言ったが、彼の認識が真実とは限らない」
 護宏が静かに言う。
「彼はなにか大きな思い違いをしているような気がする。摩尼珠とおまえたちの宝珠の区別もつかないのに取り込めると思い込んでいたようだしな」
「君の気配も、だね」
 圭一郎には、それは大きな問題のように思えた。護宏の説明によれば、前田はあのプレハブに結界を作っていたらしい。妖魔とその気配を外に出さない結界だ。恐らく圭一郎が宝珠を奪った妖魔の気配を見失ったのも、その結界の中に入ってしまったからなのだろう。
 だが、圭一郎は結界が閉じた状態で、その中にいる護宏の気配を感じ取ることができた。前田は気配どころか護宏自身すらも結界内に閉じ込めたと思っていたようだが、それはあらゆる意味で見込み違いだったことになる。
「……まあな」
 護宏はその点にはあまり触れずに続ける。
「ただ、仏教がらみの力、ということは言えると思う」
「そうだね」
 圭一郎はうなずき、手にしっかりと持ったままの宝珠に目を落とす。
「この宝珠だって、本来は真言を唱えないといけないんだ」
「呪文のようなものを唱えると、この間征二郎に聞いたが、そのことか?」
「うん。その最後が真言になってるんだ。真言っていうのは、仏教でありがたい教えとか真理とかを表す呪文みたいなものらしいんだけど」
「えーっ、そうなのか?」
 征二郎が驚いているが、今さらそんなことでは脱力しない。
「それはなにを表しているんだ?」
「なんだろう」
 圭一郎は首をひねる。自分が唱える必要のない呪など、そらんじてはいてもあまり深く考え込んでみることはない。なにを表すのかなど、考えたこともなかった。
「調べてみる。なにか手掛かりになるかも」
 前田は摩尼珠に取り込むつもりで奪った宝珠を取り込めなかった。護宏の感覚からも、摩尼珠と宝珠は別のものであるらしい。
 だがナギは、摩尼珠と宝珠は込められた願いが違うだけで本質的には同じなのだと言っていた。
 ならば、宝珠を剣に変える真言がなんらかの手掛かりになっても不思議ではなかろう。
「前田が正しいのかどうかはわからないけど、むしろ問題は、前田がその認識にもとづいて人類の粛清を企んでいる上に、それを可能にする手段を手に入れつつあるってことかな」
 自分で言ってみた言葉に、圭一郎は身を震わせる。
 前田の願いがもしもかなってしまったら、彼が思い違いをしていようがいまいが問題ではなくなってしまう。そうなったら世界はどうなってしまうのだろうか。
「大丈夫だよ」
 征二郎が暢気に言う。
「護宏の数珠が今のままだったら、前田の摩尼珠も完成しないんだろ?」
「そうかも知れないが、ほかの珠を集めれば、奴の摩尼珠は強くなる。それだけ強い妖魔を操れるようになるのかもな」
「それなんだよね……」
 護宏のどこまでも冷静な指摘に、圭一郎は肩を落とす。妖魔がこれ以上強くなり、再び自分たちを狙ってきたら、はたして対処しきれるのだろうか。
「平気平気。なんとかなるよ。護宏もいるしな!」
「あまり俺を巻き込むな」
「そう言うなって、なあ?」
 征二郎の楽観論に、圭一郎はどうしても同調する気になれなかった。だが悲観的なままでいても、事態はなにも動かない。むしろ前田が動く分、徐々に悪化しつつある。くい止めるために、自分たちができることをしなければならないのだろう。幸い宝珠はこの手に戻った。最悪の事態はまだ訪れてはいない。
「それにしても」
 圭一郎は宝珠を握ったまま、護宏に目を向けた。日はすっかり落ち、冷たい空気の中で街灯に照らされている護宏の横顔は、いつもと変わらぬ静けさをたたえていた。
「君がこれを取り返してくれるとはね」
「たまたまその場にいただけだ」
 護宏は圭一郎の方を向き、あくまで冷静な一言を返す。が、その後に少し考えて付け加えた。
「それよりも、おまえがああ言うとは思わなかった」
「ああ言うって?」
「俺が妖魔ではない、と」
「そのことか」
 どう返したものか、圭一郎はしばし迷う。圭一郎自身、確証はなにも持てていないのだ。
「本当は、よくわからない。そうだったらいいとは思うけど」
 気配の区別がつかなければ、圭一郎も凜や前田と同じように、護宏を迷わず妖魔扱いしていたのかも知れない。
「少なくとも俺は妖魔じゃない。そのくらい自分でわかる」
 妖魔扱いされることで、護宏がどういう気分なのか、圭一郎はなんとなく想像できる気がした。
(そりゃあ、ふつう嫌に決まってるよな)
 が、護宏の次の言葉に、圭一郎はどこかどきりとするものを感じた。
「俺にとっての世界は、今俺に見えているようなものではない、とは思う」
「……なにか分かっているの?」
「なにも。だが、それでも俺は俺だ。それ以外の何者でもない」
「そうであってくれればね」
 圭一郎は控え目にそう返す。この先護宏についてどのようなことが明らかになるのか、それ以前になにか明らかになることがあるのか、まったくわかっていないのだ。そしてそれが護宏自身にもわかっているようには思えない。
 護宏は今は嘘を言ってはいない。それはわかっている。だがこの先、断言したことを彼自身がどこまで通せるのか、まだ判断のつけようがなかった。
「もし、さ」
 思わず尋ねてみる。
「妖魔扱いされるんじゃなくて、普通に協力をもちかけられてたら、どうしてた?」
「決まっている」
 護宏の返答はじつにあっさりとしたものだった。
「あいつは沙耶を妖魔に襲わせた。交渉以前の問題だ」
「……!」
 圭一郎はとっさに言葉を返せなかった。
 川沿いの道は橋にさしかかっていた。ここから東に渡れば護宏の家のある上恒町、橋を渡らず土手を下って西に向かえば二人の家に行き着く。
 護宏は特に挨拶の言葉もなく、軽く手だけ上げて二人に背を向けて橋を渡り始めた。
「じゃーなー。また明日ー!」
 征二郎が手を振る。
(あいつは、それだけ出水さんが大事なんだ)
 護宏の背中を見送り、圭一郎は思う。
 ただひとつ確かなもの、それは護宏の沙耶を守ろうとする気持だ。
 この先なにが起こっても、護宏のその気持はそうそう変わることはないのではないか――漠然とそんな考えが浮かぶ。
 ならば沙耶の存在こそが、この先大きな鍵となっていくのかも知れない。
 根拠のない予感に過ぎなかったが、その時の圭一郎にはそれが奇妙な確信をもって感じられていた。

(第十四話 終)

[index][prev][next]