魔の島のシニフィエ

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第5章 魔の島のシニフィエ

3 生命神の奇跡

 ゲインの中央広場。
 馬を飛ばして駆けつけてきたデューイは、衆目の中、代表者と名乗る男と向かい合っていた。
 周囲の視線が疑惑と敵意に彩られていることを、デューイは肌で感じた。レブリムの処刑場とは違う。はるかに困難な状況になりそうである。
「早々に自分で出向いてきたことは評価する。だが、我々に指図するのは無駄なことだ」
 男が言う。
「我々は自分達の手でこの町を造っていく。今は島が再編される時期なのだ」
「それぞれの都市の代表が話しあい、互いの合意のもとに新しい島の体制を作っていくわけにはいかないのですか?」
「我々は島の辺境で、ずっと軽視されてきた。これからも港町ドリュキスや首都レブリムのような活気も期待できぬなら、共にいる必要はない」
「その件は話し合いを……」
「もう一つ気に入らないのは、君の存在だ」
 男はぴしゃりと言った。
「教団が偽の破壊神をかかげていたのであって、本当はウドゥルグは生命を見守る者だと君は言ったそうだが、君の言う生命の神も、教団と同じで嘘なのではないか?」
「それは……」
 デューイにとっては痛い言葉だ。たしかに「生命の神ウドゥルグ」などというものは存在しないのだから。だが、あの時はああ言うしかなかった。
「この町でも、ウドゥルグを名乗る人物を見た者がいる。だがそれが、君の命で誰かが演技していたのではないと、どうやって証明できる?」
 デューイが命令したわけではない。だが、ガルトはある意味で演技していたのだから、男の言葉はまるきりでたらめではないのだ。
「僕にどうしろと?」
「生命の神のために人の上に立つと言うなら、そのあかしを見せなさい。我々がそれで納得すれば、君の言うことを信じ、島全体での会議にも応じよう」
 人の上に立つつもりなどない。事態を収拾するのは、蜂起を扇動した者の責任であるが、その後は権力など欲しくない。ゲインの入口でそう説明したはずだが、彼らは聞く耳を持たない。まるで何者かがデューイについて悪意ある、しかしもっともらしい話を彼らに吹きこんだとでも言うかのように。
(まさか、バルベクト・ユジーヌが?)
 だが、今は事態を切り抜け、なんとか説得することが先だ。
 だが、どうすればいいというのか。
 神の信任のあかしなど、最初から彼は持っていない。
 神など、最初からいないのだから。
 とにかく今この場であかしを見せるのは無理だ…そう言おうと口を開きかけた時である。
 広場の一角が騒然となった。口々に聖堂の方を指差し、何事かを叫んでいる。
「……?」
 何気なく聖堂の屋根に目をやった男が息を飲む。デューイもつられて目をやり、そのまま凍りつく。
 尖塔の上方、足場もなく、普通ならば到底登れそうにない所ににたたずむ人影。長い闇色の髪を荒い海風になびかせ、黒衣に身を包むその姿。
 人々は、威圧されたように立ちすくんでいる。その圧倒されるような感覚に、デューイははっきりと覚えがあった。
「……ウドゥルグ!」
 どこからともなく、そんな声が上がった。
(ガルト? でも、なぜ……)
 まるでデューイの窮地を救うために現われたような「ウドゥルグ」。ガルト以外に心当たりはない。だがガルトがなぜゲインにいるのか、なぜ「ウドゥルグ」としてここに現われたのか、デューイにはわからない。
 そもそもデューイは、ガルトの意思を確かめないまま、「生命の神ウドゥルグ」を掲げて蜂起してしまったのだ。ガルトがデューイを見放したとしても不思議はないのに。
 だが、ここは彼に賭けてみるしかない。
 いや、この場で彼に問うのだ。
 僕は君に託されたことをやりとげる資格があるのか? と。
 デューイは進み出た。聖堂の正面、塔からまっすぐ見下ろせる位置に立ち、「ウドゥルグ」と向かい合う。広場のゲイン市民達も、固唾を飲んで様子を見守っている。
「……ウドゥルグよ!」
 デューイは声を張り上げた。風吹きすさぶ尖塔に立つ彼に届くように。
「僕のしたことがあなたの意に沿わぬものであったのならば、どうか今ここで僕を裁いて下さい」
 静まり返った広場に、その声は朗々と響き渡った。
「ウドゥルグ」は無言のまま、デューイの声に応えるかのように、すっと右手を上げる。
 次の瞬間に何が起こるのか、誰も想像することができなかった。
 息づまる沈黙。
 デューイは目を閉じた。
(ガルト、君に殺されるのなら本望だ……)
「ウドゥルグ」の手が振り下ろされる。
 落雷に似た光と衝撃が、あたりを揺るがした。
 びりびりと地面が揺れ、デューイは目を閉じたままよろめく。
 デューイのすぐ前に光の柱がそびえ立ったようだった……と、のちにゲインの目撃者は語る。
 衝撃が過ぎ去り、恐る恐る目を開けたデューイが見たもの。
 それは、デューイのすぐ目の前の石畳をつき破って背丈ほどの高さにまですっと伸びる、一本の若々しい木だった。
(これは……?)
 デューイは慌てて塔を見上げる。だが、そこにはもう誰もいなかった。
(許してくれるのか? ガルト)
 答えがあるはずもない。
「も、申し訳ありませんでした」
 声をかけられ、振り向くと、先刻の男が深々と頭を下げている。
「神に選ばれたあなたを試すようなまねをするなど、だいそれたことでした…どうかお許し下さい」
「僕は……」
 そんな大層なものではない、と言いかけて、はっと気付く。
 生命の神に選ばれし者。
 たった今、彼はそう「なった」のだ。「ウドゥルグ」として現われたガルトによって。
 ちょうどレブリムでデューイがおこなった演説によって「ウドゥルグ」が破壊神でも単なる記号でもなく「生命の神」となったように。
 人々の明日を支えるべくしてつくられた神話が信仰となっていく中で、デューイ自身もまた、ひとつの意味を与えられたのである。
 広場の雰囲気はすっかり変貌している。
 ぴりぴりと肌を刺すように感じられた敵意の視線も、もう残っていない。
「……頭を上げて下さい」
 できるだけ優しく、言葉まで変わってしまった男に話しかける。そして、広場の人々に聞こえるように叫んだ。
「かつて僕は、ウドゥルグに救われ、歴史に名を残すと予言されました。……ゲインの皆さん、僕は決して私欲から革命に及んだのではありません。予言の意味を知るために、そしてこの島の普通の人々が、生贄を出したり暗殺者におびえたりすることなく平和に暮らしていけるようにするために、僕は今まで戦ってきました。それに対するウドゥルグ様の答えが、この木なのです。……皆さん、ウドゥルグ様のもとで、ともにこの島を立て直していくために、力を貸して下さい。お願いです!」
 どこからともなく拍手が起こる。拍手は次第に広がり、広場を包みこんでいく。
 だが、デューイは知っていた。
 この拍手は、デューイという一人の若者に向けられたものではない。奇跡を目の前で起こした生命の神が選んだ者に向けられたものなのだ。
 必要なのは真実ではない、人々に受け入れられる神話だ。
 かつて自身がそう語った言葉。
 デューイはその神話の中で生き続けなければならないのだ。
 拍手の中、彼は一人でその重みをかみしめていた。


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