魔の島のシニフィエ番外編・意志を持つ力

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4 兄妹

 ガルトは立ちすくむ。
 そういえば家の外に、馬がつないであった。
「これは……」
 司祭はやけに仰々しくひざまずく。
「お待ちしておりました、ウドゥルグ様」
「や、やめろ……」
 震える声をガルトは絞り出す。視野の片隅に、青ざめた両親の姿が見えた。
 エリアまでもが、そこにいた。
「おや、どうなさいました?」
 赤い仮面の司祭は、その恭しい態度を続ける。
「破壊神ともあろうお方が、かりそめの家族にとらわれて、大事な目的をお忘れになるようでは困ります。どんな策略ゆえに今まで、こんな片田舎でただの人間の振りをなさっていたのですか?」
「言うな……それ以上……」
 ガルトの声は、ひどく弱々しかった。司祭の一言一言が、心に突き刺さるような気がする。
「まあ、仮の姿とはいえ、ご家族を思うお気持ちもよくわかります。明朝迎えをよこしますゆえ、今夜は人間としての最後の夜をお楽しみになって下さい」
 司祭はゆっくりとガルトに歩みより、すっとすれ違ってドアを開け、出て行った。
 すれ違う時にガルトが見た仮面の下の目は、言い知れぬ冷たい光をたたえていた。
 ぞくりと身体が震える。なぜかはわからない。だがあの司祭はただ者ではない……ガルトはそう悟っていた。
 だが、今は司祭のことを考えているゆとりはない。
 ガルトは恐る恐る家族の顔を見た。
 明らかな恐怖と嫌悪の表情。
 両親の後ろに隠れるように、エリアが青ざめた顔をしている。
 断ち切られた絆。
 沈黙を破ったのは、ヒステリックな母の声だった。
「やっぱり……おまえは私達を不幸にするために生まれてきたんだわ」
 ガルトは答えない。言葉の一つも出せない。
 疎んじられていたにせよ、こう直接的に存在をなじられるとは。
 思わず目をそらすガルトに、母親はさらに追いうちをかけた。
「おまえなんて生まれてこなければよかったのよ!」
「やめなさい」
 父親が制止する。だがそれは、ガルトを思いやってのことではない。
「破壊神なんだぞ、怒らせたら何をされるか……」
 そう母親にささやく声が、ガルトの耳にも届く。
「誤解だ……俺は……」
 思わず一歩踏み出した瞬間。
「いやああぁっ!」
 母親が悲鳴を上げた。
「来ないで、こっちに来ないでーっ!」
「……!」
 ガルトは立ちすくんだ。父親が母親をかばうように立ち、静かに言う。
「頼むから出て行ってくれないか。なぜわしらなんぞの子どもとして生まれたのかわからんが……これ以上わしらに関わらないでくれ」
 ガルトはうなだれた。
 もはや一片の修復の余地も残されてはいない。
 視野の片隅で、エリアがくるりと振り向き、奥の部屋へと駆け込むのが見える。
 それを見た時、ガルトの意志は決まった。
 無言のまま、両親に背を向ける。
 胸がつかえたように痛かった。
 息をするのも苦しかった。

 扉を閉め、一人歩き出す。
 恐らくあの司祭は、こうなることを計算した上で、わざわざアズレンまでやって来たのだ。ガルトから人間としての暮らしを奪い去るために。
 彼は独りぼっちだった。
 エリアさえも、彼に背を向けて逃げて行ってしまった。
 もう、この故郷には帰れない。
 彼は島外へ出ようと決めていた。ドリュキスに行けば、島外へ出る手筈を整えてくれる「渡し屋」がいるという。いったん島から逃れ、いつか力をつけて戻って来るのだ。
 だが、ドリュキスまでの旅費も食料もない。
 どうすればよいのか。
 ぱさっ。
 何かが服に当たった。振り向いたガルトは、目を丸くする。
 エリアだ。
 家の窓から身を乗り出し、しきりに地面を指さしている。ガルトが足元を見ると、今服に当たって落ちたとおぼしき、丸めた紙が落ちていた。
 拾い上げて開いてみる。錘がわりにくるまれていた石を取り、書かれているメッセージを読む。
「夜に見晴らしの丘で待ってて」
 エリアの字で、そう書いてある。
 ガルトは慌てて顔を上げた。だが、窓にエリアの姿はなかった。

「アズレンの様子はどうですか?」
 突然のユジーヌの問いに、シガメルデの下級司祭は面食らう。
「は? あの……別に何も変わったところはないかと……」
「そうですか……それは、残念ですね」
 下級司祭には事態が読み取れなかった。
「あ、あの、アズレンでなにか……」
「あなたが知る必要はありませんよ」
 丁寧でかつ、歌うような美しい声だった。だが、その陰に潜む猛毒ははかり知れない。下級司祭は出過ぎた質問をしてしまったことを悟った。
「も、申し訳ございませんっ!」
「どうやら、追いつめ方が甘かったようですね……」
 ユジーヌはつぶやく。下級司祭の言うことなど聞いてはいないかのようだった。
「出かけてきます。馬の用意を」
 ユジーヌにしてみれば、周到に計算された行動であるのだが、周囲の凡人には、その意図がすぐにはわからないことがままある。
 下級司祭にもユジーヌの言葉は突飛だとしか思えなかったが、それでも命令には従う。
 馬にまたがり、シガメルデの教団施設を後にしようという時、ユジーヌはふと思い出したかのように下級司祭の方を向く。
「ああそうだ。あなたには明日、重大な仕事をしてもらうことになります。そのおつもりで」
 馬を駆って夜も更けたシガメルデを北に向かうユジーヌを、下級司祭は見送る。
 ユジーヌの言っていた「仕事」について、彼はこの時はまだ理解していなかった。

 見晴らしの丘は、アズレンの北東の外れにある小高い丘である。頂上からシガメルデやロヴァイユといった周囲の町や村が一望のもとに見渡せることから、この名がある。丘の北東部は崖になっていて、崖下には鬱蒼と茂った森がある。この針葉樹の森はずっと東へ伸び、島の四分の一を覆う広大なものであり、モンスターなども多いことから「デスフォレスト」と呼ばれている。
 崖の上から、ガルトは黒いデスフォレストを見渡していた。
 人知れず東のドリュキスに向かうには、デスフォレストを抜けるのが最も早道だ。だが、未だ謎の多い森を抜ける旅の困難は想像に難くない。
 どうしたものだろう。

 半月が森を照らす。
 エリアがどういうつもりであの紙を渡してくれたのか、ガルトには見当がつかなかった。とりあえず、言われた通りに丘の上で待つこと数刻。
 そろそろあきらめて旅立とうかと思っていると、エリアの声が聞こえた。
「お兄ちゃーん」
 エリアが小走りに斜面を駆け上がって来る。手には旅人用の皮袋を持っていた。
「母さん達が寝るの待って抜け出してきたから……」
 そう言いつつ、エリアは皮袋をガルトに手渡す。
「これは……?」
「ごめんね、私、母さんや父さんを止めることができなくって。だからせめて、お兄ちゃんが逃げられるようにと思って……」
 ちらっと皮袋の中身を見る。旅に必要なものがあらかた入っていた。
「エリア……」
「ねえ、朝になったらまたあいつが来るよ、あの怖い司祭様が……だからその前に逃げて」
 ガルトは驚いていた。自分の正体を聞いてなお、自分の味方でいてくれる妹に。
「エリア……俺が怖くないのか?」
「……」
 エリアは困ったような表情を浮かべた。
「……そりゃあ、ちょっとね。でもお兄ちゃんがそんなひどいことをするようには見えないもん。それにあの司祭様を見て、嫌そうな顔してたでしょ?」
「……」
「私もあの司祭様、怖いの。なんだか信じちゃいけないって気がして」
 ガルトが司祭に対して感じた震えるような感じを、エリアもまた感じたのだろうか。
「でも……ほんとにお兄ちゃんが『ウドゥルグ』様なの?」
「うん……」
 肯定せざるを得ない。今更嘘などつけはしない。言葉を選びつつ、ガルトはさらに続けた。
「でもね、みんなが信じてるのとはちょっと違うんだ」
「違うって?」
「どう言ったらいいのかなあ……死んだ人って、生き返らないだろ? 命には流れがあってね、その流れに逆らうと、世界全体がまずいことになるからそうなってるんだ。その流れが……ウドゥルグって言われてたんだよ。昔はね」
「じゃあお兄ちゃんは、世界を破滅させようとしてるわけじゃないのね?」
「もちろんさ。ウドゥルグの名を誤解してる人にわかってもらいたいだけだよ」
「よかった」
 エリアはにっこりと笑った。
「やっぱりいつもの優しいお兄ちゃんが、ほんとのお兄ちゃんなんだよね」
「優しかったっけ……?」
 ガルトは照れてつぶやくように言い、エリアがくすくす笑う。
「ん……でもエリアだけでもわかってくれて嬉しいよ」
「あたりまえじゃない。暗殺者だってなんだって、ほんとは優しい私のお兄ちゃんだもの。それぐらいちゃんとわかってるよ」
 よい妹を持ったものだと、彼は思う。いったいどれほど、彼女に精神的に救われたことだろう。
「ありがとう……エリア」
 心からの言葉を、ガルトは口にする。
「もう行かなきゃ……馬で追われたらまずいしな」
「どこに行くの?」
「とりあえずドリュキス……で、そこから島を出るよ」
「もう会えないのかなあ」
「そんなことはないさ」
 ガルトは力強く言ってみせた。
「いつか絶対戻って来るよ」
「うん……」
「さ、そろそろ帰らないと、母さん達が……」
 陽気を装ってガルトが別れを告げようとした時である。
「エリアっ!」
 カン高い声が夜を引き裂いた。

 ガルトとエリアは、驚きに目を見張る。
「エリア、戻りなさい!」
 丘を駆け上がってきた母がわめいた。後ろから父も来ている。
 母親はエリアの手首をつかむ。
「母さん!?」
「こんなところにいちゃいけません、帰りましょう」
「ちょ、ちょっと待ってよ……」
 なすすべもなく、エリアは引きずられる。
「ガルト」
 後から上がって来た父親が、ガルトに声をかけた。
「おまえも来なさい」
「……えっ?」
「ユジーヌ様がお迎えに来ておられる。さあ」
 ユジーヌ。
 名前を聞いたことはある。ベルレン教皇に次ぐ権力を持つという上級司祭の名だ。
(あいつか……)
 昼間、家に来て毒のこもった言葉を投げかけて去った司祭の名だと、ガルトは直感的に悟った。
 逃げねばなるまい。だが追手がかかっていることだろう。
 これから進むルートをすばやく計算し、両親を振りきって走り出そうとした時。
 エリアが先に動いた。
「逃げて、お兄ちゃん!」
 そう言うなり、母の手を渾身の力で振りほどく。
 ガルトは地面を蹴り、走り出す。止めようとする両親の前に、エリアが立ちはだかる。
(エリア……!)
 心の中で呼びかけながら、ガルトは森に向かって急な斜面を駆け降りた。暗い道だが、子どもの頃に遊んだ場所だ。地形は熟知している。
 が、森の中、木々に隠れるようにして、追手らしき明かりがちらちらと見えるのに気付き、彼は足を止めた。
 とりあえず、追手をまかなくてはならない。
 ガルトは道を外れて茂みの中に入り、一本の木に近づいた。根元付近にうろがあるのだが、草や根に遮られて見えない。エリアとよく、秘密の隠し場所にして遊んだものだった。
 そこに皮袋を入れ、注意深く隠す。
 追手をふりきってから、取りに戻るつもりである。もしも荷物を持ったまま捕まってしまえば、その後逃げられたとしても、旅を続けることができない。
 そうしておいて、明かりの見えない方向へと、ガルトは歩き出した。
 しばらく歩いた頃。
(……おかしい)
 ガルトは首をかしげた。
 静かすぎる。もしも追いかけてきているのなら、もう少し人の気配がしてもよさそうなものだ。
 周囲にはちらちらと明かりが見えている。追跡をあきらめたわけではなさそうだが……。
(待てよ……あの明かり、動いてない……?)
 微風に揺らいではいるが、松明と見えた炎は、その位置を動いていない。
 明かりのもとに、人がいると思っていたが、もしもそうではないとしたら……?
 嫌な予感がした。
(まさか……罠?)
 あたりをもう一度見渡す。
 その時。
 彼の目の前の暗闇が、突然ぱあっと明るくなった。
 いくつもの松明が、彼を照らす。
(しまった!)
 さも追手がいるかのように明かりを配置し、一方向に追いつめて待ち伏せる。
 罠と気付いた時には、もう遅かったのだ。
 追手達がが姿を現す。
 ロルンの捕獲部隊。標的を殺さず捕らえるために、気配を消す術にたけている者達だ。
(俺一人捕まえるのに、ここまでやるなんて)
 だが、彼は「ウドゥルグ」なのだ。
 降臨を待ち望まれていた破壊神。ならば、いかなる人員を投入しても迎えたいと司祭が思うのも無理はないのかも知れない。
 いずれにせよ、彼に逃げ道はなかった。

 アズレン。
 ガルトの住む家。
 いや、ガルトが住んでいた家、と言うべきか。
「申し訳ありません。取り逃がしまして……森の方に……」
 父親が頭を下げる。赤い仮面に表情を隠したユジーヌは、手を上げてそれをとどめるしぐさをした。
 エリアはこの場にはいない。外に出ないように閉じ込めてある。
「お気になさらずに。ロルンの捕獲部隊が森で待ち伏せておりますから、すぐに見つかるでしょう」
 父親も、傍らの母親も、ほっとしたような表情を浮かべる。彼らにとっては、この上級司祭の不興をかうことが何より恐ろしかった。追い出し、半ば自分達の手で司祭に売り渡した息子のことが気にならなかったわけではないが、以前から忌まわしい暗殺者の彼を快く思ってはいなかったし、破壊神だと言われてはなおのこと疎ましかった。本当に彼が破壊神であるならば後の怒りが恐ろしいが、司祭がとりなしてくれるだろうという計算もある。
「しかし……いいのですか?」
 ユジーヌの問いが、両親にはわからなかった。
「は?」
「息子さんでしょう? ご心配なのでは?」
「……いえ、あれはもう、私どもの子とは思っておりませんので」
「そうですか。それでは、あなた方のお子さんはあの勇敢な娘さんだけだと……?」
「そのとおりです」 
 ユジーヌの真意を知らぬまま、両親はうなずく。彼らは司祭の気に入る発言をしようと必死だった。
 が、ユジーヌの次の言葉は、彼らを慄然とさせるものだった。
「それでは、明日の儀式に娘さんをおよこしいただけますね。身内にロルンの暗殺者がいないのですから、反対なさる理由はないと思いますが?」
「! そ、それは……」
「おや、顔色がお悪いようですね」
 ユジーヌの口調は、明らかに彼らの狼狽ぶりを楽しむものだった。
「喜びなさい。あなた方の娘さんが、降臨なさった破壊神への最初の生贄として捧げられるのですから」
 彼らは、ようやく悟った。
 何もかも周到に仕組まれた罠だったことを。
 自分達がこの赤い仮面の司祭の手の内で踊らされていたに過ぎなかったことを。
 彼らが感じたのは、あまりに遅すぎる後悔の念だった。

 


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