魔の島のシニフィエ

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第三章 生命の摂理 破壊の傷痕

4 爪痕の地にて

 新しく「ランクス」に入ってきた男を、デューイはどうしても好きにはなれなかった。
 ランディ・フィルクス・エ・ノルージ。ガルトの友人で島外からやってきたということしか、デューイは知らない。一度、屍鬼部隊を見張っていた時に夜の森で出会い、ちょっとした会話を交わしたことはあるが、さほど親しみを覚えたわけではなかった。
 ランディはじつに人当たりのよい話し方をする。適度に面白おかしく人を笑わせ、しかし場の雰囲気を壊すことは決してない。人の輪の中に違和感なく融け込むことにおいて、ランディは天賦の才というべきものを持っていた。
 それが、無性にデューイの不安をかきたてる。ガルトの友人ということで一応信用できる人物だとは考えているのだが、どこか疑惑の念を起こさせるのだ。
 デューイだけではない。アリス・デルガスルーアは、以前「ランクス」に入り込み、ガルトに殺されたロルンのスパイ、ジーン・クロセリアとランディに似通った雰囲気を感じとっていた。ジーンはランディと同じくやわらかな物腰と人当たりの良さでメンバーの信頼を得ており、以前ロルンで同期だったガルトが阻止していなければ、ジュールやベイリーも殺されていたはずだった。とはいえ、アリスの場合は、ガルトが連れてきた人間ならば信用できると思っており、多少は警戒しながらも、いつしかランディの巧みな話術に引き込まれている。
 が、デューイは一人、警戒をとかなかった。あの血のような目は、時折ひどく残酷な色を帯びる。誰かを犠牲にすることなど、あの男にとっては造作もないことなのではないか。せっかくここまでまとめあげてきた組織に、この男を置いていてよいのだろうか。
 デューイはガルトには全面的な信頼を置いている。組織をまとめ上げる作業自体はデューイに任せ、時々ふらりとどこかへ出かけるガルトだったが、何か考えがあってのことだとデューイは信じている。ただひとつだけ不可解だったのが、ガルトがランディに対して疑念を抱いていないように見えることだった。
 自分に感じ取れたランディの危険さが、ガルトに感じ取れないはずはない。だとしたら、なぜランディを「ランクス」に入れたのか……ガルトの真意が、デューイにはつかめなかった。ガルトが最近留守がちで、なかなか尋ねる機会がないことも、デューイの不安をあおりたてた。
 とにかく、この男を一人きりで行動させてはいけない。
 デューイは可能な限りの時間を割いて、ランディを監視することにした。「ランクス」を組織としてまとめ上げ、各都市に協力者を増やしていく作業の中で、中心となっているデューイは決して暇ではない。他の町へと赴き、協力を要請する時に、デューイの説得は不可欠だった。ランディへの疑惑はそう簡単に拭い去れるものではなかいが、かといってあまり疑惑を他のメンバーに広めても、組織としての結束に亀裂が入ってしまう。それだけは避けねばならなかった。組織を広げていけば、それだけ教団に介入の余地を与えやすくなる。遅くとも今年の秋までには、何らかの形で行動を起こさねばならないという思いが、デューイにはあった。時間はもうさほど残されてはいないのだ。
 一旬ほどは、何事もなく時間が過ぎていった。ランディの行動には特に怪しいところはない。強いて言えば、悪霊や屍鬼に強い関心を持っており、出くわした悪霊をその剣を使って封印している姿を何度か見かけたぐらいである。
 が。
 ある日、ドリュキス外れの人気のない路地で、ふとランディが立ち止まった。
「おい」
 背中を向けたままだが、誰に対して呼びかけているのかはすぐにわかった。
「なんですか」
 デューイが答える。
「おまえ、こんな暇なことしてる場合なのか?」
 その言葉づかいは、今までデューイが耳にしたランディのそれとは明らかに異なっていた。人当たりのよい、物腰やわらかな好青年という仮面を脱ぎ捨てたことがわかる。
「そういう場合に見えますか?」
「いや……」
 ランディはゆっくりと振り向く。
 血の色をした目が鋭い光をたたえていた。並の者ならば気圧されてしまうほどの気迫を持った、殺気さえ感じられる視線。正面から誰かと殺しあったり戦ったりしたことはないし、こんな視線を向けられたのは初めてだった。だが、デューイは正面から受け止めた。一歩も後へ引く気はない。
「……俺が信用できないのか」
「ええ」
 今更婉曲な表現をするつもりはない。デューイは簡潔な答えを返す。
「こんな時期にこの島へやって来て、わざわざ僕達に協力する人がいるという方が不自然でしょう」
「前に言ったはずだ。ガルトに頼まれた、と」
「あなたがそれだけの理由でこんな危険なことに協力する人には見えません。ガルトは信用できるけれど、それとこれとは違う」
 ランディの表情がわずかに動いた。
「……仕方ないな」
 ふっとランディが視線をそらす。その目は幾分苦笑をたたえているように見えた。
「おまえ、近いうちにゲインかレブリムに行く用事ってあるか?」
 デューイはうなずく。ドリュキスを中心として築きあげられてきた商人達のネットワークを通じて同志をつのっていく必要があり、そのためにデューイ自身がしばしば他の都市へと出かけることがあった。馬で五日ほどかかるゲインに行くこともある。
「じゃあ、その時に俺も一緒に行く。付き合ってもらいたい所があるんでな」
「まだあなたを信用したわけじゃない……」
「わかってるさ。だが、今ここで説明して話が通じるとは思えない。だから、そこで話してやるよ」
 ランディはくるりと踵を返し、そのまま立ち去ろうとする。
「一体どこに……」
「シガメルデ、だ」

 シガメルデ。
 九年前に謎の事件で壊滅したと言われる町。
 島外からやってきて間もないランディが、なぜそんな町について知っているのか。そしてその廃虚に行くことと、ランディが「ランクス」に協力することとに何の関係があるというのだろうか。
 ともかく。
 かつてシガメルデと呼ばれていた廃虚をデューイとランディが訪れたのは、それから一月ほど後のことだった。
「ここが……」
 デューイは馬に乗ったまま、あたりを見回す。人通りの絶えて久しい街道を進むにつれ、あたりの風景は荒涼としたものへと変化していく。同時に、獣や虫の気配も目に見えて少なくなりつつあった。
 シガメルデ壊滅事件は、常識では考えられないことだったという。デューイは噂でしか聞いたことがなかったが、広範囲の生物が、人間や動物、植物や虫に至るまで一瞬にして死滅した。その原因は一切不明であり、シガメルデという町そのものが忌まわしい事件とともに人々の記憶から忘れ去られようとしていた。
「こんな場所があったなんて…」
 デューイは驚きを隠せなかった。信じがたい光景である。昼過ぎのあたたかい日の光も、街道脇を流れる川の流れも、何一つとして変わったところはないのに、生命だけが存在しない空間。しかも、誰にでも感じるものではないのだろうが、魔術の心得のあるデューイには、このあたりの自然のエネルギーが不自然にねじれ曲がっているような気配が感じられた。はっきりとした感覚ではないが『なにか変だ』としきりに思わせる気配である。
 彼が生まれ育った首都レブリムから馬で一、二日という場所に、こんな光景が広がっていたとは。
「このあたりはマルシュピールって村だったそうだ。ここを抜けるとあと少しでシガメルデに着く」
 道中ほとんど無言だったランディが言う。あたりの風景にも心を動かされた様子もなく、そのまますたすたと馬を歩かせる。
「来たことがあるんですか……ここに」
「ああ。一度だけな」
 ランディは目的地に着くまでは何も話す気がないようだった。馬の足をやや速め、先を急ぐ。仕方なくデューイも無言で続いた。
 まもなくランディは馬から降り、かつて住居だったと思われる石づくりの廃虚に馬をつないで歩き出す。かつては町の中心部へ至る道路だったであろう石畳。九年もの年月にもかかわらず、雑草一本生えていないさまは、なんとも気味の悪いものであった。
「…あれは……」
 正面に見える建物の廃虚に、デューイは見覚えのある紋章を認める。各都市の聖堂に飾られている、破壊神を表わす記号……デューイの運命を変えた、あの記号だった。
 そういえばシガメルデ壊滅事件は、破壊神の降臨と噂されたこともあったらしい。だが、聖堂をも覆いつくしたこの破壊が、本当に破壊神によるものだったとは、少なくとも教団は認めていない。
 不意にランディが口を開いた。
「……俺には、倒さねばならない敵がいる。この島に来たのは、より強い剣が欲しかったからだ」
「……」
「俺の剣は、悪霊を吸ってその力を破壊力に変える。暗殺者の島、闇の神の眠る暗黒大陸……そう呼ばれる島になら、悪霊がごろごろしてると思ってな。反乱も教団も、知ったことじゃなかった」
 ゆっくりと歩きながら、ランディは続ける。
「確かにおまえが思っているように、俺は頼まれただけでほいほい協力するほどお人好しじゃない。協力する気になったのは、ガルトと取引をしたからだ」
「取引?」
「その前に、あれを見てみろ」
 ランディの指さす方向をデューイは見て、あっと小さく声を上げる。生命の気配の存在しない光景に馴染んだ目には、あまりに意外なものがそこにあった。
「なぜ……」
 デューイはかけより、石畳の隅にかがみ込む。そこには小さな緑色の草の芽がわずかに頭をもたげていた。デューイは草の芽にそっと触れてみる。かすかに冷たいその感触は、明らかな生命の息吹を伝えていた。
 ランディは立ったまま、デューイに語りかける。
「ウドゥルグは生命の摂理を象徴する記号――それ自体は意志を持たないが、利用しようとする者によってねじまげられ、破壊神として伝えられて来た。そうなんだろう?」
「!」
 デューイは振り向く。島外からの訪問者がなぜ、ウドゥルグのことを知っているのだろう。
「ガルトから聞いたんですか?」
 確かに彼の調べた文献ではそうなっていた。だが、島外のランディがそれを知っているとすれば、ガルトから聞いたとしか考えられない。
「ここは、『意志によって狂わされた破壊神の爪跡』だと、あいつは言っていた」
「?」
「ここは生命の摂理が乱れている。死ぬものもいないし、生まれるものも育つものもない……そんな場所なんだそうだ。俺にはわからんが、おまえにはわかるんじゃないのか?」
「確かに」
 この地域でさっきから感じている、どことなく奇妙な気配。はっきりとはわからないが、恐らくそれが「摂理の乱れ」なのだろう。
「ガルトは時々ここに来て、乱れた摂理を正そうとしている」
「ガルトが? なぜ……」
 デューイが聞き返そうとした時である。
「……おや」
 第三者の声と、馬の蹄の音。
 二人は振り向く。
 馬上から二人を見下ろす人物は、赤い仮面をつけ、司祭服に身を包んだ男だった。思わずデューイは立ち上がる。
「面白い組み合わせですね。しかもこの場所で」
 その声には聞き覚えがあった。
「ユジーヌ司祭長…?」
 ユジーヌは馬に乗ったまま、二人に視線を据えた。仮面に隠された表情は読めないが、以前デューイが書庫で会った時と同じく、底知れぬものを感じさせる。
 これはかなり危険な状況だった。処刑されたはずの自分が生きている姿を、処刑を命じた者に目撃されてしまったのだから。この上、デューイ達が今ドリュキスで進めている反乱分子の組織化を司祭長に悟られては、すべてが水の泡になってしまう。
 どのような方法であっても、この場を切り抜けねばならなかった。
 が、ユジーヌはデューイが生きているということに驚いてはいなかった。馬上から悠然と挨拶を投げてよこす。
「ごきげんよう、ラスデリオン・デューイ・バートレット君。やはり運命は君を破壊神の片腕とすべくめぐっているというわけですね」
 この状況を初めからすべて予期していたかのような司祭長の言葉に、デューイは不安を覚えた。
「……なぜそんなことがわかるんです」
「あなたは実際、破壊神に救われ、従っているではないですか」
「一体なんの……」
 何を言われているのか、デューイにはわからなかった。ランディは明らかに憮然とした表情で、二人の会話を見守っている。
「まさか何も知らずにこの廃墟を訪れたとでも? あなたを助けたガルト・ラディルンがその手で滅ぼした地に……」
「!」
 ランディの表情が険しさを増す。デューイははじめ、司祭長の言葉の意味が理解できなかった。
「まさか……」
「嘘ではありません。ご存じなかったんですか。お気の毒に」
 ユジーヌの言葉はたぶん、嘘ではない。デューイにはそれが感じられた。だからこそ危険な予感がした。
 聞いてはいけない。
 この言葉は、毒だ。
 だが、ユジーヌの言葉は容赦なく続く。
「教えてさしあげましょう。ガルト・ラディルンの正体は破壊神ウドゥルグ。彼はその力でこのあたり一帯を滅ぼしてしまったのです。彼の家族もろともにね」
 ガルトの快活な表情が、頭をよぎる。自分と家族を救ってくれた、ロルンのいわば先輩。圧政に苦しむ島の人々を救うべく立ち上がった魔術師の青年……。
 デューイはなんとか反駁を試みる。
「嘘だ。ウドゥルグはただの記号なんだから……」
「そうですね、あなたにはこう説明した方がわかりやすいかも知れません。彼はあの記号から引き出せる力に結びつけられている、と。そして、その力を発揮した結果、この町は跡形もなく壊滅してしまったのですよ」
「そんな……」
「彼が破壊神としての力を持つのは事実。いつ、次の滅亡をもたらすかわからぬ、危険な存在なのです……」
「そうやってデューイを追い詰めて、おまえは何を企んでいる?」
 突然、ランディが口を開く。島外の人間である彼には、司祭を恐れる様子は微塵も見受けられない。ユジーヌは今初めてランディに気づいたというかのように、ゆっくりとランディの方を向く。
「あなたは、島外からの招かれざる客……たしか、ケイディアの魔剣士でしたかな」
「は…そこまで知っているとは」
 ランディはゆっくりと剣を抜く。剣から放たれる禍禍しい気配に圧倒され、デューイは思わず一歩後ろに退いた。
「……質問に答えろ」
 低く、ランディは言う。
 が、ユジーヌはランディの殺気にも剣の悪霊の気配にも動じた風もなく、むしろ楽しげにさえ聞こえる口調で答えをよこす。
「私は、破壊神の片腕と予言されながら何も知らないデューイ君が、ただ気の毒だっただけですよ」
「あいつの力は破壊とは限らないはずだ」
「その通りです。ですが、彼は破壊神の運命からは逃れられない。破壊神だと信じられているのですから」
「……どういうことです?」
 デューイが聞き返す。だが、ユジーヌはかまわずに続けた。
「だから、そんな信仰を邪魔していただいては困ります」
 ユジーヌはすっと手を伸ばし、聖堂跡の方向を指してみせる。
「あれは……」
「しまった!」
 デューイとランディの声が重なる。
 馬をつないでおいた場所に、異変が起きていた。
 屍鬼の群れが、馬を襲っている。ロルンの屍鬼部隊だ。
 迂闊といえば迂闊だった。教団第二位の実力者であるユジーヌが単身、この廃虚に現われるわけはない。ロルンの護衛がついていない方が不自然である。あるいはユジーヌがこの場でデューイ達と会ったことすら、偶然ではなかったのかも知れない。
 ランディの剣先がわずかにそれた瞬間に、ユジーヌはすっと馬を翻す。
「さあ、馬なしで彼らから逃げ切れますか? せいぜい、健闘を祈ります……我等が破壊神にね」
 駆け去って行くユジーヌを、しかし二人は追うことができなかった。
 屍鬼がじりじりと二人に迫りつつあった。数にして二、三十人といったところだろうか。武器を持つもの、魔術具を持つもの……。腐敗がさほど進行していないのか、どれも、生きた人間とほとんど変わらぬ機敏な動きで散開し、二人を廃虚の壁ぎわに追い詰めようとしている。
「数が多いな。生きてる奴なら、これぐらい大したことはないんだが」
 抜き放ったままの剣を構え、ランディがつぶやく。
「屍鬼は剣では倒せません。ランディさん、防御をお願いします。僕が魔法で倒しますから」
 ランディと背中合わせに身構えたデューイが小声でささやく。
「わかった。行くぜ」
 言うが早いかランディの魔剣が一閃し、先陣を切って襲いかかってくる屍鬼の腕を剣で切り落とす。武器を使えなくして攻撃力を封じるつもりだった。立ち上がってくる屍鬼を剣圧で吹き飛ばし、距離を狭められないようにする。デューイはすばやくシンボルを描き、屍鬼の群れに向けて放つ。倒れ、本来の死体に戻っていく屍鬼。だが、一度に一体倒すのがやっとだった。屍鬼の数は多く、ランディが弾き飛ばしても立ち上がってひしひしと迫って来る。
 劣勢は明らかだった。デューイは知らなかったものの、ランディの魔剣ならば屍鬼を斬って悪霊に変え、吸収することも可能である。だが、とてもそんな余裕はない。迫って来る敵を近づけないようにすることで精一杯である。デューイも複雑なシンボルを素早く描くことに集中しており、他のことにかまってはいられない。
 屍鬼を全滅させるのが先か、二人が消耗するのが先か。
 ぎりぎりの戦いを、二人は強いられていた。
 が、その時。
 屍鬼の動きが、不意に止まった。そのまま、折り重なるようにばたばたと倒れていく。倒れた屍鬼は、もはや動こうとしなかった。
「!?」
 気がつくと、死体に囲まれるような形で二人は立ち尽くしていた。
「なにが起こったんだ……?」
「大丈夫か?」
 そんな声がした。見ると、死体の山の向こうから駆け寄ってくる人影が見える。
 ガルトだった。
「ガルト……なぜここに?」
 ランディが剣をおさめ、死体をひらりと飛び越えてガルトの前に立つ。
「ユジーヌがシガメルデに向かったっていうから、何かあると思ってよ。一体どうしたんだ?」
「あのいまいましい司祭のごたくを聞かされた挙句、屍鬼をけしかけられた」
 ランディがはき捨てるように言う。ユジーヌに逃げられ、屍鬼相手に苦戦したことがよほど腹に据えかねていたらしい。
「ごたく?」
 首をかしげるガルトに、デューイが口を開く。
「司祭長はね、君が破壊神だって言ったんだ。そしてこの町を……」
「!」
 ガルトの快活な瞳に、さっと翳りがよぎる。しばらく厳しい表情で考え込んでいたガルトは、やがて一言、そうか、とだけ言った。
「まったく、俺が言葉を選んで言おうとしてたことを遠慮なく言ってくれたぜ、あのおやじ」
 不満げなランディの言葉に、デューイははっと気づく。
「ランディさん、もしかして知って……」
「ああ。俺もこの島に来てから聞いたんだがな。今日おまえをここに連れてきたのは、この話をするためだった」
「……」
 ガルトは無言のまま、石畳を踏みしめ、ゆっくりと歩き出す。立ち止まったのは聖堂跡の廃虚の前だった。
「……確かに俺は破壊神なのかも知れない」
 口を開いたガルトの声はどこか沈んでいて、いつもの陽気な調子ではなかった。その口調から、ガルトが自らの口で真相を語ろうとしていることをデューイは悟る。
「ウドゥルグのシンボルってのはさ、死者をあるべき生命の流れに乗せるって意味しかないんだよな。……俺はね、そのシンボルの力を持って生まれてきてしまったのさ」
「どういう……」
「力はその方向を自分で決めることができない。そして、誤った方向であっても発揮されてしまうんだ。屍鬼を浄化する魔法で使うシンボルが即死の魔法や屍鬼をつくりだす魔法にも使われてるだろう? シンボルが屍鬼を作る力を持っているんじゃない。シンボルの使い方によって屍鬼を作ることもできる、ということなんだ」
「うん……」
「俺は、そのシンボルが服着て歩いてるようなものさ。使いようによって、いろんな形でシンボルの力を発揮できる。……さっきのように屍鬼達を死者に戻すことも、生きる人間を死なせることも」
「……」
「ここで起きたのは、要するに即死の魔法が広範囲に放たれた、ってことだ。あまりに強い力だから、今でも影響が残ってる……それが破壊神の力で、ユジーヌはそんな俺の力に目をつけた。……この町は、そんな力の実験台になったのさ」
 デューイは周囲を見渡した。生命の気配のない空間。風や雨が新しい生命を運んできても、決して根づくことのない、死の世界。何の変哲もない町を一瞬にしてこのような世界に変えてしまうほどの力とは、どれほどにすさまじいものなのだろう。
 ガルトは続ける。
「九年前、俺の目の前で妹が殺された。降臨した破壊神……捕らえられた俺への生贄として。その時俺は一瞬、妹を生き返らせたいと願って……自分の力を解放してしまった。その結果なんだ、ここは」
 低くつぶやくようなガルトの声は、感情を押し殺し、幾分抑揚のないものになっていた。それがいっそう、彼の悲痛な感情を垣間見せているような気がして、デューイの胸は痛む。
 目の前で殺された近しい者を救いたいと思う。デューイにも覚えのある感情だ。
 そんなことすら、生命の摂理の力を持つ彼には許されていなかったのか。
「俺は破壊神になんかなりたくなかった。ユジーヌに行動を読まれ、罠を仕組まれてその掌の中で動くことも嫌だった。だから島外に逃げ出したのに、外でも同じことだった。……生命の摂理の力を使うごとに、俺は破壊神に近づいていくことに気づいてしまったんだ」
 ガルトはデューイの方を向き、自嘲的な笑みを浮かべる。
「デューイ、これを見てくれ」
 そう言ってガルトは、自分の額を指さす。
 デューイの目が、驚きに見開かれた。
「な、なに……?」
 ガルトの眉間にあるほくろ。その部分に変化が起きつつある。
 縦にすっと裂け目が走り、それは見る間にはっきりとした輪郭を取っていく。そして、裂け目はゆっくりと左右に開き…。
 ガルトの眉間に現われた、第三の目。
 デューイはどう言葉を返してよいものかわからなかった。ただ、目を見開き、ガルトの額を見つめるだけだった。
 それは、驚きのせいばかりではない。
 ガルトの第三の目が開くにつれ、次第に恐ろしいほどの威圧感が、ガルトの体から感じられた。身動きすることもできないほどに、それは、デューイを圧倒した。
 だが……。
(この感じ、どこかで……)
 デューイの記憶の片隅に、その感覚はあった。決して不快ではない、この感覚は……。
「……どうだ? まるっきり『ウドゥルグ』だろう?」
 ガルトは苦笑混じりともとれなくもない口調で問い掛ける。確かに額の目を開いたその姿は、破壊神「ウドゥルグ」として伝えられている像そのものの姿だった。
「はじめからこうだったわけじゃない。幽霊が徘徊する村で、死にきれない霊を浄化しようとしていてこうなったんだ」
「破壊神の力じゃなく?」
「ああ。どうやら俺は、ウドゥルグのシンボルの力を使えば使うほど、『ウドゥルグ』として信じられているイメージに近づいていくらしい。このままだといつか本当に、破壊神として世界を滅ぼす者になりそうで……俺は、それが恐くてたまらない。だから…この島の破壊神信仰を崩すために、俺は戻って来たんだ」
「……」
 デューイは黙り込んだ。にわかには到底信じがたいことではあるが、デューイが信頼をおいているガルトの、これまでの一連の謎めいた行動の説明はつくし、なによりも、額の目と威圧感は常識では説明できない。
 ガルトの額の目がすっと閉じ、元のほくろに戻る。同時にデューイを圧倒していた威圧感も薄らいでいった。
 ふと、思い出したことがある。
 まだロルンの捧げ人だった頃、自分が殺した犬を蘇らせようとしていた時に現われた、謎の存在。
「ああ、そうか……」
 デューイはすっと手を伸ばし、ガルトの額にそっと触れる。
「僕が屍鬼を作ろうとしていた時に来たのは……君だったんだね」
「ああ」
 ガルトはうなずいた。
「レブリムに行った時、屍鬼を作る魔法が使われてる気配があった。止めに入ろうとして、ウドゥルグを呼ぶ声に気付いたんだ」
「あちこちで起きている『ウドゥルグ』騒動も、君がやっていたんだ……」
「……まあな」
 ガルトはそこに、ちょっとそれっぽい衣装を調達したり、らしいことを言ったりして演出してるけどさ、と付け加えて苦笑する。
 ならば、騒動の中の「ウドゥルグ」は、決して偽物ではないのだ……と、デューイは思った。破壊神として信じられることを拒むガルト自身が「ウドゥルグ」を演じているからこそ、人々の根強い破壊神信仰を揺るがす力を持つのだろう。
「さっきも言ったが」
 沈黙を保っていたランディが静かに言う。
「俺は自分の剣を強くする悪霊が手に入りさえすればいい。ガルトの力は、どんな悪霊にも対抗できる。この島を破壊神信仰から解放するのを手伝う条件で、その後で悪霊を集めることに協力してもらうことにしたのさ」
「そうなんですか……」
 この島を六百年もの長い間覆い尽くしてきた破壊神信仰。ウドゥルグのシンボルの力を持つガルトは、そんな長年の信仰の結果として、破壊神の力と姿を与えられてしまった存在なのか。
 その根本が教団によってつくられた虚偽のものであったにせよ、人々の破壊神への恐れは決して虚偽ではない。信仰は一人の意志でどうこうできるものではないし、一人二人を説得して覆せるものでもないのである。
 現在の教団による体制を打破するためには、その根本の破壊神信仰を揺るがすことが必要だ、とは、デューイも理解している。だが思えば、その破壊神信仰こそが、もっとも手強い相手なのではいか。
 ガルトは、その相手にたった一人で自らの存在をかけて挑んでいるのだ。
 痛ましい気がした。
 そんな彼のために、自分ができることはなんだろう。
「僕は……君に三度も助けられた」
 デューイはつぶやくように言った。一度目は、自分が殺した犬を自分の勝手で蘇らせようとしているのを気づかされた時、二度目は、ロルンで処刑寸前のところを助けられた時、そして三度目は先刻、屍鬼の群れを一瞬にして倒してくれた時。
 ウドゥルグに救われ、歴史に名を残す。
 予言は成就しつつあるのかも知れないと、デューイは思った。自分を救い、支える者は、ガルトだったのだと。その結果デューイが歴史に名を残すのだとすれば、それは……。
(ウドゥルグという記号を神としていることが誤解なんだ。だからそれを正す。ガルトのために……)
「ガルト」
 デューイは力をこめて言った。
「今度は僕が、君を救う。……この島の人々の『ウドゥルグ』への認識を正すよ。きっとね」
「デューイ?」
「僕にできるのかはわからないけど…この島を、きっと変える。「ウドゥルグ」が本当はなんなのかを伝えて、破壊神信仰からみんなを解放するよ」
「……」
 ガルトの目に意外そうな表情が浮かぶ。だが、彼はそれ以上何も言おうとしなかった。

(第三章 了)


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