「守護獣の翼」番外編

無窮の空

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 平原の旅は、比較的平穏だった。「獣」の習性を考えて慎重に移動する時間帯を選んでいるためであろう。紅裳までならば、セイリンは何度か行ったことがある。「獣」の生息状況を心得ているので、的確な判断を下すことができた。
 とはいえ、紅裳から真影までがどれだけ危険な道のりになるのか、セイリンにはわからない。森に近い真影の周辺には「獣」も多いと聞いているが、具体的な分布や習性については、紅裳で情報を仕入れるしかないようだった。
 レンユウはといえば、おとなしくセイリンの後について歩いている。玉輝でうなずいた通り、セイリンが指示したことには素直に従った。相変わらず言葉を話すことはなかったが、それでも旅立つ前に比べて表情がはっきりしてきたように感じられる。ずっと一緒にいるからわずかな変化も見てとれるだけなのかも知れない。だがセイリンには、玉輝という町が彼女を圧迫していたようにも感じられた。初めて見た時には全身に張りつめていた緊張が、少しだけ和らいできているのが、歩き方一つからも見て取れる。
 (この子は、本当に魔獣なんだろうか)
 確かに他人の考えていることを読みとることが、普通の人間にできるとは思わない。だが、表情が変化するようになると、彼女はただ無口なだけの普通の少女に見える。無表情だったのもあるいは、何らかの理由で全身をこわばらせ続けてきたからだったのかも知れない。
 彼女が魔獣かどうか、セイリンには判断できない。そもそも、魔獣がどういうものなのかもわかっていないのだ。単にうまく集団に適応できなかった子供を排斥する口実だったのかも知れないとすら思えてくる。
 いずれにせよ、レンユウを玉輝に連れて帰ることはできないだろう。シェンミン達は恐らくそれを望んではいない。
 だがそれならば、この少女の居場所はどこにあるのか。
 真影を目指す旅を続けながら、だが、セイリンにはどうしてもその答えを出すことができなかった。

 「――あれが紅裳だ」
 行く手に見えた防壁を指してみせると、レンユウの足が止まった。振り返ると、レンユウが紅裳の防壁に視線を向けたまま、じっとたたずんでいる。
 「どうした?」
 声をかけると、彼女はセイリンの顔を見上げた。どこかすがるような目に見えて、セイリンはぎょっとする。何かを訴えかけているのはわかったが、何を訴えているのかがわからない。
 困惑して見つめるセイリンと、見上げるレンユウの目がしばし合う。
 動いたのは、レンユウの方だった。
 一度強く目をつぶる。ふたたび開いた時、彼女の顔からは一切の表情が消えていた。無表情なまま、彼女は紅裳のほうへ足を踏み出す。
 セイリンははっとした。
 彼女はこうやって、不安や懸念や恐れや、そういったあらゆる感情を押し殺してきたのではないか。
 誰にも助けてもらえない中で、たった一人で。
 いたたまれない気がした。彼女が魔獣であろうがそうでなかろうが、どうでもよく思われた。
 「レンユウ」
 思わずセイリンは彼女の名を呼ぶ。振り向いた少女に、手をさしのべる。
 「大丈夫だ、私がついている」
 彼女が何を訴えたかったのか、セイリンにはわからない。だが、もし彼女が苦境に陥ったなら、守れるのは自分だけなのだ。
 レンユウはセイリンを見上げ、さしのべられた手を遠慮がちにとる。
 その口がわずかに開いて動く。音としてはっきり聞こえるまでにはいたらなかったが、セイリンには彼女が「ありがとう」と言ったように思える。
 紅裳の門まで、彼女はセイリンの手を放さなかった。

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