守護獣の翼  8 風に散る翼

[index][prev][next]

[1][2][3]][4]

「森だ。久しぶりだな」
 平原の道から逸れて、ユァンとウェイは森に足を踏み入れていた。槍尖を発ってどのくらいになるだろうか、道を歩いていればそこそこに安全な旅も、ひとたび道からはずれるや「獣」の間をぬって進む困難なものになっている。
 森といっても、鬱蒼と木が生い茂っているわけではない。真影の防壁の外と同じく、ゆるやかにうねる丘と見通しを妨げない程度に茂る木々がどこまでも続いている。
「ここから川を探して、見つけたら川沿いにさかのぼる」
「わかった」
 ユァンの指示にウェイがうなずく。とはいえ、川を探すと一言で言っても楽な道ではない。
「このあたりなら『獣』の分布も真影と変わらないはずだから……」
 ユァンは目と頭と「翼」を最大限に使い、できるだけ安全に通れる道を探していた。「盾」の情報を集めても、道から外れたところの「獣」の分布までは把握しきれていない。まして森とあっては。だからどんな些細な情報も見逃さぬようにする必要があった。
「……だめだ、子連れの虎がいる。迂回した方がよさそうだ」
 「翼」でこちらの匂いに気づかれぬように風向きを変えながら、少しずつ進む。襲われても、自分一人ならば戦って切り抜けることもできよう。だが、武器もろくに扱えないウェイまで守りきる自信はない。
 村や町を旅していた時と違い、自分自身のことについて思いめぐらす余裕はユァンにはなかった。全身の神経を張りつめ、「獣」を避けることだけを考える。避け切れなければ、せめて刺激しないように、できる限りの慎重さをもって進んで行く。
 ウェイは時々何かを思いめぐらしているようだが、さすがにユァンの気を散らしてはいけないと思うのか、すぐにユァンに話しかけることはしない。
 二人はこうして黙々と森を進んで行った。手がかりはあてになるかどうかもわからない地図と、確かかもわからない、はるか昔の言い伝えが記す魔獣の拠点の位置。それらを補うべく「翼」で川らしき気配を探す。「盾」であり、かつ魔獣である者にしかできない作業を、ユァンは黙ってこなしていた。
 ややあって。
「水音が聞こえる」
 ユァンがそう言って立ち止まった。ウェイが耳をすます動作をする。木々に隠れて見えないが、かすかに水音らしき音がしていた。
「大丈夫か、ユァン。休めるところを探した方がよくないか?」
 平原の道を逸れて以来、もう何日もはりつめた表情で周囲をうかがっているユァンに、ウェイが心配そうに声をかける。
「大丈夫……でも、川に出たあたりは安全そうだから、少し休もうか」
 ウェイに気を使わせまいと、ユァンが答える。目には見えていないが、「翼」は川の流れとともに、「獣」の気配があまり感じられない地点を探し当てていた。
 何度かのまわり道の後、二人は川のほとりに到達した。
「ここは、どのへんなんだ?」
 水入れを出しながら、ウェイが尋ねる。ユァンは地図を示した。
「だいたいこのあたり。真影までも二日もあれば着けるな」
「魔獣の集落は……」
「この地図だとそう遠くないはずだけど……」
 ユァンは「翼」をのばし、周囲の気配をさぐるが、それらしいものは見あたらない。
(まだ先なのか、それとも移動したんだろうか……)
 移動していたとすれば、槍尖で得た情報は使いものにならない。いよいよ彼の「翼」だけが頼りになる。どういう場所ならば住みやすいか。やみくもに探してもきりがないので、地図をにらみながら考え込む。
(川から離れてはいないだろう)
 すうっと泳いで行った魔獣の子供を思い浮かべる。
 集団で襲撃できるほど近く、追われても見つからないほど遠く。「獣」のなわばりからはずれ、ある程度集団で暮らせる場。
(そう多くはないはずだ)
 地形と「翼」で感じ取った「獣」のなわばりから、それらしい地点を推測し、地図で確かめようとした時。
(!)
 何かを「翼」が感じ取る。
 激しい敵意。
「ウェイ、危ない!」
 何が来たのかを認識する前に、敵意に身体が反応した。とっさにウェイを地面に伏させ、「翼」で彼を守るように覆う。同時に脇に置いてあった、鞘のままの剣を取り、敵意の方向をなぎ払う。
 水音とほぼ同時に、何かが剣先にかすった。目は追いつかなかったものの、確かに何かが襲ってきている。
 剣を抜いて体勢を整え、注意深く周囲を見回す。川から飛び出した襲撃者は、草むらを伝って身を隠しつつめまぐるしく移動しているようだった。
(右!)
 「翼」のとらえる敵意の方向に素早く反応する。草むらから短剣を構え、飛び出してきた襲撃者が視界に入る。
 翠の目と髪、小柄で敏捷な身体に太い尾。
 真影で戦った魔獣の子供だった。
(やっぱりあいつか)
 そう思った時、ユァンは大事なことを忘れていたことに気づいた。
(あいつ、俺の『翼』がわかるんだった) 
 見えないはずの「翼」を見破り、ユァンを魔獣だと言い切ったのは、この子供だった。
 しまった、と思う。ウェイの前で正体を明かされれば、これまで隠し通してきたことが無に帰してしまうのだ。
 よくよく考えてみれば、このような事態は当然予測すべきものだった。魔獣の集落を目指す以上は、その集落に住んでいると思われる彼に会うことは避けられないのだから。
 だが、旅の間中ユァンの心を占めていたのは、どうやってウェイを守るかだった。もともと、誰かを守ることについ夢中になってしまう。平原や森でウェイを守るためには、他のことなど考えてはいられなかった。まして、彼は魔獣である自分のことを考えずに済ませようと必死だった。玉輝での一件以来、その思いは一層強まっていた。
 そんな中で、目的の地についてからの一切は頭の片隅に追いやられていたのである。
 そして、今も。
(だめだ、そんなことを考えてる場合じゃない)
 魔獣の子供は、明らかにウェイを狙っていた。木の下に座り込んだまま、動きを目で追うのがやっとという様子のウェイを翻弄するかのように駆けめぐり、すきあらば攻撃に転じようとする。ユァンは飛び出す子供の短剣を狙い、剣ではじいていく。
 魔獣の子供は一度はじかれた攻撃に執着はしなかった。反撃を食らう前に素早く飛び退き、再び襲いかかる。少しでも気をそらすと、背後のウェイが危険に陥るだろう。
 そんな時、ユァンの「翼」はウェイが荷物から何かをごそごそと取り出そうとしているのを感じた。
(飛禽よけの布なんてどうするつもりだ?)
 視界に入っていなくても、ウェイが大きな布を取り出したのはわかる。内心不思議に思いながら、ユァンは剣を構え、飛び出してきた子供の短剣をはじき返す。
「ユァン」
 はっきりとした声で、ウェイが声をかけてくる。
「これで動きを止められないか?」
「わかった」
 それだけで、彼が何を意図しているのかわかる。ユァンはウェイの方に左手を伸ばし、一度もウェイの方に顔を向けることなく布を受け取った。
(そこか!)
 草むらから、身体よりも一瞬だけ早くにほとばしり出る敵意。それを読みとり、ユァンは剣を捨てて走り出す。
 敵意の方向へ。
 飛び出した子供が正面から突っ込んでくる。ユァンは布を手に待ちかまえる。
(よし、今だ)
 飛び込んでくる子供を身をよじってかわしつつ、布を子供の前に広げる。頭から布に突っ込んだ子供を両手でしっかりと抱え込んだ。はずみで短剣が落ちる。
 上半身がすっぽりと布にくるまれた形で、魔獣の子供は足と尾をばたつかせて暴れたが、ユァンは手を放さない。
 やだやだ、放せよと言っているらしい声が、布ごしに聞こえてきた。
 暴れる子供は、川の水で濡れてはいたが、暖かい。ユァンはなんとなく、村のいたずらっ子をこらしめているような気分になる。
(どうしたものかな……)
 ウェイの方を振り返る。ウェイは立ち上がって、布でくるまれた頭のあたりに顔を寄せた。
「なあ、ちょっと話、できないかな」
 くぐもった声が返ってくる。そんなことができるか、と言っているようだ。
「そんなこと言わないでさ。俺達は君にも、君の仲間にも危害を加える気はない。話がしたいだけなんだ」
「……!」
 布ごしの返事。
 振動から、何を言っているのかがユァンにはわかった。
 仲間を飼ってるやつの話なんて聞くものか!
(!)
 一瞬、ユァンの腕がゆるむ。
 魔獣の子供はすかさずユァンの腕を蹴り、反動で布ごと草地に転がり出した。
 ごそごそと布をかきわけ、ようやく頭を出した子供は、翠の目でユァンを見据える。
「おまえ……なんで黙ってるんだよ!」
 子供がわめく。
(まずい)
 どう行動すればよいのか、とっさにはわからなかった。
「いつまで人間の言うことなんて聞いてるんだよ、裏切り者っ!」
「やめろ……」
 かろうじて、それだけが言葉となる。
(ウェイが気づいてしまう)
 子供を止め、何事もなかったふりをするしかない。
 それなのに、動けない。
 そればかりか。
「人間なんかに味方するのなんてやめろよ、敵なんだぞ、人間はっ!」
 そう言われた時、ユァンはほとんど反射的に叫んでいた。
「断わる!」
「なんでだよ」
「俺はこいつを守るんだ!」
「飼い慣らされたって、魔獣は魔獣なんだ、おいら達の仲間なんだぞ!」
「俺は……っ」
 言いかけて、ふと我に返る。
 今のやり取りは、自分が魔獣だと自分で言ってしまったようなものではないか。
 それも、ウェイの目の前で。
(どうしよう……)
 おそるおそる振り返ると、ウェイと目が合う。
 草地に座って腕を組み、じっとこちらを見ている。
「ウェイ……」
 聞こえなかったわけがない。
 ユァンが、魔獣なのだと。

[index][prev][next]