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18 不可視の妖魔

3 対策本部と特別番組 (下)

 流れているのは、報道特別番組らしい。画面の右上にセンセーショナルな字体で「若菜町連続妖魔事件、妖魔退治を生中継!」という文字が踊る。画面の中央には鈴を持った美鈴凜が立っていた。背後には工場らしき建物が見える。建物につけられたタチバナ自動車のマークから判断するに、どうやら地図で見ていた空白域の周辺のようだ。
「あのっ」
 突然、入江が声をあげた。
「吉住さんから電話で……」
 入江は携帯電話を二人に突き出す。通話中の表示が画面に見えた。
(いつのまに電話してたんだろう)
 首をかしげつつ征二郎が電話を受け取り、出てみる。
「どもー、宝珠征二郎ですけど」
「やあ、テレビは見た?」
 電話の向こうで、吉住の声がした。どうやら特別報道番組のことらしい。
「あの、状況がつかめないんだけど」
「金剛署の記者会見は見た?」
「うん、さっきビデオで」
「あれでテレビ局が緊急特番組んで、僕が番組にコメントすることになったんだ。今、タチバナの工場に来てるんだけど、さっき美鈴さんに偶然会って、退治の中継をしてもらうことになったんだよ」
「なるほどー」
 なんとなく状況はわかった。凜の中継を知らせようと、吉住が入江に電話したということなのだろう。
(見逃したな、入江さんが電話で話してるとこ)
 目撃できていれば、さぞ貴重な場面になったに違いないと思うと、少しもったいない気がする。おそらく、あまりに静かすぎてわからなかったのだろう。
「リンリンさん、大丈夫そうっすか?」
「リンリン? ……ああ、美鈴さんのこと?」
 吉住は笑いをこらえるような声で続けた。
「今のところは大活躍だよ。テレビで流れてない?」
 征二郎はテレビ局画面に目をやる。画面の中で凜が鈴を一振りすると、周囲に漂う泡のようなものがすっと消えていく。おそらくあれが妖魔なのだろう。
(絵になるけど、なんかあのメガホン、邪魔だな)
 凜の活躍場面なのに、彼女の背後に落ちているメガホンのようなものが目についてしまった。 資材かなにかだろうか、妙に目立っている。
 さすがにそれを口に出すのははばかられたので、征二郎は無難な反応をしてみせた。
「うん、退治できてるんだ。じゃあ俺ら、手伝いとか行かなくていいのかな」
「そうだね。もし必要なら連絡するよ。あ、コメントの時間だ。じゃあまた」
 電話はそこで切れる。
「征二郎、ほら、吉住さんが出てる」
 圭一郎が征二郎の袖を引っ張った。リポーターらしき男の隣に、大柄な髭面の吉住が立っているのが映っている。
「フローレンス女子大学講師の吉住裕美さんです。吉住さん、今彼女はなにをしているんでしょうか」
「ええと、鈴の音色で妖魔を退治しているんですね。彼女は数百年以上続く退魔師の家系で、今も妖魔退治に大活躍しているんですよ」
 いくぶん緊張した口調で、吉住が答えている。さすがにテレビ慣れはしていないようだ。
「これならリンリンさんが全部退治してくれそうだな」
 征二郎ははずんだ口調で圭一郎に話しかける。彼女の鈴ならば、離れたところにいる妖魔も退治できる。少なくとも自分たちよりはこの妖魔を退治するのに適しているだろう。
 が。
「だといいけど」
 圭一郎は画面を見つめたまま、浮かぬ様子で答える。
「なんだよ、さっきからなにかあるのか?」
「本体があるとして、それがどこでどんな形になってるのか、まだわからないんだ。だからまだ安心できない」
「心配性だなー」
 征二郎は笑いながら言ったが、その目がふと画面の一点に注がれた。
「征二郎?」
「なあ、これさっきからあっち向いてた?」
 征二郎は画面の右端のあたりを指さした。凜の背後の道路上の黒っぽい物体。一方の端が太くなっている円筒形で、メガホンに似ている。
 さっきと向きが変わっていることが、なぜか気になった。
「なにあれ。あんなのあった?」
 圭一郎はメガホンの存在自体に気づいていなかったようだ。
「だれかが蹴ったとか動かしたとか?」
「リンリンさんの後ろ、人通ってなかったはずだぜ。カメラ動いてないし」
「風でも吹いたんじゃないか?」
 圭一郎はさほど気にとめていないようだ。
 が。
「圭一郎、やっぱりあれ変だ。見ろよ」
 征二郎は声を上げた。
「!」
 圭一郎も異変に気づく。
 鈴を鳴らす凜の後ろで、メガホン状の物体がゆっくりと回転していた。風で転がるのとは明らかに異なる、不自然な動き。
「まさか、あれが」
 圭一郎が声を上げた。
 その時。
 メガホンの先端から、泡がいくつも吐き出された。シャボン玉のように宙に浮かび上がった泡は、最も近くにいる退魔師に向かっていく。
「リンリンさん、危ない!」
 声が届くわけもなかったが、思わず二人は叫ぶ。
 だが、既に遅かった。

 避ける暇もなく、泡が凜に襲いかかるのと同時に一瞬映像が乱れ、誰かが叫ぶ声が聞こえた。すぐに画面画面が切り替わり、どう考えても妖魔退治とは関連のない夕日を浴びた山々と「しばらくお待ちください」というテロップが表示される。
「スタッフも被害に遭ったんだな」
 圭一郎がつぶやいた。
「吉住さんは?」
「!」
 征二郎の声に、入江がはっとした表情になり、携帯電話を手に取る。吉住にかけるつもりなのだろう。
「あ、あの……無事で?」
 通話がつながっている。どうやら吉住は無事のようだ。
(おお、入江さん電話シーン!)
 征二郎は一瞬色めきたったが、実際にはいつもの聞き取れないほど小さな声で話しているだけだったので、少し拍子抜けした。
「入江さん、あとで代わってください。確かめたいことがあるんです」
 圭一郎がそう言うと、入江はぼそぼそとひとしきり話してから携帯電話を差し出した。
「圭一郎です。美鈴さんが襲われた時、後ろにメガホンみたいなものがあったのはご存じですか? ……気づかなかった? スタッフの人も?」
 圭一郎はいったん征二郎の方を向いて説明する。
「あれ、気づいてなかったって。気づいてた人がいるかどうか聞いてもらってる」
(なんで聞かなきゃならないんだ?)
 圭一郎がわざわざ現場にいた人々に確認する理由が、征二郎にはわからなかった。あれが泡の妖魔を生み出すのだろうから、あとは行って剣で斬るだけではないか。
「はい……あ、カメラマンが?」
 圭一郎が聞き返している。どうやら目撃者がいたらしい。
「じゃあ……はい、そう、それでお願いします。僕たちもすぐ行きますから」
 圭一郎は吉住になにごとかを頼み、携帯を切る。
「なんだ?」
「カメラを回してたスタッフが、画面に変なものが映ってるって気がついていたみたいだ。でもカメラから目を離したらなにもなかったって。たぶんあの妖魔はカメラを通してしか見えないんだと思う」
「だからリンリンさんや吉住さんは気がつかなかったのか」
「うん。だからあのあたりを撮影しておいてくれるように頼んだ」
「それで見つけて退治するわけだな。よし」
 征二郎は立ち上がりかけてふと気づく。
「なあ、本体斬る前に泡が出てきたらどうするんだ?」
「鈴を借りる」
 圭一郎は即答する。
「えーっ、使えるのかぁ?」
「たぶんね。昔伯父さんが美鈴家の鈴を借りたことがあるって言ってたんだ」
「大丈夫かよ」
「……もし駄目でも、僕が泡を引きつけている隙におまえが本体を斬ればいい」
「……」
 つまり圭一郎は囮になるということだ。
 それだけに、征二郎には失敗は許されない。しかもカメラ越しにしか姿の見えないものを斬らねばならないのだ。
 凜さえも退治できなかった妖魔。
 だが。
「やってみる。とにかくそれだけなんだよな」
 征二郎は立ち上がった。

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