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17 くらげなす妖魔漂う町

4 ただよう妖魔(下)

「うわー……」
 西金剛駅前、バスから降り立った三人は、あたりに広がる光景にただ声を失うしかなかった。
 気配と増え方はたしかにオブジェタイプのものだったが、彼らの目に映ったのは、オブジェとは似ても似つかぬ代物である。
 町中を埋め尽くすように漂う、巨大なクラゲ状の半透明な物体。
「……このへん、クラゲが特産だとか?」
「んなわけないだろう」
 征二郎のつぶやきに、圭一郎は顔のあたりにふわふわと漂ってきたクラゲを手で払いのけながら答えた。クラゲは払いのけられるままに方向を変えてたゆたっていく。どうやら風に吹かれて漂っているようだ。
「それより見ろよ、あれ」
 圭一郎は駅の方を指さした。警官が大勢でなにか作業している。鉄板を平行に立て、道を作っているようだ。
「巨大迷路でも作ってんの? うわー今時はやらねえ」
「んなわけないだろ」
 二人のボケとツッコミをよそに、吉住は一人落ち着き払ってうなずいていた。
「ああ、さっそくやってくれてるんだな」
「なんだかご存じなんですか?」
「さっき入江さんと話していて思いついたことがあったんで、試してもらえないか頼んでいたんだ」
「と、いうと?」
「妖魔が空中を漂ってるっていうから、風を使えないかと思って」
 吉住は鉄板で道を作っている警官とは別の方角を指さす。別の警官たちが台車に乗せた機械のようなものを運んでいる。
「業務用の扇風機で風を送って、ここいらに浮いているやつをあの通路に送り込むんだ。あとはどこか倉庫みたいなところまで誘導すればいい」
「なるほど……」
「オブジェ騒動の時も、一か所にまとめてから退治したんだろう? その報告を読んでたのがヒントになったんだ」
 吉住は妖魔データベースの管理者という立場上、登録される妖魔の出現報告には詳しい。それゆえの発想だったのだろう。
「どうかな? この方が退治しやすいと思ったんだけど」
「ええ、助かります」
 たしかに町中に広がる妖魔を退治してまわるより、一か所にまとめられている方がありがたい。
「どこに集めてるのか、入江さんに聞いてみるよ」
 吉住はそう言って携帯電話を手に取った。電話はすぐに通じたらしく、ひとしきり話している。その様子を圭一郎は見守っていたが、電話の向こうにあの内気な入江がいると思うと、まだなんだか妙な気分だった。
「見ろよ、圭一郎」
 征二郎が圭一郎の制服の袖を引っ張る。指さす先では、扇風機の設置が完了し、いよいよスイッチが入れられようとしていた。
 低いモーター音とともに、扇風機が回転を始める。扇風機の向けられたところに漂っていた妖魔が、風に吹かれ、板で作られた通路に流されていく。警官たちは扇風機を少しずつ移動し、広い範囲の妖魔を押し流していった。
「すごいな」
 圭一郎は思わずつぶやいた。思ったよりもずっと早く、妖魔を集めてしまえそうだ。
 退魔師の技によらず、人の創意と工夫によってここまで妖魔を片付けてしまうことができる。妖魔を自分たちだけでなんとかしようとしてきた圭一郎は、その事実に軽い驚きを感じていた。
「二人とも、いいニュースがあるよ」
 通話を終えた吉住が二人の方に顔を向けた。
「例のシステムで音波の発信源をつきとめて、今止めたところだってさ」
「ほんとだ。増えてない」
 圭一郎はあたりを見回し、気配を探る。そこいらじゅうに妖魔がいる状態では気配の特定などできないが、増えるのが止まったことだけはかろうじてわかった。
 自分たちを誰かが支援してくれている。 そう思うと心強かった。
「それで、南口のバス営業所の車庫に集めているんだって。来られるようならすぐ来てほしいそうだよ」
「わかりました」
 三人は踏切を渡って南口に向かう。扇風機による妖魔追い込み作戦は着々と進行中らしく、あたりに妖魔はほとんど残っていない。板を片付け、トラックの荷台に乗せている警官や、追加の扇風機を運んでいく警官の姿が見られた。
 車庫の前に着いた時。
「あんたたちも来たのね」  
 そんな声がかけられた。美鈴凜が退魔の鈴を片手に立っている。西金剛駅は凜の通学ルート上だ。下校途中に出現に出くわしてしまったのだろう。
「リ……先輩もいたんだ」
「出現し始めた頃からね。警察の人が来るまでにだいぶ片付けたはずよ」
「さすが先輩」
 凜のもつ鈴は、音の届く範囲内の妖魔に効果を及ぼす。オブジェのように一度に大量に発生した妖魔に対しては、二人の宝珠よりもはるかに効果的だ。
「これって、あんたたちの学校であったのと一緒?」
「ええ、オブジェタイプです。でも、こんな得体の知れない形じゃありませんでしたけど」
 圭一郎はすぐ近くに漂ってきた妖魔をつついて答える。車庫に誘導しきれなかったものだ。
「なんにせよ、迷惑な話よね」
 凜がそう言いながら鈴を振ると、圭一郎がつついた妖魔はふわふわとたよりなく消えていく。
「ホームが一番ひどかったみたい。電車もまだ止まってるんじゃないかな」
「発信源もホームだったんでしょうかね」
 圭一郎はそう言いながら、車庫に歩み寄る。妖魔の誘導作業はまだ続いていたが、前で待っていた入江がごく小さく手招きらしい身振りをしている。
「入江さーん、音止めてくれてありがとう」
 征二郎が手を振る。入江は「い、いえ、たいしたことじゃ……」ともごもごとつぶやくように言ってうつむく。
「もう中で退治していいんですか?」
「はい……お、お願いします」
 かろうじて聞き取れたのはそれだけだったが、入江は車庫の裏口を開けてくれた。
 三人は車庫の中に足を踏み入れる。
「うわー……」
 思わず、そんなつぶやきがもれた。  車庫の中は、天井まで妖魔が詰まっていた。外ではふわふわとただよっていたクラゲも、ぎっしりと詰め込まれると漂いようがない。
 大型バスが何台も収容できる車庫が小さいはずはないのだが、あれだけの妖魔を集めるには少々手狭だったのかも知れない。
「よくこれだけ集めたなー」
 征二郎があんぐりと口をあけ、そうつぶやく。
「いったいどれだけかかるんだ」
「外に広がってるのを斬るより、やりやすいだろ?」
 圭一郎はにっこりと容赦のない笑みを浮かべ、征二郎に剣を渡す。
「はいはい、わかったよ」
 征二郎は剣を抜く。観念したような口調ではあるが、やけに聞き分けがいい。他に方法がないことも承知しているからなのだろう。
「じゃあ、行くわよ、征二郎」
 凜が鈴を構え、そう言った。
「うん」
 征二郎は剣を振り下ろすと、斬られた端から妖魔が霧散していった。
「おい」
 ひとしきり妖魔を斬った征二郎が、むっとしたようにこちらを向く。
「おまえも働けよ」
「わかってる。でも」
 真言を試すべき場面だ。だがいざとなると、自分にはたして可能なのか自信が持てない。
「……ほんとにできるのかな」
「おまえが疑ってどーするんだ? できるって絶対。この前見ただろ?」
「うん」
「それに」
 征二郎は宝珠の剣を振り下ろした。妖魔が数体斬り裂かれ、霧のように消えていく。
「できてくれないと、俺たちが困る」
「たしかに」
 いくら征二郎と凜の二人がかりでも、車庫いっぱいの妖魔を片付けるのには時間がかかる。圭一郎もなにもしないわけにもいかない。
 妖魔を直接この手で退治したことはない。だからそれがどんなことなのかは想像するよりほかになかったが、圭一郎は真言が妖魔を霧消させる様子をイメージしようとした。
 感覚を研ぎ澄まし、狙いを近くに漂う妖魔に定める。
「オン・アミリティ・ウン・ハッタ!」
 そう、低く鋭くつぶやく。 
 瞬間――。
 ぱしっと軽い衝撃音とともに、狙った妖魔が弾け飛ぶ。
 その様子を圭一郎は見つめていた。
 真言を唱えた瞬間に、なにかの力が妖魔に向けて放たれたのがわかった。それが当たると妖魔は弾け、気配が徐々に消えていった。
(やった……)
 自分の手で妖魔を退治した。
 初めての経験だった。
「おおっ、すげーじゃん。って一体だけかよっ!」
「しょうがないだろう。ほら、まだたくさんいるんだから斬った斬った」
 征二郎の突っ込みに苦笑まじりに答え、圭一郎は別の妖魔に再び狙いを定めた。

「圭一郎、いつの間にそんな技使えるようになったの?」
 退治を終えた凜に尋ねられ、圭一郎はどこから答えてよいのか考える。
 真言自体は宝珠家に伝わってきた「呪」の一部であったから、凜の知らないものではない。だが妖魔を退治する技として圭一郎が使うようになった経緯はいささか複雑である。
「さっき。だよな、圭一郎?」
「あ、うん。そういうことで」
 考えをめぐらせている間にあっさりと征二郎が答えてしまう。
「ふーん、そうなんだ」
(それだけでよかったんかい!)
 凜もそれ以上の情報を必要としていたわけではなかったようで、経緯を懸命に整理しかけていた圭一郎はかなり拍子抜けした。
「よかったじゃない。圭一郎にもできることがあって」
「はい」
 圭一郎はそう答える。確かに少なくともこの先、征二郎が剣をふるう間、見ていることしかできない自分を歯がゆく思うことはなさそうだ。
 それは征二郎のほうにも言えることなのだろう。圭一郎が近くにいない時、あるいは宝珠が手元にない時、今までの彼は妖魔に対してまったく無力だった。真言は、そんな征二郎にとってもわずかではあるが妖魔に対抗する力になる。
 凜はだが、肝心の一言を言うのを忘れてはいなかった。
「ま、ないよりはましって感じね」
「……はい」
 わかっている。
 真言は、単体の弱い妖魔にはそれなりの効力を発揮したが、気配の強いものや危険なものに通用するようには思われない。あくまで剣の補助的手段であろう。
「妖魔も増えてるし、あんたたちもやっと一人前になりかけなんだから、もっと頑張りなさいよね」
「なりかけっすか……」
 圭一郎はいくぶん落胆した声を上げる。
「僕たちもそれなりに頑張ってるんですけどね」
「そ、そりゃあわかってるわよ」
 気を使ったのか、凜がフォローを入れる。
「でも、なんか心配なのよねー」
 自分たちとしては十分に一人前の退魔師のつもりなのだが、中学生の頃から退魔師として活躍してきた凜にしてみれば、まだまだ年季が入っていないということなのだろう。
 頭ではわかるし、心配されているのはうれしいが、一方でどこか悔しいような残念なような気もする。
「そんな、大丈夫ですよ」
「ならいいんだけど……」
「?」
 凜の言葉が途中で途切れたように聞こえて、圭一郎は首をかしげる。
 が、凜は首を振って笑ってみせた。
「ううん、なんでもない。それより試験前なんじゃないの?」
「あ!」
 征二郎が声を上げる。
「そうだよ、こうしてる場合じゃない。圭一郎、帰ろうぜ」
(こいつ、試験のこと素で忘れてたな)
 いきなりあわて出す征二郎に苦笑を浮かべ、圭一郎はその場をあとにする。凜は手を振って二人を見送った。

 ややあって。
「……大丈夫、よね。言わなくても」
 凜は一人、そうつぶやいて、駅の方角に歩き出した。
「あの子たちはあいつの近くにいるし、下手に気づかれたらまずいし、やっぱり……うん、心配だもの」
 そのつぶやきには、自分に言い聞かせ、無理矢理納得しようとしているかのような響きがあった。

(第十七話 終)

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