守護獣の翼  9 鏡の試練

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 彼らは武器をつきつけられたまま、集落の中のある建物につれて行かれた。魔獣達の敵意と不審の念がぴりぴりと肌を刺すが、すぐに危害を加える気はないようだ。
 むしろ彼らの当惑は、ユァンやランタイに向けられているようだった。とりわけユァンは、仲間であるはずなのに敵であるはずの人間を守ると言い放った。どう扱ったものかという迷いのまなざしが、彼に注がれている。
 仲間。
 その感覚はユァンにも理解できた。理屈ではなく感じられる、仲間だ、という感覚。
 宙に拡散した意識の断片を仲間と認識したのと同じように、集落のそこここから様子をうかがうさまざまな姿の者達は、ユァンにとって仲間であるように思える。おそらく、彼らもまた同じ感覚を抱いているのだろう。
 それでも、ユァンは必要とあらば戦うつもりだった。
 長老の裁定次第では何が起こるのかわからない。今はウェイの「話し合い」に頼るほかはないが、もしものことがあれば、ウェイとメイエイを守って戦う。
 「医師」のランタイに頼るわけにはいかない。何より彼にはウェイやメイエイを守る義務はない。彼らを守れるのは、自分だけなのだ。
 建物の扉が開く。ともされた炎のゆらめきの中、長衣に身を包んだ魔獣が彼らを迎えた。
 部屋の奥、壇上の敷物に座っている。顔も身体つきも、長衣に覆われてさだかではないが、小柄な人に近い姿をしているようだった。
(長老……)
 誰に告げられるともなく、ユァンは悟っていた。「翼」によらずとも、そのただならぬ気迫は感じ取れる。身のすくむような思いがした。
 部屋の隅に武器を構えた魔獣達が数人待機する中、先に言葉を発したのは長老だった。
「人間よ、なぜここまで来た」
「あなたに尋ねたいことがありました」
 ウェイがはっきりとした声で答える。
「話せ」
「魔獣と人間は、敵なのか、と」
「わかりきったことを聞く」
「……そうでしょうか」
 ウェイは長老をまっすぐに見据えている。ゆっくりとした話し方はいつものままだ。
「過去に祖先があなた方を裏切ったことを認め、あなた方が受けるべき敬意を払うことも、もう人には許されないのでしょうか」
「償うつもりか」
「できる限り」
「それは、人間全体の意志か」
「真影鏡を受け継いできた者の意志です」
「……子供よの」
「そうですね」
 軽くいなすような長老の言葉にも、ウェイは動じない。
「だからこそ、古い因習を変えることができます。わけもわからず継承されてきた、傷つけるだけの歴史を終わらせることができると、俺は信じています」
「……」
 ウェイの言葉に、長老は何か思うところがあったかのように考え込む。
 やがて。
「若者よ、人の嘘には二つある」
「……?」
「相手をたぶらかす嘘と、変化がもたらす嘘だ。おまえが我らをたぶらかすつもりのないことは理解する。だが、その決意が決して変わらぬと言えるのか?」
「真影ある限り」
「その言葉、確かめさせてもらおう……そこの風の少年よ」
 長老の首がわずかに傾く。自分が呼ばれたのだと、すぐにわかった。
「は、はい」
 ユァンは慌てて返事をする。
「おまえはこの若者とともに育ってきたそうだな。ならば、この者の行く末を見通せるのもおまえにほかならぬ」
「……?」
「この者を守り続ける気はあるか」
「もちろんです」
 決意を込めてユァンは答える。
「ならば今一度、鏡に身を映す覚悟はあるか」
「……!」
「おまえがわれらの仲間としていかなる姿を持とうとも、この者を守り抜き、この者が今の言葉を覆さぬならば、おまえ達の意志を認めて話し合いを続けてやろう」
 真影鏡に身を映す。それは、ユァンが今の姿を保てなくなるということだ。それどころか、川べりでのように拡散し、宙に消えてしまうかも知れない。今度はウェイ達が呼び戻す暇も与えられないだろう。
 長老は続ける。
「散っていくのが恐ろしければ、試練など受けずともよい。守るのをやめよ。この村にとどまり、人間との関わりを断て。そのかわりこの者達は彼らの村に帰そう」
「……」
 つまり、拡散する危機をおかしてでもウェイ達を守り抜けるかということだ。危険を避ける場合、ウェイの交渉はなかったことになり、人間と魔獣の和解もできなくなる。
 ウェイが村を出てここまで旅をしてきたことを、無駄にしたくはない。そこには迷いはない。
 だが。
「もし俺が散っていったら?」
「守る者がおらぬ。そういうことだ」
 ユァンは唇を噛む。自分が拡散することで、ウェイとメイエイまでもが危機にさらされる。あきらめれば、二人は助かるのだ。
 だが彼らを守るために、ここまでの旅を、ウェイの志を、無に帰してしまってよいのか。
 道は、たった一つ。
(俺が鏡に耐えるしかない)
 自分にそれが可能なのか、ユァンにはわからなかった。
 だが。
「わかりました」
 しんと静まり返った部屋の中に、ユァンの声が響いた。
「試練を受けます」 
 一度は拡散しかけた身を、二人は呼び戻してくれた。だからこそ、今度は自分の思いだけで、この世界にとどまらねばならない。
 二人を守り抜く。
(それができなければ、俺は『盾』でも魔獣でもないんだ)
 ユァンはぐいと顔をあげ、長老を見つめる。
「……」
 長老はそばに控えたリウユンに何事か合図をする。リウユンはユァンの横に立っていたランタイをうながした。
「地の若者よ。鏡の光を受けぬよう、外へ出るがいい」
「わかった」
 ランタイはうなずく。部屋を出る前に彼は振り返り、ユァンに言った。
「忘れるな。君がどういう姿でありたいと思うか、だ」
「……はい」
 ユァンはまっすぐ前を見つめたまま答えた。
「ホンル、鏡を人の若者へ」
「は、はいっ」
 ホンルがウェイに短剣を手渡す。ウェイはしばし短剣に目を落とし、やがて顔を上げてユァンを見つめる。
 彼は、いつもの笑みをたたえていた。一瞬後には自分の命すら危ういかもしれないこんな時にも、彼の笑顔には迷いも揺るぎもない。
 それがウェイという「長」なのだと、ユァンは思った。
 人と魔獣が共存する、新しい村の「長」。
 守ろうと決めた者。
「……ユァン。俺達の命、預けたよ」
 そして、皆が息をつめて見守る中、ウェイは静かに短剣を抜き放った。

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