夢魔

第6章 手紙

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島村へ

 突然こんな手紙を受け取って、さぞ驚いたことと思う。よく顔を合わせているのに、なんで今さら手紙なんて、と思っているだろうね。でもこれから記すことはどうしても口では話せないことなんだ。今までにも何度も打ち明けるチャンスはあったし、君が心配してくれているのに隠しているべきじゃないと思ってはいた。でもどうしても言葉にできなかった。多分、口でしゃべるにはあまりに問題が大きすぎて心の整理がつかないからなんだろう。だから、こうして文字にしてみることにした。
 どうか最後まで読んで欲しい。僕が今まで恐怖のあまりに心の中にしまい込み、忘れようとしてきたことの記録を。

 三年前に僕が夢魔退治をやめると言った時、君は理由を聞かないでいてくれたね。あのことに僕はとても感謝している。あの時話せなかった理由をまず話しておきたい。
 関野の夢の中で感じた夢魔の気配は、それまでに感じた中で最も強いものだった。かなり強い夢魔を相手にしなければならないとわかって、僕は緊張しつつ夢魔を探した。
 夢魔を探しあてるのはそんなに難しいことではなかった。でもその夢魔の顔を見た時、僕は驚いてしまって、しばらく動くことができなかった。夢魔の方も僕と同じように驚いた顔をして立ちつくしていた。僕と夢魔は互いの顔を見たまま、長い間動けなかった。なぜかって? 信じられないことだったが、その夢魔は僕の姉・恵美の姿をしていたんだ。
 夢使いが見る夢魔の姿はまやかしではなく真の姿だと習ってきたけれど、その時ばかりはまやかしを見ているのだと思いたかった。だが、まやかしならばどうして夢魔もまた驚いて僕を見たのだろう?
 夢魔は僕よりも立ち直りが早かったらしい。僕が捕らえようとするより早く、夢から逃げ去ってしまった。関野の夢から夢魔が消えたことを確認すると僕はすぐ、起きて恵美の部屋に行ってみた。が、恵美はいなかった。はじめから不在だったんじゃない。恵美の蒲団はめくれ、触れるとまだ温かかった。まるでたった今起きて部屋を飛び出して行ったようにしか見えなかった。
 それ以来、恵美は行方不明になって、まだ見つからない。
 恵美がいなくなったことがわかると、僕は必死になって恵美を探し回った。直接恵美に会って、関野の夢に憑いていた夢魔との関係を聞きたかった。正確に言えば、あの晩いなくなったのはまったくの偶然であって、関野の夢とは何の関係もないのだと(つまり恵美の姿をした夢魔の件は僕の勘違いだったと)証明したかったんだ。自分の姉が人の生気を奪う魔物かも知れないなんて、考えるだけでも恐ろしいことだった。ましてその証拠を見る気になどなれるはずもない。だから僕は夢魔退治ができなくなってしまったんだ。あの夢魔にまた会ってしまったら? そしてそれが本当に恵美だったら? 
 もっとも当時の僕は、そのようにちゃんと考えていたわけではない。あの時はただ怖くて夢魔退治ができなくなったのであって、ここまで書いてきたことは、何が怖かったのかを今になって思い返してみたことだ。
 ともあれこうして僕は逃げた。真実が何かを見極めることの恐ろしさに、ただ何も見ないようにしていたんだ。
 僕の唯一の希望は、恵美に人の体があるということだった。夢魔にないはずの人の体を持つ恵美が、夢魔であるわけがない――僕はひたすらそれだけを念じていた。

 君に千秋を紹介してもらった頃、僕はまだそんな状態のままだった。
 知りたくない事態が現実かどうかも確かめず、見ないようにしてきた僕は、無茶なことでも自分が正しいと思えばやり通そうとする千秋の意志の強さに圧倒された。夢使いでもないのに、自分に憑いた夢魔を倒すなんて不可能なことだ。なのにその不可能なことを千秋はあえてやろうとしたんだ。結局は僕が手助けしたけれど、その強さが僕には眩しかった。それに比べて自分はどうだろう。何が真実なのかさえ見極められずにいる自分が恥ずかしくなった。
 千秋の夢魔退治をきっかけに僕が復帰したのは、夢使いを取り巻く状況が厳しくなってきて、僕一人が何もしないでいられるような場合ではないということがわかったこともあるけれど、それ以上に千秋の前向きな姿勢を見習いたいと思ったからなんだ。たとえ夢の中で再びあの夢魔に会っても逃げるまい、本当にその夢魔が恵美なのかどうかを確かめよう――三年間の冷却期間と千秋との出会いのおかげで、僕はやっとそんな風に思えるようになった。
 そしてまた、今まで考えずにいたことを色々と考えるようになった。もしも恵美が夢魔だとしたら、彼女の体は今どうなっているんだろう? それになぜ、僕の姉でれっきとした人間であったはずの恵美が夢魔になってしまったんだろうか?
 こんなことをずっと考えていて、思い出した夢がある。確か、僕が十二歳ぐらいの時、父の死後間もない頃に見た夢だ。


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