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18 不可視の妖魔

3 対策本部と特別番組 (上)

「泡がはじけると気配は消えるのに、襲われた人たちは元に戻ってない。これがどういうことか、わかる?」
 金剛駅から警察署への道を歩きながら、圭一郎がそう問いかけてきた。
「退治されてないってこと?」
 思いついたままを口にすると、圭一郎は少し苦笑する。
「そりゃあ、退治してないんだから」
「そういう意味じゃなくて……」
 素直に言ったことを素直に返されて、征二郎はかえって当惑を覚える。
「だからさ、消えたのが一時的なものか、それともどこか別に本体がある、ってことだろ?」
「そう。なんだ、ちゃんと答えられるじゃん」
「あのな、俺のことバカにしてない?」
「おまえがいつもいいかげんに答えるからだろ」
「いいかげんになんて言ってないのに。つーか、答えがわかってるなら聞くなよなー」
 口をとがらせながら、征二郎は警察署の玄関へ上る階段に一歩足を乗せた。
 その足が、ふと止まる。
「なに、この騒ぎ?」
 玄関の前は、いつになくごった返していた。テレビカメラやマイクを持った人々がぞろぞろと中から出てくる。玄関前でカメラの前に立ち、現場中継を行っている記者、携帯電話で局の指示を仰ぐスタッフ。
「なんか事件でもあったのか?」
「なにを今さら言ってるんだよ」
 圭一郎が脱力したように答える。
「今見てきたばかりじゃないか、その事件を」
 言いながら圭一郎は、玄関横の真新しい貼紙を指さした。
「若菜町連続妖魔事件対策本部」と墨書されている。
「ああ、なるほど」
 征二郎はやっと合点がいく。たしかにここまで連続して妖魔が出現し、あわや大事故という事態まで引き起こしているのだから、対策本部が設置されてもおかしくない。
「でも、今までこんなの設置されたことあったか?」
「なかったと思うけど、それだけ大規模だってことだと思うよ」
 報道陣をすり抜けるように、二人は署内に足を踏み入れる。
 征二郎はそこここでかわされる会話に耳をそばだてた。どうやらついさっきまで、大会議室で記者会見が行われていたらしい。
「あ、あの……」
「あっ、入江さんだ!」
 喧噪の中でごくごく遠慮がちにかけられた声に征二郎が気づいたのは、たまたま顔をそちらに向けたからだった。二人を小さく手招きしている。 征二郎は圭一郎をせっつき、入江について会議室に滑り込んだ。先刻、入江に妖魔の説明を受けた部屋である。
「なんか、ずいぶん大事になってますね」
「は、はい……それは、あの」
 入江は室内に置いてあったテレビをつけ、ビデオのリモコンを手に取る。あらかじめ説明のために準備していたようだ。
 ビデオの映像は、先刻の記者会見のものだった。
 カメラのフラッシュを浴びながら、対策本部長らしき中年男性が事件のあらましを説明する。数日前から若菜町付近で同一と思われる妖魔が出没していること、被害が拡大し、特急電車の急停止などの影響を及ぼしていること、そのために危険を呼びかけるべく対策本部を設置したこと。
 しかし。
「危険を呼びかけるだけ?」
 圭一郎がつぶやく。
「どうかした?」
「いや、こういう状況だとふつう、捜査の状況はどうかとか言うんじゃないかと思って」
 そう答えつつ、圭一郎は画面から目を離さない。
  記者会見の映像は、記者による質問の場面へと移っていた。
「解決の手立てはあるんですか?」
 そんな質問が飛ぶ。
「あー、ええと、それはですね……捜査上の秘密ですが、鋭意進めておるところでして」
 明らかに言い逃れに聞こえる返答だ。
「入江さん、実際のところ、なんか手だてはあるんですか?」
「手だて、ですか……それは、あの……」
 入江は口ごもるが、視線だけはこちらを向いている。圭一郎ははっとしたように問う。
「あの、まさか手だてって僕たち?」
「は、はい」
「ちょっと話見えねえんだけど」
 征二郎は話をさえぎった。記者会見と自分たちの関係がよくわからない。
「僕たちがあの妖魔の事件を解決することになってる、ってこと」
 圭一郎はうんざりしたような口調だ。うんざりしているのが妖魔に対してなのか説明することについてなのかはよくわからないが、征二郎にとってはどうでもいいことだった。
「なーんだ。じゃ、さっさと確かめようぜ。やることはどっちみち一緒なんだろ?」
「……そうだね」 
 なにか開き直ったように答えて、圭一郎は入江に尋ねる。
「さっきの地図、もう一度見せてもらえますか?」
 入江が机の上に広げた地図を、二人はのぞき込んだ。重ねた透明シートの上に書き込まれた出現場所を眺めるうち、征二郎はあることに気づく。
「なんかこのあたり、円になってる」
 圭一郎も、今度はうなずいた。
「この中心があやしいな」
 出現記録がほとんどない、空白域のような地域があった。妖魔はその地域を中心に円を描くように出現している。
「ここから泡が発生して広がっているとしたら……」
「本体がこの中心部にあるってことか?」
「そうかもしれない」
 圭一郎は透明シートをめくり上げ、地名を確認した。くだんの場所は中若菜駅から二キロほど南に下ったあたりで、工場の敷地内だ。
「タチバナ自動車金剛工場、か」
 タチバナ自動車は世界有数の自動車メーカーで、海沿いの広い敷地が工場になっている。妖魔が出現しているのは敷地内の北側、比較的施設が少ないあたりだ。
「もうちょっと南に出てたら、日本経済にも影響が出そうだね」
 圭一郎が言う。
「は? なんで妖魔と日本経済が関係あるんだよ?」
 征二郎は素直に疑問を口にしただけだったが、圭一郎は心底あきれた目を向ける。
「おまえなあ、少しは勉強しろよ。タチバナの自動車生産高は世界第三位なんだ。ここで働いてる人が妖魔に襲われて駄目になって、車が作れなくなったら、どうなると思う?」
「そっか、みんな困るな」
「……そういう意味じゃなくて……もういいよ、それで」
 圭一郎があきらめた声を出す。
 車が作れなければ売ることはできない。売れないのだから経営が悪化する。タチバナ自動車が部品を注文している下請けの中小企業も仕事を失って経営が立ち行かなくなるかも知れない。会社がつぶれそうになれば従業員を解雇したり給料を減らすことになる。すると従業員や家族がお金を使わなくなり、物が売れなくなって仕事がなくなるところがほかにも出てくる。それが広がって景気が悪化していく――日本経済に影響が及ぶのだ。
 だいたいそんな意味のことを征二郎は言いたかったのだが、圭一郎が言いたかった「妖魔と日本経済の関係」は理解できたし、いちいち説明するのが面倒だし、そもそもうまく説明できそうにないから「みんな困る」と要約した。
 それなのになぜ圭一郎が不満そうなのか、よくわからない。
(難しい奴だよなあ)
 簡単なことも難しく考え、動けなくなってしまう兄を見るにつけ、征二郎はつくづく損な奴だと思う。しなくてよい気苦労を抱え、一人でいらいらしているのを、特に最近になってよく見かける気がした。
(ま、俺が代われるわけじゃないしな)
 結局のところ、自分の感情をなんとかするのは自分なのだと思う。自分になんとかできる自信があるわけではなかったが――先日へこんだ時には、護宏の一言があったからこそ抜け出せたのだ――、圭一郎の葛藤を解決できるのは、たぶん圭一郎だけなのだ。
「けどどのみち、行けばほぼ確実に出くわしそうだな」
 圭一郎がため息をつく。
 それは彼らにとって大きな賭けといってよかった。発生元をつきとめ、確実にかつ迅速に断たなければ、退魔師に向かってくる妖魔によって自分たちが駄目にされてしまう。今度は「行って確かめてみる」というわけにはいきそうもない。
 行ったきりになっては、元も子もないのだ。
「あの……」
 かぼそい入江の声。振り向くと、片手に携帯電話を持った入江が、先刻まで記者会見の映像を再生していたテレビ画面をしきりに指さしている。
「入江さん? なにあわててんの?」
 征二郎はなにげなく画面に目をやった。
「うわ、マジ?」
 画面にはよく知った顔が映っている。
「リンリンさん? なにやってんの?」
 圭一郎も驚きの声をあげた。

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