魔の島のシニフィエ

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第四章 革命

4 裏切りと背信の司祭

「なんということだ……」
 教皇は呆然とつぶやく。
 処刑台の様子は、聖堂の集会室からよく見えた。司祭と信徒、教皇が集まって処刑を見物していた、まさにその前で、想像もしないできごとが起きたのである。
 すべてはうまくいくはずだった。ラスデリオン・デューイ・バートレットは素直に出頭し、処刑の準備も滞りなく進められた。同時に、処刑の知らせがドリュキスに届く頃を見計らってドリュキスの反乱勢力を一掃するために、残り少なくなったロルンを派遣した。手続きにぬかりはなかったはずだ。
 それなのに。
 遠くからも見えるようにしつらえた処刑場を逆に扇動の機会にされてしまうとは。
 こんなことが起きるはずはない。
 無論、デューイをガルトやランディといった仲間が救い出しに来るかも知れないとは考えていた。今回の処刑は、民衆の反乱への気運をそぐためにも重要だったから、通常の処刑よりも多くのロルンを配置していたはずである。幸いなことに、もっとも厄介なガルト・ラディルンの姿もなぜか見あたらなかった。
 なぜこんなことになってしまったのか。
 これからどうすべきなのか。
 ユジーヌは集会室には来ていなかったので、教皇は一人で居並ぶ司祭と信徒に対して指示を出さねばならない羽目になる。
「教皇! 民衆が聖堂に向かっています!」
「ロルンの残存戦力は?」
「そ、それが……ほとんどがドリュキス制圧に向かっており、猊下の直属部隊しか」
 直属部隊が先日の襲撃失敗によって壊滅的な打撃を受けたことは、ごく一部の司祭にしか知らされていない。
「それに……信徒や下級司祭の中にも、ウドゥルグ様の意志について疑問を抱く者が出始めております」
「……」
 教皇はぎりっと唇を噛む。
 たしかに、破壊神ウドゥルグなどいないのだ。だが信徒にまで疑問を抱かれては困る。
 絶望的な状況だった。
「ドリュキスへ逃げる。ロルンの先行部隊と合流し、島外部隊の到着を待とう」
 やっとのことで下した結論。
 ドリュキスの民衆は、あの演説を聞いてはいない。
 そう思うと、少しだけ希望が持てた。
「馬を外庭へ。脱出できる者は急げ」
 慌ただしく走る司祭達の中を、教皇は部屋に戻る。二人だけ生き残っていた直属部隊になにごとか指示を下し、外庭ではなく地下室へと降りていく。
 教皇だけが知る、秘密の地下通路。ここから教皇は脱出するつもりだった。通路はレブリムの地下を通り、街はずれの家にまでつながっている。司祭達が民衆の目を引きつけている間にこの通路を使えば、教皇は確実に脱出できるだろう。
(私が死ねば、教団は終わりだ)
 一人でも生き延びるしかない。
 長い階段を降り、地下通路に至る扉に手をかけた。
 その時。
「お一人で逃げるおつもりですか? 司祭達をおとりにして」
 背後から声がした。
 バルベクト・ユジーヌである。

「ユジーヌ司祭長……なぜここに」
 腹心の無事を喜ぶよりも、不審の念が先に立つ。
 今までどこにいたのか。なぜ教皇しか知らぬはずのこの場所を知っているのか。
 そして、なぜユジーヌは司祭服を着ていないのか。
「見届けに参りました」
 静かにユジーヌは言う。丁寧ながら底知れぬ不気味さを感じ、教皇は身を固くした。
「何を?」
「教団の終焉を」
 その言葉があまりにあっさりとしていたので、教皇が意味を解するにはしばしの時間がかかった。ユジーヌは教皇の反応をいかにも面白そうに見守っている。
「なにを言っている? まだ終わってはおらぬ。……終わるわけがなかろう」
「それは無理です。なぜなら」
 ゆっくりと、ユジーヌは告げる。
「あなたはここから出られないのですから」
「なに……?」
 意外な言葉。その意味を教皇は悟る。
 驚きに目を見開き、わなわなと身を震わせながら、彼は叫んだ。
「貴様、教団を裏切ったのか!」
「裏切るだなど」
 ユジーヌは口元に薄く笑みを浮かべる。教皇はその笑みにひどく危険なものを感じて、ぞくりと身を震わせた。
「私は教団に忠誠を誓ったつもりはありませんよ、はじめから、ね」
「なんだと……」
 司祭学校を優秀な成績で卒業し、本来ならば家柄が許さなかったであろう司祭長の座にまで昇りつめた男の口から、このような言葉を聞くとは。
「そうだ……まさか」
 思いあたることがあった。
「バートレットの公開処刑を勧めたのも、こういうたくらみだったのか」
「乗ったのは、あなたですよ」
 否定の言葉はない。
「それに私は反乱者達に何か指示したわけではありません。彼らも私の意図は知らないはず。……私の用意した舞台で、彼らは見事に踊ってくれたのです」
 ユジーヌは教皇に進言するだけだった。それを受け入れるか判断し、実際に指揮をとっていたのは教皇だったはずだ。にもかかわらず、教団も反乱者達もともに意図せずしてユジーヌの思惑にはまっていたということなのか。
「武闘派の動きも同じことです。まあ、エッカート司祭は踊り過ぎの様子だったゆえ、ご退場願いましたが」
 しばらく前に自殺したエッカート。その死をもユジーヌが操っていたとは。
 完全にうちのめされ、教皇はがくりとうなだれる。たくみな言葉で誰にも真意を悟られないままそれぞれの役割を演じさせ、しかもその操り糸に気付かせない……そうやってユジーヌはこの島という舞台に何かを描き出そうとしている。教皇もその手駒に過ぎなかったのだ。
「なにが狙いだ……」
 弱々しくうめくように、教皇は言う。
「あなたに申し上げて理解できるとは思いませんが」
 くっくっ……とユジーヌは笑う。かつての恭順の態度を、彼は見事なまでにかなぐり捨てていた。
「『ウドゥルグ』を封印しなおすこと……それが、私の目的でした」
「封印? あれはただの記号であろう?」
「ええ、記号です。生命の流れを象徴すると言われる……。ですが我々の知る『ウドゥルグ』という記号はただの音の羅列もしくは図形であって、生命の流れそのものではないのですよ」
「記号になっている図形とその記号によって示される意味は違う、ということか」
「記号魔法は様々な図形から力を引き出します。ある図形を記号とし、そこから力を引き出すことができるのはなぜか、考えてみたことはおありですか?」
 教皇はおし黙る。記号魔法は彼にとって、暗殺者に覚えさせるに適した技術のひとつに過ぎなかった。その原理など、現役を引退し、魔法の研究を行なっているロルンにでも任せておけばよいことだったのである。
「図形は意味を与えられることによって記号となり、世界に満ちる力と術者を結び付け、力を引き出す媒体となるのです。個々の記号はべつにその形でなくてもかまわないようなものなのですよ。力と結び付くような意味さえ持っていれば、ね」
「……」
 島外には様々な魔法の体系があり、記号魔法と同じ効果を別のやりかたでもたらすものも多いということはわかる。だが、教皇にはユジーヌがことさらに「意味」を強調する理由がわからなかった。意味を持つ記号がある、それ以上に何を考えねばならぬというのか。なぜわざわざ記号を二つの側面に分けて考えようとするのか。
 ユジーヌはそんな教皇の心を読み取ったかのように続ける。
「では、記号を記号として成り立たせるのは誰ですか?」
「誰……だというのだ」
「人間のあつまり、ですよ」
 ユジーヌの答えはあまりにあっさりとしていた。
「『ウドゥルグ』は破壊神だと、この島の人々は信じている。あの記号の示すものは彼らにとって『破壊神』でした。だからこそ『ウドゥルグ』という記号が破壊の力を持つ……ガルト・ラディルンがシガメルデを破壊したように。この島での『ウドゥルグ』は『破壊神』という意味を与えられて縛られていた……つまり封印されていたのですよ」
「別の内容を『ウドゥルグ』に与える、ということか……」
 それは、破壊神を前提とする教団の存在とは相容れない。したがって、ユジーヌは最初から、教団を崩壊させることをもくろんでいたことになる。
「だが、なんのために……」
「あなたが知ってもしかたのないことです」
 笑みを浮かべたまま、ユジーヌは一歩前に進み出た。教皇はちょうど、地下通路入口に追い詰められる形になる。
 特に武器を持っているわけでもないユジーヌに、教皇は完全に圧倒されていた。
 ちらりと後ろを見る。開きかけた扉。
(通路に逃げこむんだ、それしかない!)
 通路の出口まで逃げきれば、直属部隊のロルンが待機しているはずだ。
「ま、まだだっ!」
 教皇はユジーヌをつきとばし、その隙に扉を開け、中に駆け込もうとする。
「?」
 通路に立つ人影。
 暗がりでよく見えないが、先刻指示を下した直属部隊の男のようでもある。
 男は無言で、剣を構えた。
 教皇に対して。
「なに……?」
「直属部隊があなたの命で動いていると思っていたのですか?」
 冷ややかな声が、背後で聞こえる。
「あなたの失敗は、私にロルンを統括させたことでした」
 ユジーヌが静かにそう言うのと同時に、男が動いた。
 断末魔の悲鳴が響き渡ったあとの通路には、血だまりの中で、教皇が信じられないという表情を浮かべたままこときれていた。
「ご苦労さま」
 ユジーヌは目の前の殺戮にも顔色ひとつ変えずに、教皇を殺した男にねぎらいの言葉をかける。直属部隊の男は一礼で応じる。
「予定通りですね。では、行きましょうか」
 教皇の死体をひょいと踏み越え、ついでといったように赤い仮面をはずし、死体の上に無造作に放り投げる。
 そのままバルベクト・ユジーヌは通路の奥に消えた。

(第四章 了)


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