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18 不可視の妖魔

2 広がる騒ぎ (上)

 二十分後、中若菜駅南口の駐車場。
 思い浮かべた通りの光景を、圭一郎と征二郎は目の当たりにしていた。
 二人の父、進が所有するミニバンの後部座席で、スーツ姿の宝珠優が機嫌よく歌っている。二人が近づくと窓を開け、上半身を乗り出して手を振ってきた。
「おー、よく来たな。君たちも歌おう、ほら」
「歌?」
 二人は顔を見合わせる。
 気弱で真面目な伯父が、珍しいことを言う。
「す、優兄さん、落ち着いてください」
 進があわてて車の外から優をとどめる。
「なんだー、進、ノリ悪いなあ。おまえそんなにつまらん奴だったのか?」
「そうじゃなくて、歌ってる場合じゃありませんよ」
「歌いたい時は歌ってもいいじゃないか。にんげんだもの」
「なんでここで相田みつをが出てくるんですかっ! そこ、車内に書を書かないっ!」
「やっぱり例の妖魔だな」
 圭一郎がひそひそとささやきかけてきた。
「ああ。でもなんか楽しそうだぜ」
「そりゃあ本人は楽しいかも知れないけど」
 圭一郎は困り果てた顔の進を指さした。
「まわりはたまったもんじゃないよ」
「でもさあ、伯父さんがなんでここにいるわけ?」
 平日の午後二時半、サラリーマンの伯父は会社で仕事をしているはずではなかったか。
「それはだな」
 進が困り果てた顔のまま答える。
「取引先の会社を訪ねた帰りらしい。妖魔に気づいて一緒にいた同僚は逃げたんだが、優兄さんは追いかけられて、同僚が様子を見に戻った時にはこうなっていたそうだ」
「なるほど」
 入江の話では、退魔師が比較的襲われやすいという。たまたま通りがかった元当主の優が標的になってしまったということは、現役でなくても退魔師の力を持っていれば狙われてしまうのだろう。
(だったら、俺たちだけじゃなくて、父さんや修三叔父さんも、流だって危ないってことか)
 もっとも流の場合は襲われてもあまり変化はないかも知れない……本人が聞いたらさすがに怒り出しそうなことを、征二郎はつらつらと考えた。
「車で連れて帰ろうと思ったんだ。しかし……」
 進の視線の動きに合わせて、征二郎はもう一度伯父を見る。
 目が合った。
「おお、征二郎。おまえも歌いなさい。持ち歌はなんだ?」
「え、えーと」
「よーし、イントロいくぞ、すちゃちゃすちゃちゃ……」
「……」
 ヒット曲のドラムパートの口真似を始めた優に、征二郎はどう反応してよいかわからなかった。
 進が圭一郎に尋ねているのが聞こえる。
「こういう妖魔に心当たりは?」
「ちょうど、金剛市警の入江さんに話を聞いてたところ。人を駄目にする妖魔だって」
「駄目、か。たしかに」
 進は天を仰いだ。
「いつまでこうなんだ?」
「僕に聞かれても。妖魔が退治されるまでじゃないかな」
 妖魔によって起こされた異常な状態は、その妖魔が退治されるまで治らないことが多い。たとえば妖魔に眠らされた被害者は、退治されるまで目を覚まさないのだ。
「じゃあおまえたちが退治すればいいんだな?」
「そんな簡単な話じゃないよ。今は出てないし、下手したら僕たちだって同じことになりかねないんだし」
 あ、また考え込んでるな、と、征二郎は思った。慎重にあらゆる状況を考慮しようとするあまりに、圭一郎はしばしば身動きが取れなくなるように見える。しかも、自分でなんとかしようとするあまりに、人に頼ることを忘れがちだ。
「このへん出やすいから、また出てくるんじゃないか? それからさ、優伯父さんと一緒にいた人が妖魔見てるかも知れないよな」
 征二郎は思いついたことをそのまま口に出してみる。それが有効な案なのかはあまり考えていない。言ってみれば圭一郎がなんとかするかも知れないし、しないかも知れない、その程度だ。
 が、圭一郎は明らかにはっとした表情を見せた。
「そうか、目撃者がいたんだ。父さん、伯父さんの同僚って人に連絡つく?」
「携帯の番号なら聞いてるが?」
「それでいいや。教えて」
 思いつきはとりあえず役に立ったようだ。圭一郎は携帯を手にして、教わった番号に通話を試みている。
「おーい征二郎、次の歌いくぞー」
 その間にも窓から身を乗り出して、優が呼びかけてくる。
(伯父さん、結構歌好きだったんだ)
 そうは思っても、ふだんの気弱で生真面目な伯父に慣れてしまっているせいか、どうにもリアクションのしようがない。
 征二郎はふと思いついたことを進に言ってみた。
「父さんさあ、伯父さん連れて先帰っててよ。あとは俺たちでなんとかするからさ」
「おまえたちだけで? 大丈夫なのか?」
「なんとかなるだろ。それに言っちゃ悪いけど、今の伯父さん、はっきり言って邪魔だし」
「それは確かに」
 進は車の中を見やる。機嫌はよさそうだがまるで使いものにならない様子の優に、またひとつため息をついた。
「じゃあ、帰ってるよ。兄さんの相手はカーナビのカラオケにでもやってもらおう。気をつけてな」
 進が車に乗り込んで発進する様子を、征二郎は見送る。
「帰ったんだ。その方がいいよね」
 通話を終えた圭一郎が言う。そのまま携帯でメールを打ちながら、通話の内容を話してくれる。
「聞いたところだと大きな泡みたいな妖魔で、人に向かってくるんだって。たぶんぶつかってはじけるんじゃないかってさ」
「はじけたら消えるのか?」
「うーん」
 圭一郎は携帯の送信ボタンを押し、腕を組んで考え込んだ。
「まあ、そこまでは見てないそうだけど。人が襲われた痕跡はあっても妖魔の姿が見当たらないってことは、一時的にはじけて消えるのかも知れない。でも同じタイプの妖魔が集中的に出没していることは確かだよ」
「まあ、あれだろ。要するに妖魔が追って来たところを斬ればいいんだよな?」
「……」
 征二郎がなにげなく発した問いに、圭一郎は黙り込む。
「どうした?」
「いや、はじけるタイプは、そもそも斬れるのかな、と思って」
「じゃあ真言でいいじゃん」
「でも、はじき飛ばすなり斬るなりする時にやられる可能性はあるな」
「そんなのやってみなきゃ……」
 そう征二郎は言いかけたが、圭一郎があらぬ方を見やっているのに気づいて言葉を切る。
「圭一郎?」
「妖魔の気配が……」
 圭一郎が高架を指す。その先では電車が走っている。特急が中若菜駅を通過しようとしているようだ。
 が。
「あ、おい、あれ!」
 征二郎は叫ぶ。同時に耳障りな金属音があたりをつんざいた。急ブレーキの音だろうか、電車は急激に速度を落とす。車輪とレールの摩擦で煙が上がるのが見えた。
 数秒後、電車はホームに半分ほど入った中途半端な位置に停止した。
 二人は顔を見合わせる。
 通常の停車でないことは瞭然だった。
「妖魔がらみなのか?」
「うん。線路の上に気配があった。停まる前に消えたけど」
 二人はどちらからともなく、駅に向かって歩き出した。

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