Darkside

(旧「魔の島のシニフィエ番外編 日と月の魔剣士」)

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[日と月の魔剣士][交差の地]


3 刻印

 「あ、そこ動かないで」
 ディングの制止に、ランディは歩みを止める。ランディの足元にかがみ込んだディングが、巧妙に隠されたトラップのスイッチを分解し、見る間に作動不能にしていった。
 「へえ……すごいな」
 ランディは感心した声を出す。
 「500年前のトラップは、構造もわりと単純だからさ、見逃すか劣化してるのを壊すかしなきゃ解除は楽なんだ」
 すっかり打ち解けた口調になったディングが答える。
 「ふうん、やっぱり年代ごとの特徴なんてあるの?」
 「もちろんさ。それに仕掛ける場所や狙う相手によっても違う。ここだったら洞窟の地形を利用して、奥にいる誰かの命を狙う侵入者を仕留めようとしたんだな」
 「そんなことまでわかるのか……」
 「聞いたことなかった? 結構こうやって探索してるんだろ?」
 「えっ……」
 ランディは一瞬、返答に詰まる。確かにガイドを伴って探索の旅に出たことは、今回が初めてのことではない。だがなぜディングにそれがわかるのか。
 「どうしてわかる?」
 「だってさ、装備も持ち物も、全然無駄がないじゃん。ガイドなしでも大丈夫かもな」
 ディングは恐らく、軽い冗談のつもりで言ったのだろう。だがその一言は、ランディをどきりとさせるに十分だった。 
 「そんなことはないよ。俺はトラップをはずせないから」
 そう弁解しつつ、まずいな、と思う。ディングは単純で楽天的な性格だからと安心していたが、思ったよりも頭が回るらしい。それに人なつこくあれこれと話しかけてくるため、うっかり口を滑らせてしまいかねない。
 幸い、ディングはランディの動揺にはまったく気付いていなかった。
 「なんだったら、帰ってから覚えていくかい? 師匠紹介するぜ」
 「そうだな、考えてみるよ」
 相手に会話の主導権を持たせてはいけない。ランディはディングに話をさせることで、事態の打開を試みた。
 「ガイドになって長いの?」
 「んー、二年ぐらいかなあ。この島に来てすぐだから」
 「その前は?」
 「前?」
 分かれ道に目印をつけながら、ディングが答える。
 「覚えてない。俺、それまでの記憶がねえんだ」
 「記憶が?」
 「うん。宿屋で目が覚めたら、何も覚えちゃいなかった。わかったのは宿帳に書いてあった名前だけでさ」
 「びっくりしただろ?」
 「そうだなあ……でも、ないもんはしょーがないじゃない」
 ランディは目を丸くする。過去の記憶を失っているということは、不安ではないのだろうか。
 「あ、ストップ」
 ディングが呼び止める。話しながらも周囲に目を配ることは忘れていないようだ。
 トラップを解除し、再び二人は歩き出す。下り坂の道がいつしか平坦になり、足元の岩はしみ出した冷たい湧き水で濡れていた。ところどころ、道を横切って湧き水が小さな流れを作り、道を渡って崖下へと落ちている。地図によれば、崖のはるか下に地底湖があるらしい。
 「じゃあ、ガイドの技術もこの島で身につけたんだ」
 「そういうこと。面倒見てくれる人がいてさ」
 たかだか二年にしては、ディングの腕前はかなりのものだった。トラップ解除はもちろんのこと、地形やわずかな風の変化にも敏感で、その都度適切な指示を出す。これまでにも多くのガイドを見てきたが、ディングはその中でもトップクラスに思われた。
 「だけど、記憶がないって不安じゃない? 過去に何やってたのか、とかさ」
 「んー」
 ディングはしばらく考える。が、やがて、
 「俺、あんまりそういうの気にならないんだよな。今ここに俺がいるってだけで十分な気がしてさ」
 「そういうものかなあ」
 ランディにはわからない。過去の凄惨な記憶は彼にとって、忌まわしいものであると同時に、今自分が生きるためのよりどころとなっているからだ。それを失ってしまったとしたら、自分はどうやって生きればよいのだろう……。
 ふっと彼らしからぬ物思いにとらわれたのが災いしたらしい。
 「おい、おいってば!」
 呼び続けるディングの声に気付いた時は遅かった。
 がくん、と身体が揺れる。道を横切る流れに足を滑らせたのだ。
 「うわっ」
 捕まる場所を求めて伸ばした手が空をつかむ。
 道の片方は崖、はるか下の地底湖に落ちればまず命はない。
 (しまった!)
 ランディの片手がすばやく腰の魔剣に伸びる。宝玉に宿る死霊の力を借りて、崩れた体勢を戻すつもりだった。
 が、その時。
 なにかがぶつかる衝撃があり、直後、ランディは道に叩きつけられていた。
 (?)
 見るとすぐ横にディングが倒れている。どうやら落ちかかるランディに体当たりしてきたらしい。
 (助けてくれたのか?)
 岩にぶつけた背中が痛むのを我慢して、ランディはディングに声をかける。
 「おい……」
 ディングは上体をもたげ、にらむようにランディを見上げる。
 「ったく、こんなところでぼーっとするなよ。死ぬところだったんだぜ」
 「……悪かった」
 珍しく素直にランディは謝る。今回は確かに、ランディが悪い。ディングが助けなくても、死霊の力で死ぬことはなかっただろうが、宝玉の死霊の力を無駄に使って魔剣の力を弱めずに済んだのだから、やはり感謝せねばなるまい。
 「このあたりは水が多いから気をつけろって言おうとしたのにな」
 ディングは起き上がりながら言った。確かに、水の流れにまともに突っ込んでしまったらしく、二人ともずぶ濡れである。
 「……これは、服乾かすのが先だな」
 ランディの言葉に、ディングがうなずく。
 「ちょっと戻れば、火起こせそうなところがあったよな。あそこで休もうぜ」

 乾いた空地を見つけ、二人は火を起こす。
 濡れた服を脱いでいたディングが、ふと手を止め、驚いたような声を上げた。
 「あんた……すごいな、その傷」
 ランディの身体には、無数の傷あとがあった。魔剣士の一族としての厳しい修行を積んだ……それはひとえに、魔剣に封じるべき死霊との戦いの記録でもあった……そのなごりである。その甲斐あって彼は兄を差し置き、一族の長のみが持つことのできる最強の魔剣を与えられた。だが……。
 「…いろいろあってな」
 ランディは冷たくつき放すように答えた。そうでもしないと、ディングにうっかり話してしまいたくなるような気がしたのだ。
 「……」
 ディングは気おされたように黙り込む。
 (しまった)
 不信感を与えてしまってはまずい。ランディはあわてて言葉をつぐ。
 「その……さっきは助かった。ありがとう」
 「え? ああ、別にかまわないぜ。客の安全を守るのもガイドの仕事さ」
 ディングはあまり気にしていなかったらしい。いつもの笑顔にすぐ戻る。
 変だ、とランディは思う。このガイド……死霊へのいけにえとして利用するためだけに連れて来たはずの少年に、意外なまでに気を許している自分がいる。あの人なつこい表情のせいか、それとも他に何かあるのか。
 ふと目をやると、ディングの肩に奇妙なものを見つけた。
 「ディング、肩のそれ……」
 「ああ、この刺青?」
 単純で快活なディングに、まるで似つかわしくない、禍々しいどくろの刺青が、ディングの左肩に彫り込まれていた。
 「これさあ、覚えてないんだ」 
 「記憶喪失になる前の?」
 「たぶん。なんかものすごく嫌な感じはするんだけど、わからないものはむやみに消せないじゃん」
 「そうだなあ……それは……」
 ランディはあごに手を当てて考え込む。
 「なにか知ってるの?」
 「ああ」
 身を乗り出すディングに、ランディは答えてやる。ランディ自身に関わりのないことであれば、いくらでも話してやってよい。
 「その刺青……多分、ダーク・ヘヴンの暗殺者の刻印って奴だ」
 「は?」
 ディングはきょとんとする。
 「ダーク・ヘヴンは知ってるか?」
 「ああ、北の方にある、なんかおっかねえ島だろ?」
 「そう。死と破壊をつかさどる邪神が封印されてる島。他国と国交を持たないのに、暗殺者を育てて世界各地に送り込んで、破壊の神へのいけにえを狩る邪教集団……って言われてる島だ」
 「げっ……それじゃあ俺って、もともと邪教を信じる暗殺者だったってわけ?」
 「……かも」
 ディングは気味悪そうな目で、自分の左肩を見やった。よほど驚いたらしい。ディングだけでなく、ランディにとってもこのことは意外だった。いくら記憶を失っているとはいえ、目の前の脳天気なディングと、ダーク・ヘヴンの暗殺者という言葉は、あまりに不似合いだ。少なくともランディには、ディングが人を殺す姿など想像できないし、そんな術を身につけているようにも見えなかった。
 「ま、いいか」
 「えっ?」
 ディングの言葉に、ランディは驚いて顔を上げる。
 「覚えてないんだから、どうしようもないや。俺は俺なんだし。そうだろ?」
 いかにもディングらしい解決法に、ランディは思わず笑い出す。
 「確かに……その通りだ」
 あれこれ悩んでも始まらない時というものは、往々にしてある。だがそういう時ほど思考の袋小路に迷い込んでしまいやすいのも事実だ。ディングはそんな葛藤に縛られることなく前を向いて進んで行ける人間らしい。
 だが、記憶を失い、過去という拠り所を失ったディングが、現在の自己に疑いを抱かないで生きていられる理由が、ランディには理解できなかった。自分が自分である、と、てらいなく言ってみせることは、少なくともランディにはできない。 
 (こいつ……ただのお人好しなガイドじゃないのか?)
 ランディは、ふっと不安を覚えた。
 いつものように洞窟の最奥部で死霊を誘い出し、手に負えないようならばガイドをいけにえとする……その後は、元の道を戻ってくればいい。観光コースならいざ知らず、洞窟の奥に入り込んだ場合には、ガイドが行方不明になることなどさして珍しくはない。よくある不幸な事故のひとつになるだけだ。
 だが。
 いつもと何かが違うような気がしてならない。探索を始めた頃には、単純で御しやすい相手だと思っていたし、今でもディングは、その気になれば簡単に騙しおおせてしまうだろう。それなのに、不安はぬぐえない。
 (俺がこいつに興味を持っているからか? だが……なぜ? こんな、ただのガイドに……)
 思えば誰かに謝ったのは久しぶりだ。とげのある言葉を吐いたのも。どす黒く胸のうちに秘められた計画を隠すよう、常ににこやかな笑顔を顔に貼りつかせていたはずなのに、ディングはその仮面の奥底の素顔を、いとも簡単に引き出してしまう。
 (……!)
 ランディは、二、三度頭を振った。
 (しっかりしろ。あいつを殺すまでは、よそ見すべきじゃない)
 ランディの脳裏に、ありありと浮かび上がる光景。
 こうこうと輝く月を背景にたたずむ男。男の持つ剣できらめく、まあたらしい宝玉。
 いつもの悪夢の場面である。
 (ミルカ……! よくも俺のミルカをっ!)
 (ならば力で奪うがいい。おまえの恋人に宿った死霊を倒せるものならな)
 復讐。
 ランディはそのために生きて来た。一族を、婚約者を失い、魔剣だけを携えて。
 (許しはしない……)
 そのために、魔剣に力を与え続ける。どれだけ血が流されようとかまわない。それがランディに課せられた宿命なのだから。
 パチン。
 焚き火のはぜるかすかな音に、ランディは我に返った。
 ディングはとみると、服の乾き具合を調べているところである。
 「……よし、だいぶましになったな。ランディ、起きてる?」
 「ああ」
 じっと考えにふけっていたランディを、ディングは眠っているものと思っていたらしい。怪しまれずに済んだことに、ランディは少しほっとした。
 「じゃ、そろそろ出発だ。最下層まではそう遠くないと思うぜ」
 ランディは無言で服を受け取り、立ち上がる。
 最下層。もし死霊が手におえないようなら、ディングを死霊に食わせる。
 いつものことだ。迷うわけにはいかない。


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