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15 神坐ます場所

1 「呪」の秘密(下)

「『くらやみ祭り』についてわかったことがひとつありました」
 道場の片隅にある四畳半の和室で、沙耶が口を開いた。
「もともとは那神寺のあるあたりじゃなくて、もっと上の方――冥加岳(みょうがだけ)中腹の集落で伝わっていた祭りだったようです。そのあたりはなくなった記録に書かれていたみたいなんですが、断片しかなかったので、今つながるところを探して読み進めているところです」
「冥加岳? 人住んでたんだ」
 冥加岳は標高約千六百メートル、金剛市内を流れる巳法川の源流がある。さほど高い山ではないが、急峻な地形と激しく変化する天候が人を寄せつけず、このあたりでは珍しく手つかずの原生林が今も残されている。
「ええ。今は廃村になってますけど、山腹の森には人が住んでいて、結構大きな社もあったみたいなんです。那神寺はその社の宮寺だったとかで」
「みやでら?」
 聞き馴れない言葉に、圭一郎は首をかしげる。
「神社に付属している寺、ですね。神宮寺ともいいます」
「えーでも神社って神道で寺は仏教だろ? 宗教違うじゃん」
 征二郎が声をあげる。もっともな問いだが、圭一郎はその理由を知っていた。日本史を勉強していれば当然教わる知識だが、地理選択の征二郎はそのあたりの知識を持ち合わせていない。
「昔は混ざっていたんです。神仏習合っていって、古くから伝わる神を仏としてまつったり、実は仏の化身だったということにしたりしていたんですよ」
 沙耶が穏やかに説明する。
「たとえば、八幡神社ってありますよね? 八幡神という神様は八幡大菩薩と呼ばれることもあるんです」
「菩薩って、仏教のなんかだよね? 観音とか地蔵とか」
「ええ、悟りを開いて仏になろうとする人のことです。それに、仏教の神が神社の祭神になっていて、明治の神仏分離令のときに日本神話に出てくる神様ということにした、という例もありますね」
「詳しいなあ……」
 圭一郎は感心して言った。神仏習合の基本的なことは日本史で教わって知ってはいたが、こんなにすらすらと説明することはできそうにない。
「よく見ているところですから」
 沙耶がなにげなく言った言葉を、圭一郎は聞きとがめる。
「ということは、滝の『記憶』に関係があるってこと?」
 沙耶は古文書マニアではない。古文書を読むのはあくまで目的があってのことだ。よく見るということは、それだけ目的に――護宏の「過剰な記憶」に――近いからではなかろうか。
「……ええ」
 沙耶は少し考えてうなずく。
「彼……冥加岳の社の名前を知っていました」
「へえ」
 護宏の「記憶」は巳法川流域に関するものが多いようだ。川の流れや上流の寺、水源のある山の神社。沙耶が言っていたように、それが彼の前世の記憶なのだとすれば、このあたりのどこかにかつて住んでいた人物だったのかも知れない。
「他に思い出したことはなかったの?」
「いえ、特には」
「そっか」
 護宏の「記憶」探しは、基本的には護宏と沙耶の問題だ。その一部が妖魔や宝珠とかかわりがある可能性はあるが、それ以上詮索すべきことでもない。
 それよりも、ひとつ連想したことがある。
「出水さん、祝詞ってわかる?」
「祝詞、ですか?」
 沙耶は圭一郎の意外な言葉に驚いたようだった。
「ええと、なにか独特の文体があるんですよね。調べないといけないかも知れませんが……どうかしたんですか?」
「いやね、宝珠家に伝わってる『呪』の意味を調べようとしていたんだけど、どうもよくわからなくてさ。ただ、その中に神様っぽい名前と仏教の真言が出てくるから、ちょうど今出水さんが言ったことと関係あるかも知れないと思って」
「見せていただけますか?」
「うん」
 圭一郎は鞄からルーズリーフを引っ張り出す。幼いころから暗誦させられてきた「呪」は、口づたえで教わるため、文字にしても意味がわからない。息をつぐ部分に読点をつけ、かろうじて分かる部分に漢字を当ててみたものの、それでも圭一郎にはさっぱり理解できなかった。

「金剛の地の守り神といわいまつりませまつる、
 かけまくもあやにかしこきわかみずなぎつわけのかみの大前に、
 かしこみかしこみまおさく、
 それきゅうあんのみよに
 もろもろのまがごと、くさぐさのわざわい、ことごとく日のもとを覆い、
 しゅじょうのまどいきわまりしおり、
 大神の広きあつきおほみ恵みによりて授けたまいし明王の真言、
 まがごとをはらいけがれを清め、このみたまをごうまけんに変ぜしめ、
 平成の世を平らけくやすらけく、夜の守り日の守りに守り恵みさきわえたまえと
 真言によりてかしこみかしこみもこいのみまつらくとまおす。
 いわくオン アミリティ ウン ハッタ」

「うわー、わけわかんね。呪文みたい」
「呪文だろ」
 ルーズリーフに綴られた文字列に反応した征二郎にすかさずつっこみを入れ、圭一郎は沙耶の様子をうかがう。沙耶はしばらく文字列に目を走らせていたが、やがて顔を上げ、にっこりと微笑んだ。
「ちゃんと記録になってるじゃないですか、これ」
「えっ?」
「ここに書いてある『きゅうあん』は元号だと思います。その時代に『まがごと』、つまりよくないことですね、それが日本を覆った……たぶん、災害や戦乱ではないでしょうか」
「この『しゅじょう』って?」
「こう書くんだと思います」
 沙耶はルーズリーフの片隅に「衆生」と書いた。
「生き物とか人をあらわす仏教語です。だから……人々が苦しんでいた時に、神様からけがれを清めて宝珠を剣に変える真言をさずかった、ということじゃないかと」
「すげー」
 征二郎が驚嘆する横で、圭一郎も感嘆を禁じ得なかったが、まだ知りたいことが残っていたので聞いてみる。
「『このみたまをごうまけんにへんぜしめ』ってあるよね。『みたま』は宝珠で、宝珠を剣に変えることだと思うんだけど、『ごうまけん』ってなんだかわかる?」
「うーん、たぶん、真言が明王――魔を抑える仏ですね――をあらわすものみたいなので、明王が持つ『降魔(ごうま)の剣』のことじゃないでしょうか」
「不動明王の像とかが持ってるやつ?」
 圭一郎は日本史の教科書に載っていた仏像の写真を思い浮かべながら尋ねた。
「ええ、そうです」
「なるほど」
 沙耶が鮮やかに読み解いてくれた「呪」の内容に、圭一郎は驚きを覚えていた。宝珠の由来を示す記録。それを自分たちは、意味も分からず暗誦しつづけていたのだ。
「でもこの書き方だと、真言は宝珠を剣に変えるだけではなく、それ自体が災いを退けるようですね」
 沙耶が「まがごとをはらいけがれを清め」の部分を指でたどりながら言った。
「ほんとだ。剣に変えるってのより先に書いてある」
 気づいていなかったが、言われてみればそのようにも読める。
「そのへんは伯父さんに聞いてみた方がいいかな。実際に使ってたんだし」
 圭一郎は「呪」なしで宝珠を剣に変えられる。それだけに見過ごしてきたものもあるのかも知れない。
「それにしても、神様が真言をくれたっていうのはやっぱり、さっき出水さんが言ってた神仏習合と関係あるんだろうな」
 宝珠にしろ真言にしろ仏教の世界のものである。さきほどの征二郎の言葉ではないが、日本で古くから伝わってきた信仰とはもともと別のものだったはずだ。それが神から与えられた、という「呪」の内容は、考えるほどに不思議な気がしてくる。
「仏教に帰依した神々、か」
「えー? 神様っているわけ? しかも仏教徒?」
「おまえ、オカルト系好きなのにいきなり現実的だな」
 弟の言葉に、圭一郎は苦笑する。
「そんなのはわからないけどさ、少なくともご先祖がどこかでこいつを手に入れたのは事実なわけだ」
 圭一郎は宝珠を示してみせる。
「『呪』が事実の記録とは僕も思わないけど、なにかそう伝えられるようなことがあったんだとは思う」
「どういうこと?」
「これを手に入れたご先祖が、神様にもらったと思い込んだ、とか」
 一応無難で現実味がありそうな仮説を考えてみる。
 征二郎はすぐに問いで返してきた。
「この間の前田みたいに?」
 先日、宝珠が前田の放った妖魔に奪われた時、その場に居合わせた護宏に前田が語ったこと。
 願いのかなう「摩尼珠」を自分が持っていることが、仏の加護のあかしだ、と。
「そうかもね」
 圭一郎はうなずく。
 なにがどう「加護」なのかはわからないが、先祖も同じように宝珠を手にいれたことを神のおかげだと思い、それを「呪」の形で残したのかもしれない。
「だとしたらふだん信じてた神様だったのかな」
「あの……」
 沙耶がおずおずと声を上げた。
「このあたりが、その神様の名前だと思うんですけど」
 言いながらルーズリーフに書かれた「呪」のはじめの方を指さす。圭一郎はその部分を声に出してみた。
「かけまくもあやにかしこきわかみずなぎつわけのかみ? 長いね」
「いえ、あの……『掛けまくも綾に畏き』はとても畏れ多いという意味なんで、その後からだと思いますけど」
「ワカミズナギツワケノ神?」
「はい」
 名前と思われる部分も、まるで呪文のようだ。どこで区切ってよいのかさえわからない。
「……聞いたことないなあ」
 日本の神話に詳しいわけではなかったが、どう考えても「呪」の中以外では聞いたことがない。
「昔はどんなものでも神として信仰されてましたから、今知られている神話で伝わっているとは限らないのかも知れませんね。『金剛の地の守り神』ってあるから、このあたりで信仰されていたんじゃないでしょうか」
「そっか。それにしても出水さんってすごいね」
「好きで調べてることですから……お役に立ててうれしいです」
 沙耶はいつものやわらかな笑みを浮かべる。
 凜が言っていたが、沙耶は人一倍努力家なのだという。高校の同好会に入ってきた時は、古文書の読み方など知らない普通の新入生だった。書庫の古文書をいくつも読み解き、初めて見る「呪」まで解読できてしまえるほどになるには、恐らく相当の努力を積み重ねてきたのだろう。
「そうだ、ちょっと聞いていいかな」
 最近ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「出水さん、なんだかすごく一生懸命だよね。滝の『記憶』の謎解きに。なんで?」
 沙耶は困ったような表情をした。
 護宏と話している時、あるいは護宏の話題を出した時、沙耶の表情はわずかに変わる。どこか柔らかな笑みの奥におし隠している思いが、ふと出てしまったというように。
「わたしも……よくわからないんです。ついむきになってしまって、護宏にもたしなめられるんですけど」
 考えつつゆっくり答える沙耶は、慎重に答えを選んでいるようにも見えた。
「あの、これは内緒にしておいてほしいんですけど」
 思い切ったように切り出した沙耶の顔をよく見ると、色白の頬がうっすらと赤く染まっている。
「わたし、護宏と別の高校に行っちゃったから、一緒にできることがあったらいいなって。たぶん……」
「そうなんだー。護宏はそれ知ってるの?」
「え、そんな。あっ、言わないでくださいね」
「言っちゃえばいいのに。つーか、あいつわかってないのか?」
 征二郎が興味しんしんといった様子で続きをうながしている。
(意外と普通だな)
 圭一郎はそう思ったが、次の瞬間、あわててその考えを振り払う。
(普通であたりまえじゃないか。なにを期待してたんだ僕は)
 考えるまでもなく、自分たちも沙耶も護宏も、普通の高校生なのだ。沙耶が護宏の「記憶」にこだわる理由をあれこれ深読みしていたが、実際はこんな、友達以上恋人未満の二人にとってのよすがであるだけなのかも知れない。
 我ながら、封印だの気配だの神仏だの、日常ではない世界にとらわれすぎていたな、と、圭一郎は苦笑した。
「圭一郎さん、どうしたんですか? 一人で頭振ったり笑ってみたりして」
 気がつくと沙耶がわずかに首をかしげ、こちらを見ている。
「あ、こいつよくやるんだ。考え事してて顔に出てんのな」
「なに考えてたんですか?」
「えっ、いや、その」
 あわてるほどのことではないのだが、圭一郎は思わず口ごもる。
「なんだ? あやしいな」
 征二郎がここぞとばかりに追求してくる。それをなんとかかわしつつ、圭一郎は少しだけほっとした気分になっていた。

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