Darkside

(旧「魔の島のシニフィエ番外編 日と月の魔剣士」)

[日と月の魔剣士][交差の地]


1 蒼月の悪夢 

 身体が熱い。走り続けてきたせいか、日のように明るい月のせいか。
 夜更けにもかかわらず、昼間のようにぎらぎらと月が輝く。その異様な月に照らされた谷間には、凄惨な光景が広がっている。
 おびただしい死体。剣で切り裂かれた、かつての仲間たち。
 血のにおいに息がつまりそうだった。
 彼は走る。手にした剣は血濡れてずしりと重く、もはや構えを取る力さえ残ってはいない。だが、それでも倒さねばならぬ者がいる。
 奪われた者の、激しい怒り。それが、彼を支配していた。怒りを向けるべき相手はただ一人……。
 月に向かい、その男は立っていた。
 熱いほどに、だが青白く輝く月。
 彼の気配を感じたか、男はゆっくりと振り向く。そして…すっと剣を上げた。
 月と同じ、青白い光。まるで月に共鳴するかのように、剣が光を放つ。
 「!」
 彼は足がすくむのを感じた。
 こみあげる恐怖感。
 男の剣がひときわ輝き、彼を圧倒する。
 「……っ!」
 自分の叫び声が、ひどく遠くで聞こえるような気がする。なんと叫んだのかはわからない。だが、それがだれかの名であることだけは理解できた。
 男は無言で、一歩前に進み出る。
 震える手で、彼も剣を構える。
 そして。

 彼は目を覚ました。

 


2 偽りの探索

 うたた寝の悪夢から目覚めたランディは、しっかりと手に握りしめているものを見て苦笑した。
 見るからに禍々しい魔神の姿が彫り込まれた片手剣。柄の赤い宝玉が、やはり不吉な輝きを帯びている。この世でただ一人、ランディだけが扱うことのできる剣で、その禍々しい外観と、扱いきれぬ者が手にすればたちまち災厄に見舞われることから「魔剣」と呼ばれている。ランディにとっては、頼もしいパートナーなのだが。
「……それでも、夢は防げないのにな」
 汗ばんだ手に握った魔剣を傍らに置き、ランディは窓から外を見やる。ケレス島の町並が眼下に広がっていた。
 ケレス島は、大陸北部の群島の中にある島で、古くから航路の拠点として栄えてきた。最近では島内に点在する洞窟や遺跡の調査が進み、観光地としても有名になりつつある。ランディの滞在している宿屋も、ささやかで安全な範囲での「探検」を楽しもうとする観光客で混み合っていた。
 平和なやつらめ、とランディはつぶやく。わずかな眠りの中でまで、悪夢と戦い続ける生活。それは、けっして安全圏から出ず、それでいて退屈な日常を紛らわすための「探検」に興じる者達には決して理解できぬ闇の領域であろう。
 ランディは、そんな愚昧な民衆を嫌っていた。数千年もの間、おびただしい血を流し続けて来た魔剣。その守り人の一族に生まれた者の苦しみや悲しみを知らず、安閑と生きる者達など、魔剣の餌になるしか価値がないとすら思う。
 このケレス島に来たのは、魔剣をいっそう強力にする目的があってのことだ。そのために何も知らぬ者が何人か犠牲になるかも知れないが、そんなことは彼にとってどうでもよいことである。
 コン、コン。
 控え目なノックの音に、ランディは顔を上げた。扉を開けると、そこにはランディよりも二つ三つ年下とおぼしき少年が立っている。
 「こんにちは、ランディ・フィルクス・エ・ノルージさんですか?」
 宿の主人に告げたランディのフルネームを、少年は口にする。快活なしゃべり方だ。
 「ええ」
 「この宿の主人の紹介で来ました。洞窟探検のガイドの、ディング・ウィルビアーって言います」
 ああ、とランディはうなずく。宿の主人に、若く腕の良いガイドを紹介してくれるよう頼んでおいたのだ。
 「……女の方がよかったんだけどな」
 ぼそりとランディはつぶやく。 
 「は? 何か言いました?」
 「ああ、なんでもありません。今から打ち合わせしたいんですが、かまいませんか?」
 「ええ、いいですよ」
 にこにこと笑う少年を部屋に迎え入れながら、ランディの目は鋭く相手を観察する。黒い瞳が快活そうにくるくるとよく動く。感情がはっきりしているが細かいことはあまり気にならない、単純な性格のようだ。
 「最近、この地図を手に入れまして」
 テーブルの上に広げられた古地図を見て、ディングは眼を丸くした。
 「ケレスの第四洞窟じゃないですか。すごいなあ」
 「そうなんですか?」
 「そりゃもう」
 眼を輝かせてディングはうなずく。
 「この洞窟って、地底湖が海につながってたらしくて、数百年前に海賊が拠点にしてたらしいんですけど、その記録がなぜか残ってないんです。海からの入口もつぶされちゃったし、通路はトラップだらけで、到底観光用にはなりそうにないから、あんまり調査されてなくって……」
 「ふうん」
 とうに知っていることだ。だがランディは感心したようにうなずいてみせる。
 「で、どこまで潜ってみたいんですか? わざわざ地図持参で来たってことは、ただの観光じゃないんでしょ?」
 洞窟のごく浅い部分を散策し、鍾乳石の珍しい形に感心して帰って行く観光客が、数の上では最も多い。だが中には珍しい鉱石や、先人が隠した財宝の噂をききつけ、探索に訪れる者もいた。ディングはランディを、そういった探索者と思ったらしい。ランディはかねてから用意していた答えを口にした。
 「下層部……地図でいうとこのあたりに、海賊の首領が愛用していた宝剣があるそうなんです。ちょっと興味があってね」
 「へえ…」
 ディングは感心したようにうなずく。
 「どうです? トラップも多いってさっき言ってましたよね。行けますか?」
 「任せてください」
 ディングはいかにも楽天的な笑顔を見せる。
 「トラップはずしは得意ですから。まあ、かなり深くまで潜るから、時間はかかっちゃうでしょうけどね」
 ガイド料は通常、コースと案内につきそっている時間に基づいて計算される。ガイドのミスで遠回りをしたり、迷ったりした場合はその限りではないが。
 「ああ、時間はかまいません。こっちも手間のかかることをお願いするんですから」
 そう言ってやると、ディングはほっとした顔になる。扱いやすいタイプだと思ったランディは、もうひとつ質問してみることにした。
 「ああそうだ、ウィルビアーさんは魔法は使えますか?」
 「ディングでいいです。魔法はからっきしなんですよ……それがなにか?」
 「いえ、それで持ち物も変わってくるでしょう?」
 「そうですね」
 魔法が使えない方が、ランディにとっては都合がよい。彼の真の目的は宝剣などではない。宝剣にとりつき、今なお怨念を燃やし続ける死霊が、彼のめざすものである。
 彼の持つ魔剣が魔剣たる所以。それは、柄にはめ込まれた宝玉に封じ込められた、あまたの死霊の力である。死霊が強力であればそれだけ魔剣も力を増す。だが、強力な死霊ほど、封じることが難しいのも事実である。だからランディは、いざという時に自分の身代りにできる人間を連れて行くのだ。ガイドとして道案内をさせ、手におえない死霊であればいけにえとして差し出し、死霊を鎮めて封じやすくする人間。魔法を使えない人間であれば、かたちなき死霊に対抗することはまず不可能だ。それだけ、ランディの計画がうまく進むことになる。
 他人を犠牲にすることに、ランディは一片の躊躇も抱いていない。どうせこの少年も、魔剣の主の凄惨な宿命など理解できぬのだから。
 「じゃあ、準備ができしだい出発しましょうか。いつがいいです?」
 何も知らぬ平和な口調で、ディングが話しかけてきた。
 「じゃあ、明朝にでも」
 にっこりとランディは笑う。死霊のもとにたどり着くまでは、ディングに警戒心を持たせてはならない。もっとも、いかにも単純そうに見えるこの少年相手ならば、さほど苦労はしなくて済むに違いない。

 


3 刻印

 「あ、そこ動かないで」
 ディングの制止に、ランディは歩みを止める。ランディの足元にかがみ込んだディングが、巧妙に隠されたトラップのスイッチを分解し、見る間に作動不能にしていった。
 「へえ……すごいな」
 ランディは感心した声を出す。
 「500年前のトラップは、構造もわりと単純だからさ、見逃すか劣化してるのを壊すかしなきゃ解除は楽なんだ」
 すっかり打ち解けた口調になったディングが答える。
 「ふうん、やっぱり年代ごとの特徴なんてあるの?」
 「もちろんさ。それに仕掛ける場所や狙う相手によっても違う。ここだったら洞窟の地形を利用して、奥にいる誰かの命を狙う侵入者を仕留めようとしたんだな」
 「そんなことまでわかるのか……」
 「聞いたことなかった? 結構こうやって探索してるんだろ?」
 「えっ……」
 ランディは一瞬、返答に詰まる。確かにガイドを伴って探索の旅に出たことは、今回が初めてのことではない。だがなぜディングにそれがわかるのか。
 「どうしてわかる?」
 「だってさ、装備も持ち物も、全然無駄がないじゃん。ガイドなしでも大丈夫かもな」
 ディングは恐らく、軽い冗談のつもりで言ったのだろう。だがその一言は、ランディをどきりとさせるに十分だった。 
 「そんなことはないよ。俺はトラップをはずせないから」
 そう弁解しつつ、まずいな、と思う。ディングは単純で楽天的な性格だからと安心していたが、思ったよりも頭が回るらしい。それに人なつこくあれこれと話しかけてくるため、うっかり口を滑らせてしまいかねない。
 幸い、ディングはランディの動揺にはまったく気付いていなかった。
 「なんだったら、帰ってから覚えていくかい? 師匠紹介するぜ」
 「そうだな、考えてみるよ」
 相手に会話の主導権を持たせてはいけない。ランディはディングに話をさせることで、事態の打開を試みた。
 「ガイドになって長いの?」
 「んー、二年ぐらいかなあ。この島に来てすぐだから」
 「その前は?」
 「前?」
 分かれ道に目印をつけながら、ディングが答える。
 「覚えてない。俺、それまでの記憶がねえんだ」
 「記憶が?」
 「うん。宿屋で目が覚めたら、何も覚えちゃいなかった。わかったのは宿帳に書いてあった名前だけでさ」
 「びっくりしただろ?」
 「そうだなあ……でも、ないもんはしょーがないじゃない」
 ランディは目を丸くする。過去の記憶を失っているということは、不安ではないのだろうか。
 「あ、ストップ」
 ディングが呼び止める。話しながらも周囲に目を配ることは忘れていないようだ。
 トラップを解除し、再び二人は歩き出す。下り坂の道がいつしか平坦になり、足元の岩はしみ出した冷たい湧き水で濡れていた。ところどころ、道を横切って湧き水が小さな流れを作り、道を渡って崖下へと落ちている。地図によれば、崖のはるか下に地底湖があるらしい。
 「じゃあ、ガイドの技術もこの島で身につけたんだ」
 「そういうこと。面倒見てくれる人がいてさ」
 たかだか二年にしては、ディングの腕前はかなりのものだった。トラップ解除はもちろんのこと、地形やわずかな風の変化にも敏感で、その都度適切な指示を出す。これまでにも多くのガイドを見てきたが、ディングはその中でもトップクラスに思われた。
 「だけど、記憶がないって不安じゃない? 過去に何やってたのか、とかさ」
 「んー」
 ディングはしばらく考える。が、やがて、
 「俺、あんまりそういうの気にならないんだよな。今ここに俺がいるってだけで十分な気がしてさ」
 「そういうものかなあ」
 ランディにはわからない。過去の凄惨な記憶は彼にとって、忌まわしいものであると同時に、今自分が生きるためのよりどころとなっているからだ。それを失ってしまったとしたら、自分はどうやって生きればよいのだろう……。
 ふっと彼らしからぬ物思いにとらわれたのが災いしたらしい。
 「おい、おいってば!」
 呼び続けるディングの声に気付いた時は遅かった。
 がくん、と身体が揺れる。道を横切る流れに足を滑らせたのだ。
 「うわっ」
 捕まる場所を求めて伸ばした手が空をつかむ。
 道の片方は崖、はるか下の地底湖に落ちればまず命はない。
 (しまった!)
 ランディの片手がすばやく腰の魔剣に伸びる。宝玉に宿る死霊の力を借りて、崩れた体勢を戻すつもりだった。
 が、その時。
 なにかがぶつかる衝撃があり、直後、ランディは道に叩きつけられていた。
 (?)
 見るとすぐ横にディングが倒れている。どうやら落ちかかるランディに体当たりしてきたらしい。
 (助けてくれたのか?)
 岩にぶつけた背中が痛むのを我慢して、ランディはディングに声をかける。
 「おい……」
 ディングは上体をもたげ、にらむようにランディを見上げる。
 「ったく、こんなところでぼーっとするなよ。死ぬところだったんだぜ」
 「……悪かった」
 珍しく素直にランディは謝る。今回は確かに、ランディが悪い。ディングが助けなくても、死霊の力で死ぬことはなかっただろうが、宝玉の死霊の力を無駄に使って魔剣の力を弱めずに済んだのだから、やはり感謝せねばなるまい。
 「このあたりは水が多いから気をつけろって言おうとしたのにな」
 ディングは起き上がりながら言った。確かに、水の流れにまともに突っ込んでしまったらしく、二人ともずぶ濡れである。
 「……これは、服乾かすのが先だな」
 ランディの言葉に、ディングがうなずく。
 「ちょっと戻れば、火起こせそうなところがあったよな。あそこで休もうぜ」

 乾いた空地を見つけ、二人は火を起こす。
 濡れた服を脱いでいたディングが、ふと手を止め、驚いたような声を上げた。
 「あんた……すごいな、その傷」
 ランディの身体には、無数の傷あとがあった。魔剣士の一族としての厳しい修行を積んだ……それはひとえに、魔剣に封じるべき死霊との戦いの記録でもあった……そのなごりである。その甲斐あって彼は兄を差し置き、一族の長のみが持つことのできる最強の魔剣を与えられた。だが……。
 「…いろいろあってな」
 ランディは冷たくつき放すように答えた。そうでもしないと、ディングにうっかり話してしまいたくなるような気がしたのだ。
 「……」
 ディングは気おされたように黙り込む。
 (しまった)
 不信感を与えてしまってはまずい。ランディはあわてて言葉をつぐ。
 「その……さっきは助かった。ありがとう」
 「え? ああ、別にかまわないぜ。客の安全を守るのもガイドの仕事さ」
 ディングはあまり気にしていなかったらしい。いつもの笑顔にすぐ戻る。
 変だ、とランディは思う。このガイド…死霊へのいけにえとして利用するためだけに連れて来たはずの少年に、意外なまでに気を許している自分がいる。あの人なつこい表情のせいか、それとも他に何かあるのか。
 ふと目をやると、ディングの肩に奇妙なものを見つけた。
 「ディング、肩のそれ……」
 「ああ、この刺青?」
 単純で快活なディングに、まるで似つかわしくない、禍々しいどくろの刺青が、ディングの左肩に彫り込まれていた。
 「これさあ、覚えてないんだ」 
 「記憶喪失になる前の?」
 「たぶん。なんかものすごく嫌な感じはするんだけど、わからないものはむやみに消せないじゃん」
 「そうだなあ……それは……」
 ランディはあごに手を当てて考え込む。
 「なにか知ってるの?」
 「ああ」
 身を乗り出すディングに、ランディは答えてやる。ランディ自身に関わりのないことであれば、いくらでも話してやってよい。
 「その刺青……多分、ダーク・ヘヴンの暗殺者の刻印って奴だ」
 「は?」
 ディングはきょとんとする。
 「ダーク・ヘヴンは知ってるか?」
 「ああ、北の方にある、なんかおっかねえ島だろ?」
 「そう。死と破壊をつかさどる邪神が封印されてる島。他国と国交を持たないのに、暗殺者を育てて世界各地に送り込んで、破壊の神へのいけにえを狩る邪教集団…って言われてる島だ」
 「げっ……それじゃあ俺って、もともと邪教を信じる暗殺者だったってわけ?」
 「……かも」
 ディングは気味悪そうな目で、自分の左肩を見やった。よほど驚いたらしい。ディングだけでなく、ランディにとってもこのことは意外だった。いくら記憶を失っているとはいえ、目の前の脳天気なディングと、ダーク・ヘヴンの暗殺者という言葉は、あまりに不似合いだ。少なくともランディには、ディングが人を殺す姿など想像できないし、そんな術を身につけているようにも見えなかった。
 「ま、いいか」
 「えっ?」
 ディングの言葉に、ランディは驚いて顔を上げる。
 「覚えてないんだから、どうしようもないや。俺は俺なんだし。そうだろ?」
 いかにもディングらしい解決法に、ランディは思わず笑い出す。
 「確かに……その通りだ」
 あれこれ悩んでも始まらない時というものは、往々にしてある。だがそういう時ほど思考の袋小路に迷い込んでしまいやすいのも事実だ。ディングはそんな葛藤に縛られることなく前を向いて進んで行ける人間らしい。
 だが、記憶を失い、過去という拠り所を失ったディングが、現在の自己に疑いを抱かないで生きていられる理由が、ランディには理解できなかった。自分が自分である、と、てらいなく言ってみせることは、少なくともランディにはできない。 
 (こいつ……ただのお人好しなガイドじゃないのか?)
 ランディは、ふっと不安を覚えた。
 いつものように洞窟の最奥部で死霊を誘い出し、手に負えないようならばガイドをいけにえとする……その後は、元の道を戻ってくればいい。観光コースならいざ知らず、洞窟の奥に入り込んだ場合には、ガイドが行方不明になることなどさして珍しくはない。よくある不幸な事故のひとつになるだけだ。
 だが。
 いつもと何かが違うような気がしてならない。探索を始めた頃には、単純で御しやすい相手だと思っていたし、今でもディングは、その気になれば簡単に騙しおおせてしまうだろう。それなのに、不安はぬぐえない。
 (俺がこいつに興味を持っているからか? だが……なぜ? こんな、ただのガイドに……)
 思えば誰かに謝ったのは久しぶりだ。とげのある言葉を吐いたのも。どす黒く胸のうちに秘められた計画を隠すよう、常ににこやかな笑顔を顔に貼りつかせていたはずなのに、ディングはその仮面の奥底の素顔を、いとも簡単に引き出してしまう。
 (……!)
 ランディは、二、三度頭を振った。
 (しっかりしろ。あいつを殺すまでは、よそ見すべきじゃない)
 ランディの脳裏に、ありありと浮かび上がる光景。
 こうこうと輝く月を背景にたたずむ男。男の持つ剣できらめく、まあたらしい宝玉。
 いつもの悪夢の場面である。
 (ミルカ……! よくも俺のミルカをっ!)
 (ならば力で奪うがいい。おまえの恋人に宿った死霊を倒せるものならな)
 復讐。
 ランディはそのために生きて来た。一族を、婚約者を失い、魔剣だけを携えて。
 (許しはしない……)
 そのために、魔剣に力を与え続ける。どれだけ血が流されようとかまわない。それがランディに課せられた宿命なのだから。
 パチン。
 焚き火のはぜるかすかな音に、ランディは我に返った。
 ディングはとみると、服の乾き具合を調べているところである。
 「……よし、だいぶましになったな。ランディ、起きてる?」
 「ああ」
 じっと考えにふけっていたランディを、ディングは眠っているものと思っていたらしい。怪しまれずに済んだことに、ランディは少しほっとした。
 「じゃ、そろそろ出発だ。最下層まではそう遠くないと思うぜ」
 ランディは無言で服を受け取り、立ち上がる。
 最下層。もし死霊が手におえないようなら、ディングを死霊に食わせる。
 いつものことだ。迷うわけにはいかない。


4 生贄

 通路の突き当りに、扉があった。
 「あれえ? こんな扉、地図にはなかったぜ」
 ディングが首をかしげる。
 やはり、とランディはつぶやいた。
 五百年前の海賊。どこかの王国の政変によって国を追われた王家ゆかりの者だという。海賊に身をやつし、再起の機会をうかがっていたが、追っ手に見つかり、ここで殺された。追っ手はすさまじい呪阻の言葉を吐いて絶命した海賊の怨霊を恐れ、厳重に封印を施したのだという。その話を聞き、まだ海賊の霊が封印されたままであるならば、魔剣を強める死霊になるだろうとふんで、ランディはケレスにやって来たのである。
 「まあ、開けてみたらいいんじゃないかな」
 扉を開けると、恐らく中には死霊がいる。ディングはまっさきに死霊に直面することになるだろう。それを承知で、ランディはさりげなく言った。
 ディングは怪しむそぶりすら見せず、すぐに扉の開錠に取りかかる。
 慣れた手付きではあるが、古い扉はさびついていて、いくぶんてこずっているようだ。
 ……もうすぐ、死霊が手に入る。
 期待に胸が高鳴るのを、ランディは感じた。ディングをおとりにすることに対する躊躇は、もはやない。
 がちゃり。
 「開いた!」
 ディングが小さく叫び、把手に手をかける。
 ランディは平静を装い、その様子を見守った。
 ゆっくりと扉が押し開かれる。
 扉の奥の暗闇に、ディングのかかげた松明のあかりが射し込む。
 「何か……奥にあるけど……」
 のぞき込んだディングに、ランディは答えた。
 「多分、宝剣だ……」
 「よかったじゃん、ランディ。探してたんだろ?」
 ディングは自分のことのように、弾んだ声を上げた。
 「いや……まだそうと決まったわけじゃない。入ってみよう」
 二人は奥の部屋に足を踏み入れた。乾燥した空気。ほこりの匂いにまじって、奇妙な匂いがかすかに感じられる。
 奥に祭壇のように高くなったところがある。ほこりに覆われてはいるが、剣らしきものがつき立っているようだ。
 「あれが?」
 「ああ」
 ランディはうなずき、続ける。
 「ディング、悪いんだが、あの剣を抜いてくれないか? どうもあのまわりにトラップがあるような気がするんだ」
 「ああ、いいぜ」
 ディングは快諾し、祭壇に歩み寄る。
 「んー、トラップは特にないみたいだ。剣の刺さってるところになんか文字が彫ってあるけど……ちょっと読めないな」
 剣のまわりを点検してまわるディングは、ランディがじりじりと後退しつつあることには気付いていない。
 「まあ、大丈夫だろ。じゃあ抜くぜ」
 ディングは剣をゆっくりと引き抜く。数百年もの間、祭壇に突き立っていたとは思えないほど、それはするりと簡単に抜けた。
 「抜けた……うわ!?」
 ディングの声が驚愕へと変ずる。
 「な、なんだ……?」
 剣の抜けたところから吹き出す、黒い霧。
 霧の奥底によどむ、目に見えない悪意。五百年の間封じられていた怨念。
 (やった!)
 いつしかランディの手には、抜き身の魔剣が握られていた。つかの宝玉が、鈍くかがやきを放ち出す。
 (かなり強い死霊……これで、魔剣が強くなる)
 「ランディっ!」
 半ば悲鳴に近い、ディングの声。
 黒い霧はじわじわと形を取りつつ、間近にいた人間……ディングにその悪意を向けていた。射すくまれたように、ディングは動けない。
 ランディは眉ひとつ動かさなかった。あらかじめ予想していたことだったし、そのためにガイドを連れてきたのだから。
 「悪いな」
 冷たく、ランディは言い放った。
 「俺の目的はその死霊だったんだ。おまえが盾になってくれるおかげで、そいつを捕らえる準備ができる……」
 ディングは無言だった。迫りつつある黒い霧に、ランディの言葉を聞いている余裕などなかったのかも知れない。
 黒い霧は、動けないディングに近づきつつある。恐らくは、霧の中にディングを取り込もうというのだろう。
 ランディは死霊を宝玉に呼び込むための準備を終えていた。あとは呪文の最後のことばを発するだけである。ディングを取り込もうとする瞬間に発すればよい。ディングごと宝玉に封じてしまう可能性もあるが、ランディは頓着していなかった。どのみち、あれだけの死霊に魅入られた者に、生き延びる道などないのだから。
 が。
 (ん?)
 ランディは宝玉をかざした姿勢のまま、首をかしげた。
 ディングの様子がおかしい。
 ついさっきまですくみ上がっていたはずのディングが、両手を大きく広げた。黒い霧に向かい、その手を奇妙な形に動かす。何かの模様を宙に描くような、そんな動きだ。
 (何を……)
 黒い霧はしだいにその姿をはっきりとさせながら、ディングを取り巻き始めている。ランディはディングの不可解な行動を見守った。
 ディングの手の動きが止まる。黒い霧が一段と濃さを増し、ディングを覆い隠そうとした刹那、短く鋭い声が響いた。
 (魔法? でもあいつは……)
 魔法はまったく使えないと言っていたのではなかったか。
 だが、ディングの声とともに黒い霧の中心に生まれ、次第に大きさを増しつつある光は、魔法以外のなにものでもない。それも、死霊を消し去る封魔の魔法のたぐいであろう。霧はあきらかなとまどいを見せ、ディングから離れようとする。だが、光から逃れることはできなかった。
 光は黒い霧を飲み込んでいく。
 ランディには、どうすることもできなかった。
 まぶしさに思わず目を閉じ、再び開いた時、祭壇の上には誰もいなかった。
 死霊も、ディングも。
 (何が……)
 あまりに予想を越えた事態だった。ただの身代わりのはずだったディングが、死霊を消滅させてしまったのである。ランディが封じ、手に入れるはずだった死霊を。
 「くっ……」
 ここまで来た労力がすべて無に帰してしまった虚しさを、ランディは感じる。
 (こんな魔剣じゃ、まだあいつに勝てない……なのに!)
 ディングをただのガイドと見くびったことが、大きな失敗だった。だが死霊を消滅させる力を彼が持っているようには、とても思えなかったのだ。
 いかにもお人好しで裏表のない言動は、ランディをあざむくための仮面だったのか。人間に対する信頼などという感情を失って久しいランディですら、だまされるような。
 そう思うと怒りがこみあげる。
 (あいつ……そうだ、ディングはどこだ?)
 ディングを探して、一歩踏みだそうとした時である。
 首筋にひやりとした感触があった。
 (!?)
 背後に、何者かが立っている。首筋につきつけられたのは、おそらく短い刃物……ナイフあたりだろう。
 魔剣士としての厳しい修行は、敵の気配を読み取ることをも可能にしていたはずだ。それなのに、首筋にナイフをつきつけられるまでまったく気付かないほど、相手は気配を消しさっていた。
 ランディの驚きは並大抵のものではなかった。当惑で混乱する頭を整理しきれないまま、問いのことばを発する。
 「……ディング、か?」
 「……」
 相手はランディにナイフをつきつけたまま、しばらく無言だった。
 が、やがて、低い声でいらえがある。
 それは、まぎれもなくディングの声だった。だが、ランディの知っているディングには到底持ち得ないはずの、冷たく暗い調子を帯びていた。
 「……はじめまして。ダーク・ヘヴンの暗殺者です」

 


5 憂鬱なる暗殺者

 しばしの沈黙。
 それは、互いの殺気をはかりあう間でもあった。
 ランディは握ったままの魔剣を下ろす。抵抗するには首筋のナイフはあまりにも危険だったし、背後から殺気があまり感じられなかったからだ。それに応じるように、ナイフはすっと引っ込められる。
 ランディはゆっくりと振り向いた。
 ディングがそこに立っている。だが、何かが違った。
 さっきまでの快活な表情は微塵もなく、口の端に浮かべられた冷ややかな笑みは、ディングのものとはとても思えない。まるで、底知れぬ闇の中から這い出して来たもののような、そら恐ろしい迫力が感じられる。
 彼は、静かに口を開いた。
 「困るんですよ……”ディング”を死霊に会わせるようなことをされては、ね」
 きれいな公用語。ディングがしゃべっていた、ややケレスなまりの入った言葉遣いではない。
 「……おまえ、ディングじゃないな……」
 そんな言葉が、思わず口をついて出た。
 ディングの姿をした少年は、薄く笑みを浮かべる。
 「俺は……ガルト。ディングのもうひとつの人格です」
 「!?」
 ひとつの身体にいくつもの心が宿る病の話は、ランディも聞いたことがある。だが、目の当たりにするのは初めてだった。
 とても、信じがたい。だが、あのディングにこんな演技ができるはずはない。
 恐らくディングの記憶がないのは、このガルトという男のせいだ。……いや、むしろガルトの方が本来の彼なのかも知れない。ディングの左肩にあった、ダーク・ヘヴンの暗殺者の刻印を受けたのも、恐らくガルトなのだろう。
 反応に迷うランディに、ガルトは平然と言ってのける。 
 「ああ、そうだ。あなたが欲しがっていた死霊は、俺が倒しましたから」
 「……余計なことをしやがる」
 ランディはあらためて怒りを思いだし、吐き捨てるようにつぶやいた。が、その声には勢いがない。
 「お互い様ですよ。こっちだって殺されるところだったんですから」
 「……」
 「そういうことで、チャラにして帰りませんか? いつまでも洞窟の奥にいてもしょうがないでしょう?」
 言い返せない。
 死霊を手に入れる計画が失敗したのは初めてだった。しかも、このような形で。
 それまでかぶっていた仮面がもはや役に立たず、為すすべもなくひたすら当惑するだけの自分。ランディは否応なしにそんな自分に気付かざるを得なかった。死霊を狩る旅のなかで恐らく初めて、ランディは会話と状況の主導権を握り損ねてしまっていた。
 「……おまえ、嫌な性格してるな」
 そう言い返すのがせいぜいだった。が、それすらもガルトは平然と受け流す。
 「ええ。だからその分ディングは『いい奴』なんです」
 「ふん……分身、ってわけか」
 ランディは魔剣を鞘におさめる。赤い宝玉の輝きはとっくに消え失せていた。
 「ひとつ聞きたいことがある」
 もと来た道を戻りながら、ランディは尋ねた。
 「なんです?」
 「あの死霊……かなり強い力を持っていたはずだ。そう簡単に消滅させられるとは思えない。なぜおまえに倒せたんだ?」
 「さあ……」
 もの静かな口調で、ガルトは答える。
 「俺は魔術師だから、知ってる死霊浄化の魔法を使っただけです。まさか今の俺でも倒せるとは思わなかったから、半分賭けみたいなものでしたが」
 「あんな魔法は見たことがない」
 詠唱を伴わない魔法。大陸で一般に用いられている古代語魔法にしろ、真言にしろ、何らかの詠唱を必要としたはずだ。
 「暗黒魔法と呼ばれる……大陸では伝わっていない魔法ですからね。宙に描いたシンボルが詠唱のかわりになる」
 「それで、ダーク・ヘヴンの暗殺者の印が?」
 「……」
 ガルトは振り返り、暗い炎のともる目でランディを見た。明らかに触れられたくないことに触れられたという表情だった。
 が、すぐにふっと表情をやわらげ、苦笑めいた笑みをもらす。
 「そうか、見られていましたね、そういえば」
 「そうそうお目にかかれるものじゃないからな……それにダーク・ヘヴンには興味がある」
 ガルトの肩が少しだけ、意味ありげに動いた。
 「……なぜ?」
 「死と破壊の神が眠る、暗黒の島……となれば、死霊も多いだろうと思ってな」
 「そう……ですね」
 陰りのある声だった。
 「あの島では、無意味な殺戮が行われているから……」
 「無意味?」
 ランディは聞き返す。
 「おまえだって、暗殺者じゃないのか?」
 「……ちょっと追われる身でしてね。二年前に島を抜け出したんですよ」
 「追われる身って……」
 「立ち入り過ぎです。ランディ・フィルクス・エ・ノルージさん」
 静かに、だが厳としてガルトは言った。
 「俺はまだあなたを信用してはいない。無防備なディングが出ていては危険だと思っているから、こうして引っ込まずにいるんです」
 「……」
 不信感の塊のようなガルトに、ランディはどうしたものか考える。ディングであればすらすら話してくれるのだろうが、あいにくディングには肝心の記憶がない。しかも、ガルトにはディングの記憶もある上に、どうやら表に出る人格を決定しているのはガルトらしい。洞窟の奥で二人きりでいるには、なんともやりにくい相手だった。
 やがて、
 「俺は自分の目的以外に興味はない。だから今おまえをどうこうする気はないぜ」
 「あなたの目的を、俺は知らない」
 「……しかたないな」
 自分の旅の目的をガルトに語っても、特に不利益はないだろう。ただ、心情として嫌ではあるが。だが、ここで聞いておかねば、ダーク・ヘヴンの出身者など次にいつ出会えるかわからぬのだ。
 「俺の目的は死霊を集めることだ。この宝玉に封じた死霊は、俺の剣の力の源になるんだ」
 ランディは魔剣を指し示す。
 「俺は……代々この剣…魔剣を伝えて来た一族の家に生まれた。こいつは最強の剣と言われているが、この赤い宝玉に宿る死霊の力が弱いから、今は大して使いものにならん。だから俺は、強い死霊と、そいつを宿す宝玉を求めて旅をしているのさ」
 「なるほどね……」
 いくぶん不信感をやわらげて、ガルトが言う。
 「それで、死霊のいるところにガイドを伴って入り、ガイドを盾にして死霊を狩ってきた、というわけですか」
 「そういうことだ」
 「なぜ、そこまで強くなろうとするんです?」
 「……復讐さ」
 低い声で、ランディは答えた。
 脳裏に焼きついて離れぬ、あの光景。
 「この宝玉はルビーだが、強い死霊を封じられるほどの力がない。最も強い宝玉は、死霊を宿す力を持った人間から作るんだ」
 「人間……から?」
 「人間を生きたまま宝玉に変える。そいつは死ぬことも生きることもできず、死霊を呼び込む’もの’になる」
 「……」
 ガルトの表情が、どことなく違う。無表情を装ってはいるが、わずかに歪めた口もとは、何かに必死で耐えているように見える。
 「嫌そうな顔だな」
 少し意地悪く言ってやる。とりすまし、本心を見せずに自分を翻弄してきたガルトの心の隙が見えたような気がしたのだ。
 「俺には兄がいた。奴は最強の魔剣を俺が手にしたことを恨んで、かわりに最強の宝玉を手に入れた。……俺の婚約者を宝玉に変えて、な」
 「!」
 まぶしい月。魔剣を手にたたずむ男。
 彼を止めようとした一族の無残な死体が横たわる……。
 「そして奴は、一族を皆殺しにした。俺だけが殺されなかったのは、奴が俺をもっと徹底的に打ちのめしたいからだそうだ。張り合いがなくてつまらないから、強くなる猶予を与えてやる、だと!」
 思い出すだけで、身体が怒りと屈辱で熱くなる。立ち向かったランディに重傷を負わせつつもとどめをささず、圧倒的な優位に酔いしれていた兄・レスター。死霊を手に入れ、魔剣を強めても、所詮はレスターの掌上で踊っているに過ぎぬのではないかという不安がつきまとう。それは、永遠に続く責苦なのだ。レスターを倒さねば、それは終わらない。
 「だから俺は奴を殺す。何があってもな。おまえがどう思おうとかまわんが、邪魔すればただでは済まん」 
 「邪魔か……」
 ガルトは低く笑った。
 「やめておきましょう。今の俺はただの魔術師ですから」
 どこか自嘲とも取れる口ぶり。
 「ただの? ……暗殺者、なんだろう?」
 「二年前まではね」
 今度はガルトも素直に口を開く。
 「命令に従って標的の命を奪う、従わなければ自分が標的になる……そんな世界でした。封印された破壊神の復活を願い、血を捧げるという名目のもとにね」
 「……妙だな」
 ランディはずっと疑問に思っていた。最初にガルトが現われた時の身のこなしは、手だれの暗殺者のものだ。だが、洞窟をゆっくりと歩きながら話すガルトは、人の命をもてあそぶことに嫌悪を抱いているように見える。そのずれが奇妙に感じられるのだ。
 「ダーク・ヘヴンは破壊神の復活を願う国なんだろう? おまえの言い方は、それを頭から否定している……とても暗殺者だったとは思えないぐらいにな」
 「ほとんどの暗殺者達は、たしかに心から破壊神の復活を待ち望んでいて、そのための殺戮を尊いことだと思っていました。俺がそうじゃなかっただけです。だから……俺にとって暗殺は、自分の身を守るための仕事でしかなかった……」
 「そういえば、追われる身と言っていたな。それと関係あるのか?」
 ガルトはうなずく。その目はひどく沈鬱で、どこか痛ましさを感じさせるものがあったが、ランディは話をやめなかった。気付いていないわけではない。ただ、突然死霊に襲われた時にすかさずディングと交代して死霊を消し去り、間髪を入れずランディに刃を向ける……などという鮮やかな真似ができるこの少年が、実はひどく繊細でか弱い心を垣間見せているさまが興味深かっただけだ。それに自分も過去のいたみを口にしたのだから……という思いもある。
 「俺には……ちょっとした力があって、司祭達はそれを島外に進出するための兵器として利用しようとしていました」
 促すように沈黙を守るランディに対して、いかにも話しにくそうに、ガルトは続ける。よほど触れたくないことなのか、核心を避けようとしているのか、言い淀む回数が明らかに増えている。
 「利用されるわけにいかなかったし、俺自身が力を制御できなかった……だから、俺は逃げたんです。そして、ディングに身体を空け渡した」
 「そんなことができるのか?」
 「意図的にやったわけじゃありませんが」
 わずかに笑みがこぼれる。ランディが見たガルトの笑顔には冷笑と苦笑の二種類しかないのだが、これは後者にあたるだろう。
 「俺が記憶を、ディングが力を分かち持っています。ディングは力に気付いていないから使うことができないし、俺は力を持っていない。そうやってディングが力に気付かないように守ってきたんです」
 「おまえがそれだけ恐れる力って一体……」
 長い沈黙。明らかにランディは、ガルトが聞かれたくなかった核心をつく問いを投げかけたのだ。ランディもそれは承知している。ただ、ガルトがどんな反応を示すのか見たかっただけだ。
 「……あなたには……今は関係ありません」
 「あ……ははははっ」
 いきなりランディは笑い出した。ガルトがぎょっとしたような目を向ける。
 「な……」
 思わず声を失うガルトに、ランディはさらに笑い続けた。
 「あははは……おまえ、話すの下手だな」
 「?」
 「あのなあ、言いたくないことは聞かれないようにすればいいんだ。おまえの話し方ってさ、こっちがいちいち突っ込んで聞きたくなるの。わかる?」
 「あ……」
 形成逆転。
 今度はガルトが動揺し、黙り込んだ。
 ランディはもともと、会話で相手を翻弄し、自分の思い通りに動かしていくことを得意とする。不意のガルトの出現で乱されたペースは、完全に元に戻りつつあった。
 「今は関係ないって言ったろう? 長いつきあいをするつもりでもない相手に「今は」なんて必要ないんだよ。それに、動揺してるのが顔に出たら、もう負けてる。そこが大事だって言ってるようなものだからな」
 「……確かに」
 「今だっておまえ、どんどん追い込まれていって、話したくないことまで話さざるを得なくなっていた……違うか?」
 ガルトは恐らく、ひどく繊細で傷つきやすく、他者と接することに不慣れなのだと、ランディは思う。繊細だからこそ他者に内面を見せないようにつくろってはいるが、一度内面に踏み込まれれば、驚くほど弱々しい。
 まるで、昔のおれみたいじゃないか……ランディがついガルトの弱さを指摘するなどというお節介な行動を取ってしまったのは、そんな思いがあったからである。
 ガルトは闇色の目を伏せて考える。
 「その通りでしょうね……俺もまだまだだな」
 「いや、俺から過去の話を引き出したのは、おまえが初めてだったぜ」
 「そうですか……」
 ガルトは顔を上げ、微笑した。
 苦笑でも冷笑でもない、晴れやかな笑み。
 「どうやら俺は、あなたのような人をもっと見ておく必要があるらしい」
 「なんだそりゃ」
 「今あなたが言ったことが、たぶん俺にとっての致命的な欠点だからですよ。言葉に追い詰められて自分を見失っているうちは、島に戻れやしない」
 「戻るつもりか」
 「いずれはね」
 含みのある笑みを、ガルトは浮かべた。
 が。
 「まあ、そんな話はやめておきましょう。あなたはダーク・ヘヴンについて聞きたいことがあったんでしょう?」
 こいつ、聞かれたくないことに予防線を張ったつもりだな、と、ランディは思い、吹き出しそうになるのをおさえた。やはりランディに比べて、ガルトは年季が浅い。ランディは素直に乗ってやることにした。
 「そうだな。あの島に入り込む方法が知りたいんだ」 
 「入り込む、ですか……そう聞かれるとは思っていたけど……」
 ガルトは考え込む。
 「知らないのか?」
 「いえ。ただ俺は二年前のことしか知りません。その後状況が変わっているかも知れませんが、それでもかまわないのなら……」
 ガルトの言葉が、ふっと途切れた。
 洞窟の中層部の分かれ道に、彼らは立っている。ディングがつけた目印を逆にたどってきたので、トラップに引っ掛かることも道に迷うこともなくここまで来たのだが。
 ガルトの顔は、目印のついていない脇道の奥へと向けられていた。ランディも同じ方を向いている。
 「あの気配……おまえも気付いたか?」
 「ええ」
 ガルトが短く答えた。
 「死者の念が渦巻いている…俺にわかるぐらいだから、相当強いものですね」
 ガルトの言う通り、それは死霊の気配だった。先刻のものよりも強いかも知れない。
 「……」
 いきなり、ランディが歩き出した。目印をそれ、脇道にためらいもせずに踏み込んで行く。
 「ラ……ランディさん?」
 「言ったろう? 俺は死霊を集めなきゃならないんだ」
 「無茶だ、俺はディングじゃない。トラップ解除なんてできないんですよ!」
 「別におまえに来いなんて言っちゃいないぜ。また浄化されたら迷惑だしな」
 「しかし……」
 ガルトの制止を聞くランディではない。その間にもランディの姿は遠ざかっていく。
 「……どうしたら……」
 ガルトは迷う。ランディを見捨てるか、ついて行くか、それともディングに身体を譲るか……。
 「ええい、しかたがない!」
 荷物をさぐり、ディング愛用のナイフを手にしたガルトは、新たな目印をつくりながらランディを追った。

 


6 封印

 ランディは死霊の気配を追って道を下って行く。かちりという音とともにトラップが作動するのもかまわない。岩が落ちて来るのをひらりとかわし、落し穴を飛び越える。行く手をはばむようにモンスターが現われても、彼はひるまなかった。
 「なめるなよ……!」
 すらりと抜いた魔剣が赤く光る。
 「これはただの剣じゃねえんだっ!」
 薙ぎ払われた剣が、瞬時に数匹の洞窟鬼を両断し、地面に叩きつける。上から襲いかかってきた大型コウモリの群れも、魔剣からほとばしり出る赤い光に飲み込まれ、焼けこげた物体となって落ちていく。
 ランディは、走る。
 魔剣をふるい、疾駆する。
 そして。
 ランディがたどり着いたのは、地底湖のほとりだった。
 (潮のにおい?)
 かすかに感じられるにおいは、地底湖がかつて海とつながっていたことをあかし立てるものだった。どうやら、海賊達が海へ出るための港として使っていたところらしい。切り出した石で整備された岸には、かつて船であったとおぼしき残骸がかろうじて浮かんでいる。恐らく、海賊の手下達が追っ手と最後の戦闘を繰り広げ、敗れ去った場所なのだろう。
 (あの船か……)
 ぼろぼろの船から、死霊の気配は発せられていた。ランディは魔剣を構え、じりじりと歩み寄る。つかの宝玉が再び、赤いかがやきを帯び始めた。
 「今度こそ手に入れてやる……来い!」
 ランディの声に応じるかのように、船がぐにゃりと形を変えた。今までとは比較にならないほどの気配が感じられる。
 (これは……!)
 死霊は一体ではなかった。無数の死霊がひとつであるかのように群体となってうごめく。群体であることが感じ取れなかったのは、そこから発せられる気配がことごとく同じものだったからだ。
 生きている人間に対する悪意。
 おそらくは、かれらを殺した追っ手達への恨みだったものが、時を経て自他の区別や怨む対象すら定かでなくなってしまった姿であろう。
 そんな悪意を、だが、ランディは求めていたのだ。
 (これは……なんとしても手にいれないと!)
 ランディが短く叫ぶと、宝玉がひときわ赤く輝きはじめた。死霊の群体はざわざわとうごめきながら、少しずつ宝玉の方に引き寄せられて来る。
 だが、死霊は無抵抗ではなかった。淀んだ霧のような体をくねらせ、引き寄せられまいとする。
 「く……」
 ランディの額に汗が浮かぶ。宝玉に封印の力を与えているのは、他でもないランディの魔力である。封印の可否は、ランディの魔力が死霊の力を上回っていなければならない。だが、封印するにはあまりに死霊は強すぎた。このままでは宝玉に封じ切る前に、ランディの方が疲労してしまう。少しでも気をゆるめれば、死霊は宝玉の支配を逃れ、ランディに襲いかかってくるだろう。
 ガイドを身代わりにし、襲う隙をついて封じるといういつもの手段がとれなかったことも災いした。一度失敗したがゆえに、そして目の前の獲物の大きさゆえについあせってしまったのだ。
 目がかすむ。ほとんど限界まで魔力を使っているランディには、周囲の様子がわからなくなっていた。
 だが、後戻りはできない。
 (死ぬわけにはいかない……俺は……奴を……)
 自らを奮い立たせるためにつぶやく言葉すら、きれぎれになる。
 が。
 不意に。
 ランディのものではない、短い叫び声が上がった。
 同時に風がまき起こり、死霊の間を吹き抜けて行く。
 (……なに?)
 ふっと身体が軽くなったような気がした。死霊の抵抗が急激に弱まり、見る間に宝玉に吸い寄せられて来る。
 先刻までの苦戦が嘘のようにあっさりと、封印は完了した。
 魔剣をさやにおさめ、ランディは振り向く。
 腕組みしてたたずんでいたガルトが会釈した。彼が死霊の抵抗力を弱め、ランディを助けたのだろう。
 「……遅かったじゃないか」
 素直に助かったとは言えなかったが、ガルトは理解したらしい。
 「なに言ってるんですか。あなたが通ったあとの、落し穴と落石と獣の死骸だらけの道を通るのに、どれだけ苦労したことか」
 笑いながら、ガルトはそう答えた。ランディもつられて笑い出す。が、ふと笑うのをやめ、ランディは尋ねた。
 「……嘘だろう? それ」
 「なんのことです?」
 「すぐ後に立ってる人間の気配を俺が感じ取れないと思うか? おまえはかなり早いうちからここに来ていた、そうだろう?」
 「……さっきは気付かなかった癖に」
 ふいと視線をそらして、ガルトは愚痴っぽくつぶやいた。その答え方が肯定をあらわしてしまっている。ガルトもそれに気付き、しぶしぶ白状した。
 「迷ってたんですよ。あなたに手を貸すか、死者を眠らせるかをね」 
 「眠らせる……か。あれはもう、意志なんてない怨念のかたまりだったぜ」
 「それでも、生命の流れに帰れずさまようものを見過ごしたくはないんですよ、俺はね」
 「……おまえ、元暗殺者というよりは僧侶みたいな言い方するんだな」
 「ふふ……そうですね」
 ガルトは寂しげな笑みを浮かべる。
 興味が湧いた。
 ガルトの過去は、ただの暗殺者のものではない。それは恐らく、先刻話に出ていた「力」に由来するものなのだろう。その過去、その力を、ランディは知りたくなった。
 それは、ランディ自身の目的と接点を持つものではない。むしろ、目的ある身で他人の過去などに興味を持っていては、時間の無駄だ。目的以上の関心は持たず、あらゆるものを利用していくべきだということはわかりきっているのに、ガルトに対してはなぜか、そうする気になれない。
 「……ダーク・ヘヴンに行くんですか」
 黙り込んだランディに、ガルトが問いかけてくる。話が中断されていたことを気にしていたのだろう。
 「ああ。……だが、もう少したってからにする」
 「どうしたんです?」
 「今でかい死霊を封じたからな。これ以上は宝玉がもたない。もっと強い宝玉を手に入れないことには、ダーク・ヘヴンに行っても無意味だ」
 「そうですか……」
 ガルトは何かを言いかけたが、すぐに口をつぐんでしまった。ランディも、あえて尋ねない。会話の場を支配し、聞き出すよりは、ガルトの語るにまかせてみようという気になったのは、やはりガルトへの関心ゆえなのかも知れない。

 「う?」
 ディングは首をかしげた。目の前には見慣れたケレスの町が広がっている。
 「あれ? 俺いったい……」
 振り向くと、ケレス第四洞窟の入口があった。
 ディングは首をかしげる。さっきまで自分は、洞窟の最下層にいたはずだ。確か、刺さっていた剣を抜いたはずなのだが、その後どうやって洞窟の外に出て来たのかはまったく覚えていない。
 「どうしたんだ?」
 声をかけられ、見ると依頼人…ランディが微笑んでいた。
 「あれ、俺……どうしてたんだ? 洞窟の中にいたんじゃなかったっけ?」
 「なに言ってるんだ?」
 ランディは冗談を聞いたとでもいうかのように笑い出した。
 「ちゃんと、元の道を通って帰って来たところじゃないか」
 「そ、そうか? でも……変だなあ」
 「変なのは君だよ。いきなりぼうっとしてると思えば……」
 「え?? そうなの? どうしちゃったんだ……」
 ディングは考える。
 「あのさ、俺、ちゃんと道案内できてた?」
 「妙なこと聞くなあ、君も。できてたからこうして地上に帰って来てるんじゃないか」
 「そうか、それもそうだな」
 ディングはほっとしたように笑う。
 「まあいいや。ちゃんとお客さんを連れて帰って来れたんだし」
 どうやら彼は、すぐに持ち前の単純さで立ち直ってしまったようだ。
 ランディはその様子を見つめていた。最初は不可解だった、ディングの前向きな性格が、ひとたびガルトを見ると理解できたような気がする。それは繊細すぎるガルトに必要な強さだ。周囲の反応に防衛しなくても済む明るさと、単純だが楽天的なものの見方は、ガルトには備わっていない性質である。ふたつの人格は互いに共存し、バランスを取っているのだ。
 「ところでさ、ディング」
 ランディはガルトのことなど言葉の片鱗にすら見せずに尋ねる。ガルトに口止めされたせいもあるが、このまま成り行きを見守って行くのも面白そうだと思ったからだ。
 「トラップ解除の師匠を紹介してくれる、って言ってたよね」
 「ん? ああ」
 「頼めるかな……知っておいた方がいいと思ってね」
 「もちろんさ」
 ランディの予想通り、ディングは二つ返事で引き受ける。
 これでしばらくの間、ランディはケレスに滞在することになる。どのみち強力な死霊と宝玉を探すために、旅人の集まる町を拠点にするつもりであったから、ケレスでの足場ができることは好都合だった。だから、ディングとガルトのことはちょっとした暇つぶしに過ぎなかったのである。

 少なくともこの時は、まだ。

 (end)


[日と月の魔剣士][交差の地]