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19話 淵源・前編

3 弱点

「わかった。護宏に電話したらいいんだな」
 征二郎は携帯電話を手に取り、メモリから番号を呼び出そうとする。
 その手にふと別の手が触れた。
 顔を上げた征二郎が、あっと声をあげる。
「俺ならここにいる」
 滝護宏だ。
 予想以上に早い登場に、圭一郎はどう切り出したものか考えていたが、先に口を開いたのは護宏だった。
「沙耶が妖魔につれ去られた」
「やっぱり……」
 やっぱり知ってたんだ。
 やっぱり出水さんがさらわれたんだ。
 どちらを言ってよいのか判断がつきかねて、圭一郎は中途半端に言葉を切る。
「今それを電話しようとしてたとこ。どこにつれて行かれたのか、わかるか?」
 かわりに征二郎が尋ねている。
 護宏は首を振る。真一文字に引き結んだ口もとは、一見ふだんの無表情に取れなくもなかったが、どこかいつもと異なるようにも見えた。
 なにか、つとめて平静を装っているような。
 ややあってから、護宏はやっと口を開いた。
「……山の方に向かったらしい。サガミが追ったが振り切られて見失ったそうだ」
「サガミが振り切られた……」
 圭一郎は口の中で繰り返してみる。妖魔が前田の放ったものなら、前田は当然、サガミたちの存在を知っている。それを見越した作戦を立てていてもおかしくはない。
「出水さんがさらわれた時、君は?」
「バスの中だった。ナギから聞いて……」
 その時のことを思い出したのだろうか、護宏がひどく苦しげな顔を見せた。
(!)
 初めて見る表情に、圭一郎はぎょっとする。
「おまえたちもここにいると聞いて来た。沙耶を探すのを手伝ってくれないだろうか」
「それは……」
 圭一郎は少なからず驚いていた。
 護宏が自分たちに頼みごとをしたことなど、これまでにあっただろうか。
「俺にはわからないんだ。今沙耶がどこにいるのか、そもそも無事なのか」
 護宏は続ける。苦しげな表情のまま、声は次第に血を吐くような悲痛な響きを帯びていく。
「だめだ、あいつになにかあったらと思うと俺は……! もう嫌なんだ。あと何度、あと何百年、あいつを失い続ければいい!?」
「滝?」
 護宏がなにを言っているのか、圭一郎にはよくわからなかった。ただ、「記憶」が入り乱れて混乱しているらしいということだけは理解できる。
「いいかげんにしろよっ!」
 声と同時に、ぱんと乾いた音がした。護宏の頬を張り飛ばした征二郎は、そのまま一気にまくし立てる。
「おまえが落ち着かなくてどうするんだよ? なにもかも、出水さんを探して動いてからだろうが! 何度目か知らねーけど、だったら今度こそ助けろよ!」
 征二郎とて、護宏の言葉を理解しているはずはない。だがそれでも叱咤する言葉をまっすぐにぶつけようとしている――それがいかにも征二郎らしいと、圭一郎は思った。
「……」
 護宏は驚いたように征二郎を見ていたが、やがてうつむき、すまない、とだけ言った。
「あのさ、たぶん、出水さんは無事だよ?」
 ようやく話せる雰囲気になったとみて、圭一郎はそう言ってみる。
「出水さんをさらった妖魔は、たぶん前田が放ったものだ。証拠があるわけじゃないけど、人をさらうなんて合成された妖魔でないとできないことだからね」
「なぜ沙耶を?」
「君に対する人質にしようとしてるんだと思う。だとすれば、前田が君の前に出水さんを連れて来るまでは、彼女は大丈夫なはずだ。だから前田に気づかれるよりも早くに出水さんを助け出せばいい」
「……」
 人質、という言葉に、護宏の表情が動く。わずかな変化ではあったが、ふだん無表情を貫いている彼にしては珍しい。それほど動揺しているのだろう、と、圭一郎は思った。
  まぎれもなく、沙耶は護宏の弱点なのだ。
  そして、前田がその弱点を見つけてしまったということは……。
「前田が君になにをさせようとしているか、心当たりはある?」
 護宏は首を横に振った。
「以前、ナギたちに命令しろ、と言っていたことがあったが、それはここまでして俺にやらせなければならないことには思えない。他になにかあると考えるべきだろうが……」
「どっちみち、ろくなことじゃねえから止めればいいってことだろ」
 征二郎がきっぱりと言い放つのに、圭一郎は苦笑した。
「それはそうなんだけどさ、ねらいがわかれば対処のしようもあるってこと」
「でも、わかんないんだろ?」
「……まあね」
 圭一郎にも反論のしようがない。
「もし出水さんを人質にして脅迫されたら、君は……」
「沙耶の安全を優先する」
 即座に迷いのない返事が返ってきた。
「そうだよね……」
 護宏にしてみれば、当然そういう反応をするだろう。圭一郎にもそれは理解できる。だからこそ、沙耶は護宏に対する切り札として有効なのだ。
 妖魔による世界の浄化とやらを目指す前田を止めねばならないのは確かだし、護宏がその手段として利用されることもまた、阻止しなければならないのだと思う。だがそのためにどうすればいいのかは、まだよくわかっていない。
(そうならないようにしなきゃ)
 そう願うことしかできないことを、圭一郎は歯がゆく感じながら、ともかく歩きだそうとする。  
 その時。
「なあなあ護宏、これって出水さんが書いたやつ?」
 驚いて振り向くと、征二郎が護宏にメモを手渡していた。駅前で警官に見せてもらった本に挟まっていたものである。
「せ、征二郎、それ返してなかったのか?」
「なんか忘れててさ、ポケットに入ってた」
(いいんだろうか……)
 本はその場で返したが、挟まれていたメモもまた、警察の捜査資料になるのではなかろうか。法的な扱いなどはよくわからないが、なにかに抵触しそうな気もする。
 とはいえ、あたりに既に警官の姿は見当たらない。今はどうすることもできなさそうだ。
「これは……」
 護宏はメモに一瞬目を走らせ、唇を噛んで言葉を切った。初めて見るものではない様子だ。
「見たことある?」
「ああ。沙耶がおまえたちに見せるつもりで写したものだ」
「この内容、どういう意味?」
「……沙耶に聞いた方がいい」
 護宏はメモを征二郎に返す。メモを見た時の一瞬の表情の意味を、圭一郎はそれ以上尋ねることはできなかった。
「おっけー。まずは出水さんを助けてからってことだな」
「そうだ。今度こそ……いや、なんでもない。行くぞ」
(滝……思い出してるのか?)
 先刻からどうも引っ掛かる。
 護宏の様子は、明らかにいつもとは異なっていた。沙耶が拉致されたことで動揺し、救い出そうと必死になっているのは確かだが、それだけではないように思える。
 まるで沙耶がつれ去られたことがきっかけとなって、彼の「記憶」が次々と呼び覚まされているかのように、圭一郎には感じられた。

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