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21話 止まらない日常

4 願いをかなえるもの(下)

 正門を通って下校する生徒たちの姿は、見るともなしに見えている。護宏がふつうに歩いてきていたのであれば気がついていたはずだ。
 自分の背後ににわかに出現したとしか思えない。
(驚かないつもりだったのに……)
 心臓が口から飛び出しそうなほどに驚いた圭一郎は、息をととのえつつ護宏をにらむ。
 が、急な出現を非難する言葉を発するより前に、征二郎が反応していた。
「おう、部活じゃなかったのか?」
「ミーティングだけだった」
「そっか。だから出水さんがこんな時間に待ってたんだな」
「ええ、そうなんです」
 自分以外が繰り広げる日常的なやり取りに、圭一郎は耳をうたがった。
 どうやらこの場で、護宏の出現に驚いているのは自分だけのようだ。沙耶はともかく、征二郎までもがあっさりとこの状況を受け入れていることが、圭一郎にはどうにも納得がいかない。
 そんな圭一郎を置き去りにして、護宏、沙耶、征二郎の間で会話が進んでいく。
「やっぱり場所なの? 淵源って」
「ああ。もし行き着くことができれば願いがかなう、と言われていた」
「なんかさあ、願いがかなうものが多くねえ? 俺たちの宝珠とか」
「そうでもない。宝珠家の如意宝珠は淵源にたどり着いた男の願いをかなえるためのものだ」
「淵源で願いがかなうってのが一番基本なんだ」
「そういうことだ」
「じゃあさ、どうして願いがかなってたわけ?」
「それが俺の役割だからな」
 護宏はさらりとそう言ってのける。やっと会話に追いついた圭一郎は息を呑んだ。
(ということは、宝珠は滝が……?)
「あ、なんだかわかった気がする」
 圭一郎がなにも言えないうちに、沙耶が声をあげる。
「淵源で願いをかなえてくれる存在を『淵源』って呼ぶようになったんじゃないかな。直接名指ししないで場所で呼ぶことって、よくあるから」
「それってやっぱり護宏が『淵源』だってことか?」
 沙耶が言っているのは恐らく、天皇を門を指す「ミカド」と呼んだとか、貴人の正室を「北の方」「奥方」と呼ぶとか、そういった日本語の習慣のことだろう。
 それならば「淵源」が場所のように記録されている一方で「様」をつけて呼ばれることにも、封印されていた頃の護宏に心当たりがなかったことにも合点がいく。
 が。
「でも、それがどうして『妖魔を生み出して世界を闇で覆うもの』になるんだ?」
 圭一郎が懸念しているのはその部分だ。
「そういえば昨日、前田がそんなことを言っていたな」
 護宏はつぶやくように言う。
「その記録を見てみないことにはなんとも言えないが」
「君のことかも知れないのに、意外に慎重なんだね」
 封印が解け、過去の記憶を取り戻したはずなのに、護宏は自分の欲しい答えを与えてくれない。圭一郎は少しいらだった気分を返答に込めた。
「意外か? 普段からこうだと思うが」
「普段っていつのことだよ」
「昨日まで」
「でも君は……」
「圭一郎」
 護宏は静かに圭一郎を遮った。
「おまえが思っているほど、俺は変わってはいない。封印があろうがなかろうが、俺は俺だ」
「かも知れない。でも、僕には君が昨日までと同じとは思えない」
「そうか」
 護宏はいつもと変わらぬ無表情で、圭一郎の言葉にうなずく。
「それは、しかたがないな」
「けど!」
 圭一郎は語気を強めた。言いたいことは山のようにある。正直に言えば、なにからどう言ってよいものか、考えるほどに見当がつかなくなっていた。だが、できるだけ早くに言っておくべきことがある。
「昨日けがをさせたのは悪かったと思ってる。それから、さっきは助言してくれてありがとう」
「……」
 それは護宏にとっても意外な一言だったらしい。
 いくばくかの沈黙の後。
「ほんとうに、いろいろ気にしていたんだな」
 護宏は静かにそれだけ言った。
 奇妙なことに、そう言われた瞬間、自分の整理できなかった感情——責任感や謝意や畏怖や困惑や、そういったものがないまぜに なった感情——を丸ごと穏やかに受け止められたような気がした。圭一郎は思わず言葉を失ったが、それは今までのようなぴりぴりと した警戒心のせいではなかった。

(第二十一話 終)

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