Darkside

(旧「魔の島のシニフィエ番外編 日と月の魔剣士」)

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[日と月の魔剣士][交差の地]


1 蒼月の悪夢 

 身体が熱い。走り続けてきたせいか、日のように明るい月のせいか。
 夜更けにもかかわらず、昼間のようにぎらぎらと月が輝く。その異様な月に照らされた谷間には、凄惨な光景が広がっている。
 おびただしい死体。剣で切り裂かれた、かつての仲間たち。
 血のにおいに息がつまりそうだった。
 彼は走る。手にした剣は血濡れてずしりと重く、もはや構えを取る力さえ残ってはいない。だが、それでも倒さねばならぬ者がいる。
 奪われた者の、激しい怒り。それが、彼を支配していた。怒りを向けるべき相手はただ一人……。
 月に向かい、その男は立っていた。
 熱いほどに、だが青白く輝く月。
 彼の気配を感じたか、男はゆっくりと振り向く。そして…すっと剣を上げた。
 月と同じ、青白い光。まるで月に共鳴するかのように、剣が光を放つ。
 「!」
 彼は足がすくむのを感じた。
 こみあげる恐怖感。
 男の剣がひときわ輝き、彼を圧倒する。
 「……っ!」
 自分の叫び声が、ひどく遠くで聞こえるような気がする。なんと叫んだのかはわからない。だが、それがだれかの名であることだけは理解できた。
 男は無言で、一歩前に進み出る。
 震える手で、彼も剣を構える。
 そして。

 彼は目を覚ました。

 


2 偽りの探索

 うたた寝の悪夢から目覚めたランディは、しっかりと手に握りしめているものを見て苦笑した。
 見るからに禍々しい魔神の姿が彫り込まれた片手剣。柄の赤い宝玉が、やはり不吉な輝きを帯びている。この世でただ一人、ランディだけが扱うことのできる剣で、その禍々しい外観と、扱いきれぬ者が手にすればたちまち災厄に見舞われることから「魔剣」と呼ばれている。ランディにとっては、頼もしいパートナーなのだが。
 「……それでも、夢は防げないのにな」
 汗ばんだ手に握った魔剣を傍らに置き、ランディは窓から外を見やる。ケレス島の町並が眼下に広がっていた。
 ケレス島は、大陸北部の群島の中にある島で、古くから航路の拠点として栄えてきた。最近では島内に点在する洞窟や遺跡の調査が進み、観光地としても有名になりつつある。ランディの滞在している宿屋も、ささやかで安全な範囲での「探検」を楽しもうとする観光客で混み合っていた。
 平和なやつらめ、とランディはつぶやく。わずかな眠りの中でまで、悪夢と戦い続ける生活。それは、けっして安全圏から出ず、それでいて退屈な日常を紛らわすための「探検」に興じる者達には決して理解できぬ闇の領域であろう。
 ランディは、そんな愚昧な民衆を嫌っていた。数千年もの間、おびただしい血を流し続けて来た魔剣。その守り人の一族に生まれた者の苦しみや悲しみを知らず、安閑と生きる者達など、魔剣の餌になるしか価値がないとすら思う。
 このケレス島に来たのは、魔剣をいっそう強力にする目的があってのことだ。そのために何も知らぬ者が何人か犠牲になるかも知れないが、そんなことは彼にとってどうでもよいことである。
 コン、コン。
 控え目なノックの音に、ランディは顔を上げた。扉を開けると、そこにはランディよりも二つ三つ年下とおぼしき少年が立っている。
 「こんにちは、ランディ・フィルクス・エ・ノルージさんですか?」
 宿の主人に告げたランディのフルネームを、少年は口にする。快活なしゃべり方だ。
 「ええ」
 「この宿の主人の紹介で来ました。洞窟探検のガイドの、ディング・ウィルビアーって言います」
 ああ、とランディはうなずく。宿の主人に、若く腕の良いガイドを紹介してくれるよう頼んでおいたのだ。
 「……女の方がよかったんだけどな」
 ぼそりとランディはつぶやく。 
 「は? 何か言いました?」
 「ああ、なんでもありません。今から打ち合わせしたいんですが、かまいませんか?」
 「ええ、いいですよ」
 にこにこと笑う少年を部屋に迎え入れながら、ランディの目は鋭く相手を観察する。黒い瞳が快活そうにくるくるとよく動く。感情がはっきりしているが細かいことはあまり気にならない、単純な性格のようだ。
 「最近、この地図を手に入れまして」
 テーブルの上に広げられた古地図を見て、ディングは眼を丸くした。
 「ケレスの第四洞窟じゃないですか。すごいなあ」
 「そうなんですか?」
 「そりゃもう」
 眼を輝かせてディングはうなずく。
 「この洞窟って、地底湖が海につながってたらしくて、数百年前に海賊が拠点にしてたらしいんですけど、その記録がなぜか残ってないんです。海からの入口もつぶされちゃったし、通路はトラップだらけで、到底観光用にはなりそうにないから、あんまり調査されてなくって……」
 「ふうん」
 とうに知っていることだ。だがランディは感心したようにうなずいてみせる。
 「で、どこまで潜ってみたいんですか? わざわざ地図持参で来たってことは、ただの観光じゃないんでしょ?」
 洞窟のごく浅い部分を散策し、鍾乳石の珍しい形に感心して帰って行く観光客が、数の上では最も多い。だが中には珍しい鉱石や、先人が隠した財宝の噂をききつけ、探索に訪れる者もいた。ディングはランディを、そういった探索者と思ったらしい。ランディはかねてから用意していた答えを口にした。
 「下層部……地図でいうとこのあたりに、海賊の首領が愛用していた宝剣があるそうなんです。ちょっと興味があってね」
 「へえ…」
 ディングは感心したようにうなずく。
 「どうです? トラップも多いってさっき言ってましたよね。行けますか?」
 「任せてください」
 ディングはいかにも楽天的な笑顔を見せる。
 「トラップはずしは得意ですから。まあ、かなり深くまで潜るから、時間はかかっちゃうでしょうけどね」
 ガイド料は通常、コースと案内につきそっている時間に基づいて計算される。ガイドのミスで遠回りをしたり、迷ったりした場合はその限りではないが。
 「ああ、時間はかまいません。こっちも手間のかかることをお願いするんですから」
 そう言ってやると、ディングはほっとした顔になる。扱いやすいタイプだと思ったランディは、もうひとつ質問してみることにした。
 「ああそうだ、ウィルビアーさんは魔法は使えますか?」
 「ディングでいいです。魔法はからっきしなんですよ……それがなにか?」
 「いえ、それで持ち物も変わってくるでしょう?」
 「そうですね」
 魔法が使えない方が、ランディにとっては都合がよい。彼の真の目的は宝剣などではない。宝剣にとりつき、今なお怨念を燃やし続ける死霊が、彼のめざすものである。
 彼の持つ魔剣が魔剣たる所以。それは、柄にはめ込まれた宝玉に封じ込められた、あまたの死霊の力である。死霊が強力であればそれだけ魔剣も力を増す。だが、強力な死霊ほど、封じることが難しいのも事実である。だからランディは、いざという時に自分の身代りにできる人間を連れて行くのだ。ガイドとして道案内をさせ、手におえない死霊であればいけにえとして差し出し、死霊を鎮めて封じやすくする人間。魔法を使えない人間であれば、かたちなき死霊に対抗することはまず不可能だ。それだけ、ランディの計画がうまく進むことになる。
 他人を犠牲にすることに、ランディは一片の躊躇も抱いていない。どうせこの少年も、魔剣の主の凄惨な宿命など理解できぬのだから。
 「じゃあ、準備ができしだい出発しましょうか。いつがいいです?」
 何も知らぬ平和な口調で、ディングが話しかけてきた。
 「じゃあ、明朝にでも」
 にっこりとランディは笑う。死霊のもとにたどり着くまでは、ディングに警戒心を持たせてはならない。もっとも、いかにも単純そうに見えるこの少年相手ならば、さほど苦労はしなくて済むに違いない。


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